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君臣のドグマ  作者: 回天 要人
承章
39/51

要郭編6

 船着場は月旦の想像以上の賑わいを見せていた。街の中ですら、宮殿跡地へ向かう観光客が大勢居た。船着場ともなれば、それは混雑するのだろうと思いはしたが、


「どういうことだ!!船に乗れないなんて、聞いてないぞ!」


 中年男性の怒声が飛ぶ。彼の妻と思われる、恰幅のよい夫人も、孫の手を引きながら怒った様子だった。揉めている夫婦の側にいた別の客もまた、そうだそうだと夫婦を囃し立てていた。

 賑わうというよりも、騒々しいと言った方が正しいだろうか。客として船に乗ろうとやってきた人々のうち半数近くが不満の声を上げ、船乗りや役人に文句を言っていた。どうやら何らかの事情で、船に乗ることが出来ない様子だ。


「…要郭司馬……?」


 月旦は人混みの中で呟いた。自分の呟きが自分の耳で聞き取れないくらい、辺りは騒々しい上に、緊迫した空気が漂っていた。

 怒声を捌いている役人は要郭司馬の紋章をつけていた。月旦の見える範囲には、同じような格好をした要郭司馬が何十人も居た。彼らは怒声を上げる客の相手をしていたり、船乗りに船を泊めるように大声で呼びかけていた。何か事件が起きない限り、こんなに数多くの司馬の姿を街の中で目にする機会は少ないだろう。


「詳しい話は我々にも分かりかねる!とにかく、これから船に乗ることは許可できない!これは要郭官庁からの命令だ!静かにしろ!!」


 立派な口ひげを生やした司馬の一人が声高に叫んだ。が、客たちも負けては居らず、司馬を掻き分けて無理やりにも船に乗り込もうとする。司馬は無鉄砲な客たちをどうにか治めようとますます声を張り上げた。


「再開がいつになるか、我々にもわからない!とにかく下がれ!下がるんだ!!」

「わからないってどういうことだ!このためにわざわざ遠出をしてきたってのに!妙な入門手続きはあるは…最近の要郭はどうなってるんだ!説明しろ!!」


 客の中の誰かが、船のことだけではなく、要郭全体のことに対して不満の声をあげた。それを皮切りに、次々に客から不満の声が上がる。また、観光客の騒ぎを見守っていただけの地元の住民も、騒ぎに便乗し始めた。


「そうだ、そうだ!!以前より客足は増えたが、混雑も小競り合いも増えた!こんなに口やかましく役人が仕切るような街ではなかったはずだ!一体、役人は何をたくらんでる!何が起こっているんだ!!」


 住人の不満声に、口ひげの司馬も再び声を荒げる。互いに人波によって姿が見えず、声だけのやり取りとなった。


「静まれ!!」


 という、口ひげの司馬の声は、怒声に掻き消えていく。騒ぎは収まる気配がない。足元の牙城を庇いながら、月旦は人混みに逆らって、街の中へ引き返そうともがいていた。


「く…っ」


 騒ぎの中心は堀と街の境目にある船着場だ。人々は堀へ近づこうと足を進め、街へ戻ろうとする者は、月旦の他見当たらない。しばらくもがいた後、波に飲まれそうになりながらも、どうにか疎らに人がたたずんでいるだけの空間に出ることが出来た。

 息を整えてから、月旦は人波を眺めた。人波は喚き声をあげていた。具体的に何を言っているのか聞き取れないが、皆わあわあと叫んでいた。この様子では、司馬と人々の抗争はしばらく続くのではないかと思われた。


「何が起きているんだ…」


 月旦の呟きに、牙城も首をかしげた。月旦は、騒ぎの原因に思い当たる節がないわけではなかった。しかし、そのためだけに要郭司馬が動くだろうか。


「………どこで、何をしているんだ、あいつは」


 月旦は天を見上げた。よく晴れていた。青い空に白い雲がいくつか浮かんでいる。本来なら、こんな日は絶好の観光日和で、ここにいる多くの者にとって平和な一日になっただろう。

 すると突然、青い空を素早く横切る黒い塊が月旦の目に入った。鳥にしては大柄だが、猿などの獣にも見えない。


「!?」


 塊は空を飛ぶと、船着場にある東屋の屋根に降り立った。ダンッと、大きな音を立てて、塊が着地をすると、周囲に居た人々は、何事だと東屋の屋根を指差し、叫んだ。


「静まれ!!」


 塊は、屋根に降り立つと人になった。驚いたことに人間が人々の大波を跳躍して、屋根の上に降り立ったのだ。人は一言叫んだ後、背に背負う大剣を振りかざした。切っ先で人波を指し、大声で叫ぶ。刃を向けられた人々からは、悲鳴も上がった。


「太祖の眠る宮殿の前で、むやみに騒ぐな!斬られたいのか!」


 そう怒鳴ったのは意外にもまだ歳若い、小柄な少年だった。しかし、小柄の癖に身の丈の三分の二はありそうな大剣を軽々と振るっている。また、少年の服装は役人の制服に見えた。彼もまた司馬の一人だろうか。一司馬にしては、派手な振る舞いにも見えるのだが。


「只今より堀から内側、宮殿跡地は要郭官庁が借り受けた!部外者は直ちに引け!」


 少年の声は鶴の一声となった。皆少年の振るう大剣に恐れを抱いたのかも知れない。また、少年の様子があまりに殺気立って見えたため、そちらに恐れを感じたのかもしれない。司馬の促しもあって、人々の怒声は徐々に弱まり始めた。

 少年の目はまさに血走っていると形容してよいもので、今の言動や振る舞いが、今後の自分にどう巡ってきても関係ない、と言わんばかりに見えた。ある意味では堂々としているが、あまりに捨て身の行動に思える。案の定、騒ぎが収束し始めると、口ひげの司馬が東屋の上の少年に声を張り上げた。


「晴朝殿!度が過ぎますぞ!民に剣など振り回しては、官庁の立場というものが…!」


 口ひげの司馬は、ここにいる司馬の中では一番位が高いのだろうか。他の司馬は口ひげの司馬と少年のやり取りを見守っているばかりだ。仲間内での話し合いなら少年が屋根から降りてからでもよさそうに思えるが、少年は大剣を肩に乗せて、うごめく人々を眺めているばかりで、一向に屋根から降りる様子はなく、また口ひげの司馬の方を顧みもしない。口ひげの司馬が、破天荒な少年役人に声を張り上げたくなるのもわかる。


「立場なんて、どうだっていいんだよ…」


 月旦は、よく耳を済ませて、なんとか少年の返事を聞き取った。事情はよくわからないが、敬称をつけて呼ばれているところを見ると、少年は口ひげの司馬よりも位の高い役人のようだった。そしてこの空間において、詳しい事情を知りえていそうな者は、この少年以外居ないように思えた。


「司馬だけでは騒ぎを収められないと知らせを受けたから僕が出てきたんだ。本当なら、これは君たちの仕事だろう。文官の手を煩わせないでくれ。身体を張るのは、僕の本業じゃないんだから」


 少年はそれだけ言うと、口ひげの司馬の顔を最後まで一度も見ないまま、登場したときと同じように空を跳んだ。東屋の屋根から、側にある商店の屋根に降り立ち、再び空を舞ったあと、ようやく地面に降りたった。少年は大剣を背中に背負った鞘に納め、何事もなかったかのように、急ぎ足でその場を立ち去ろうとする。


「待て!」


 月旦は、少年を逃すまいと大声で叫んだ。次いで、人混みの中から牙城が飛び出し、立ち去ろうとする少年の前に躍り出た。


「グォンッ!!」


 主人の考えを理解している牙城は、吼えて少年を引き止める。


「誰だ?」


 少年はため息を吐きながら背後を振り返った。人混みから脱出した月旦は、小柄な少年を見下ろしながら尋ねる。


「この騒ぎは、一体何が目的なんだ」

「部外者に話すことは出来ない」


 月旦の質問を、少年は一言で却下した。が、月旦も食い下がるわけには行かない。騒ぎの中心には、群青が居るに違いないからだ。


「俺の連れが要郭の役人に連れて行かれた。南門で、姓を名乗れなかったからだ」

「……連れ?」


 少年は何か勘付いたのか、眉を寄せた後、大きな目を見開いた。それに気がつきつつも、月旦は続けた。


「あいつは姓というものを知らないようだった…。要郭に妙な手続きができたのは最近のことなのだろう?あの制度は、誰かを捕らえるためのものじゃないのか」


 月旦と少年は、しばらく沈黙して互いを見つめ続けた。月旦に少年との面識はない。しかしなんとなく、何か知っているような気配がした。遥か昔、以前どこかで、出会ったことがあるような気がする。


「君が、御子か…」


 少年はふと微笑んだ。苦笑しているような、自嘲しているような、あまりの出来事に、思わず噴出してしまうような、そんな笑みだった。


「君のせいで、僕はずっと…、」

「………?」


 月旦には少年との面識はなかったが、彼の方には思うところがあるようだった。月旦は話がわからず、眉をよせながら、内心で首をかしげた。すると少年は一際瞳に光を宿して、月旦を睨んだ。少年の瞳からは、負の感情しか伝わってこない。怒りと嫌悪の感情に溢れている。怒鳴られているわけでもない、剣を向けられているわけでもないのに、月旦の動悸は激しくなった。この威圧感はなんだろう。目の前に居るのは、小柄な少年だというのに。


「…そうか、ここで君に出会ったのも、何かの運命なんだろう。そもそも、君が居なければ群青の野望も叶うことはないし、過去のしがらみも知れ渡ることはない」


 少年は俯いて呟いていた。表情が読めないことは、月旦の恐怖感を煽るだけだった。


「…群青を知っているのか?」


 威圧感を感じながら、月旦はそう尋ねた。少年の背後では、牙城が体勢を低くして、唸り声を上げている。


「知っているも何も…彼と僕は同郷だ。本当の僕は浅葱色だよ」


 そう告げる少年の瞳は灰色で、髪も斑のない灰色をしている。完全に、本来の色は消えていた。どういう技術でそうなっているのかわからないが、それでも少年は、弦莱の、彩色一族の人間なのだろう。群青の名を知り、色の話を持ち出すことが出来るのは、弦莱の人間だけだからだ。


「浅葱…?」


 いつか、群青からその名を聞いたことがあった。けれども、どうして浅葱がこんなところにいるのだろう。月旦は何から情報を処理していけばいいのかわからず、混乱していた。浅葱が捕らえたいはずの群青がこの場に居ないことは不幸中の幸いだろうか。けれど、この様子を見ると、浅葱は月旦にも敵意を感じているように思える。


「君はどこまで知っている?過去の出来事を、定鼎姫のことを」


 浅葱にそう問われた月旦は、質問には答えなかった。それというのも、浅葱の手が、背中に伸ばされたからだ。


「まあいいや……そんなこと、君を消してしまえばどうだっていい。群青を殺さなくっても、君を殺せば、花冠も弦莱も丸く収まるんだから」

「……!」


 浅葱の背から、抜き身の大剣がのぞいた。日の光に照らされて、刃が煌く。月旦は考える前に走り出していた。とにかく逃げなくては駄目だ。


「グォン!!」


 牙城が吼える。人混みは、牙城の鳴き声に驚いて散っていく。月旦が走る数歩先を牙城が開拓しながら二人は走った。

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