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君臣のドグマ  作者: 回天 要人
始章
22/51

輝麗編7

 月旦の中で覚悟が決まったというのか、何かに踏ん切りがついたのだろうということに、群青は肌で気付いていた。今までの月旦は群青に手を引かれるまま、流されるまま道を歩いていたように思えるのだが、夕刻の丘での一件から、群青に手を引かれずとも自ら道を歩き、前を見据え始めたのではなかろうか。

 群青が大荷物を荷車に乗せて船へ帰ったとき、苦笑する対鶴長と、すっきりした顔の月旦が荷運びを手伝うと申し出てきた。対鶴長が手伝うのは罪の意識からだろう、それは至極当然だと思ったのだが、月旦が手伝うと言い出したことは、群青の心の中にざわつくものを生んだ。嬉しいような、それでも、本当にこれでよかったのかと戸惑ってしまうような、妙な心地だ。月旦が決心したというのに、先導するはずの自分が、今度はぶれ始めている。自分の思惑へ月旦を引きずりこむことに成功して、やっと事の重大さに気付いた気分だ。今までは、そうしなければ駄目なのだと、脅迫観念にさえ捕らわれていたのに。

 こんな気持ちになるのは、弦莱を飛び出してから初めてだった。もし今、群青の心の内が浅葱に知れたなら、彼は腹を抱えて笑い転げそうである。だから言ったのだ、弦莱の中に居れば何の苦労も不自由も、不安もなく暮らしてゆけるのにと。

 群青は浅葱の幻影に頭を振った。苦労も不自由もないとは、全く平坦な暮らしに他ならない。それが嫌で弦莱を飛び出したのではなかったか。自分が欲しかったのは広い世界を知る機会で、世界を知るとは自分の知らない思いや体験に常に出会うということだ。それらに出会いたい一心で飛び出したのに、知らない思いに一々戸惑っているなど、とんだ笑い種だ。

 月旦が決意したことは、群青が月旦の人生を左右したことに他ならない。他人の人生を捻じ曲げてしまったことが、群青を戸惑わせ、心地の悪さを生んでいた。

 己の戸惑いには目を瞑って、群青は対鶴長に悪態をつくことで、その場をやりきろうとした。対鶴長の船と輝麗の港をつなぐ橋の前で、荷車の上の荷物を小分けにして月旦に手渡しながら、対鶴長の苦い顔を睨んだ。睨んだ拍子に甲板を見上げる形になり、船員たちが横目でこちらを気にしているのに気がついた。船長自ら荷物持ちを買って出たことに、何があったのだと噂している様がすぐさま思い浮かんだ。


「どういうことだよ、皇子サマって」

「口を慎め、誰が聞いているかわからんだろう」

「慎め?自分で身元を証明するもの持ち出しと…っふぐ」


 対鶴長は慌てたように群青の口を両の手のひらで塞いだ。群青は持った荷物を危うく地面へ落としそうになりながら、足を踏ん張ってそれを堪え、荷車に荷物を戻したあと、対鶴長の手を振り払った。群青と対鶴長のやりとりに笑みを零しながら、月旦は橋を上っていく。


「事の次第は月旦から聞いた。俺も悪かったが、あんなことをして困るのはお前ではないか?」

「は?」

「刀がなくては剣術指南など到底無理だろう」

「あ!」


 あの時は怒りに身を任せて刀を手放してしまったが、思えば剣術を学んでいる身として、師匠から刀を奪うことは差し障りがありすぎる。


「この船、武器庫は!?」

「俺の船は海賊船じゃない」

「そんな…!一本くらいないのかよ!」

「この先は棒振りでしのぐしかないな」


 甲板で棒振りをする己を想像して、群青は悪寒が走った。子供でも出来ることをやっていては意味がない。うろたえる群青に、対鶴長は一瞬意地の悪い笑みを零したが、それは自分の失態を隠すための照れ隠しなのだと、群青は後々気がついた。

 対鶴長は己こそ子供のような真似をしているとはたと気付き、群青の肩を抱き、耳打ちするように告げた。


「いつかは手放さねばと思っていた。自分ではなかなか思い切れないものだな。お前が潔く故郷から出てきたことには尊敬する。うっかり皇家の霊廟になど近づいたものだから、警護の者に見咎められてな。お前ならどうにか上手く切り抜けてくれる、悪く言えば巻き込んだことになるのだろうが、一人でここまで来たお前ならばと、能力を買ってのことだったのだ。すまん」


 ということは、武人たちの言う小僧とは群青のことではなく、元は対鶴長のことだったのだろうか。混乱のうちに情報が変化し、小僧は群青に変わったのかも知れない。

 しかし、群青の能力を買ってなどと言い出されてしまっては、悪態ばかりつけなくなってくる。上手く丸め込まれた気がしないでもないが、対鶴長の知らぬ間に刀を手放してしまったことに対して咎める様子はないようなので、群青は安堵した。

 次いで、気になったことを対鶴長に尋ねようと、群青は口を開いた。その表情は真顔になっている。ふざけた態度で尋ねてよい話題ではないと思ったためだ。


「…霊廟って、墓参りがしたかったのか?」


 群青は荷物を整える振りをしながら、対鶴長の顔をまともに見ないようにする。そこに憂いを見出せば後々顔を合わせる度、尾を引きそうだと思ったのだ。


「輝麗皇が代替わりしたと聞いたからな…今の皇は昨年皇になったばかりと言う。何も廟に入って手を合わせてこようなどと図々しい真似をするつもりはなかった。遠目に廟さえ見てくればよかったのだが…」


 対鶴長は言葉を濁す。元は遠目に見てくるつもりで赴いたのだろう。しかし、実際廟を前にして、それでは止まれなくなった。図々しいなど、家族の墓を参るのに相応しくない形容に思えるが、親不孝を働いた皇子としては墓を参ることすら図々しく感じられるのかも知れない。その点は群青にもなんとなく気持ちがわかった。

 何と答えてよいのかわからず、群青がしばし無言のままでいると、対鶴長は場の重苦しい雰囲気を振り払うように明るい声で告げた。


「お前が気にすることはない。廟は見て来られた、もう二度と輝麗の地へ足を踏み入れるような真似はしない。輝麗への仕事は今後一切断ろう。それが故郷を捨てた者のけじめだ。これからは一人の俗氏国民として輝麗の繁栄を祈るばかりだ」

「……そっか。お前がそう決めたのなら、それがいいんだろうな…」


 自分も、己の決めた道を全うするまでだ。群青は何ともなしに頷いて、対鶴長にも荷物を手渡した。



  *



 日は完全に姿を隠していた。松明の炎がうっすらと港を照らし、対鶴長の大きな帆船を浮かび上がらせている。港と船をつなぐ橋が片付けられ、碇が上げられた。出港の時だった。

月旦は夕食後、甲板に出て輝麗の町を見つめていた。傍らの牙城は大あくびをしながら寝そべっている。

 家人は皆寝静まっている時刻だ。町の中に明かりはほとんど見受けられない。どの辺りに久姫や貴姫、涙由の眠る屋敷があるのかもわからない。わからないなりに見当をつけて、暗闇を見つめながら、心の内で別れの挨拶を唱えるが、なんだか味気ない上に別れた気がしない。刀の一件でうやむやのまま屋敷を出たため、少しばかり物足りないような、やり残したような気がしていた。


「やっと始まるな……」


 佇む月旦の背後から群青の声が聞こえた。月旦が振り向くと、風呂上りらしい様子で首に布を巻いた群青が立っていた。一歩進んで、群青は月旦の隣に立つ。身長も体格もほぼ同じなのに、中身の程は大きく違う、皮肉なものだと月旦は思った。


「そうだな」


 月旦は呟いた。これから始まる。そのことには安堵する。事が始まってから決意を固めたのでは、群青に対する劣等感が更に増していた気がする。どう動きたいのか、自分で選んだ末、今月旦は船の上に居るのだ。地に足ついた感覚がして、今の自分を誇らしく思えた。

 次に涙由や、姫君たちに会うときは、強くなった自分を見せられるように努力しなければならない。今やり残した感覚を持ったままにしておくことも、意義があるように思えた。彼らの中で月旦らがより印象付けられ、こちらも彼らを忘れずにいられる。願わくばそうであってほしい。


「…月旦は、怖いと思うことはないか?」

「怖い…?」


 不意に群青が、そんなことを問うた。怖いとは、一体何に対してだろう。前を見据えながら話す群青の横顔にふと、目をくれた。


「俺……今になってようやく怖いと思ってきた。弦莱を出て、一人きりで旅をして、月旦を巻き込んだこと……、今こうして船の上にいることが、ひどく怖い」


 輝麗の町を見つめていた群青は、月旦の視線を感じたのか、首を捻って月旦を見た。目線があった途端に、月旦は群青から顔を背けたい気持ちになったが、松明が照らす青い瞳が揺れているのに気がついて、驚きと戸惑いで目がそらせなくなった。常の力強い眼光とは違う。弱々しく、泣き出しそうなくらい輝きは弱かった。


「今さら何言ってんだって、自分でも思うけど…引き返せるなら引き返した方が楽じゃないかって、どこかで思ってる俺がいる」


 群青もまた、月旦と同じく心の声に悩まされているのだろうか。この道を行かねばならないのだと、強く思う自分と、引き返すなら今だ、まだ始まってもいないのだからと、諭す自分がいる。どちらも自分であり、否定も肯定も出来ない。

 それらの声から脱出する方法を月旦は知っていた。


「怖いさ…怖いけれど、行かなければ何も変えられない。今後俺たちは幾度となく、そんな壁にぶつかるんだろう。その度に、怖い怖いと言い合えばいい…それだけできっと、気持ちは軽くなる」


 偉そうに言うつもりはなかったのだが、月旦の口から、自然とそんな言葉が出た。

 自分だって己の弱さを吐き出して、不条理にも、群青をなじりたい気持ちがある。お前はぎょくじゃないか、こんなところで迷わないでくれ、そう言いたい気持ちもある。どうして俺は砂でしかないのだと、ぶつけてもしまいたい。

 けれど今はそのときではない。少なくとも、群青の瞳が揺らいでいる間は、そんなことを言ってはいけない。この思いをぶつけるのは、青の瞳が強い輝きを放っているときだ。

 月旦の気持ちは随分と軽くなった。群青でも弱くなるときがあるのだと知れたことも要因の一つで、自分もいつか、心の内を群青にぶつけてよいのだと思えたことも要因だった。

 一方が弱くなるなら、一方は強く、また逆も然り。共に旅をするのなら、それがよい。どちらが上でも下でもない。


「あーあ、何もかも怖いなぁ」


 群青は天を仰いだ。無数の星が輝く夜空だ。大きく息を吐き出して、呟く。


「ああ…怖いな」


 月旦も呟いた。

 怖いと言いながら、群青と月旦は笑みを湛えていた。



<一部完>

第一部を最後までご覧くださったあなたさまへ、感謝申し上げます。

月旦の決意で幕を閉じた第一部…。第二部では十七歳になった月旦がまたまた成長、そんでもって恋の予感…?(笑)

群青もまた、成長しながら困難に立ち向かいます。彼にも恋の予感はあるのだろうか…そのあたりはお楽しみと言うことで。


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