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君臣のドグマ  作者: 回天 要人
始章
18/51

輝麗編3

 一人で居ると、暗い感情に飲み込まれる。飲み込まれると現実が見えなくなる。それは辛い現実を忘れさせてくれるある種の心地のよさと己の弱さを感じさせ、更なる思考の暗闇へ自身を突き落としさえし、安らぎと絶望の相反する感情を月旦に与える。

 精神的に不安定な主人。その足元がおぼつかないことには、傍らに侍る黒い獣も気付いていた。月旦が道の真ん中にふらふらと出て、危うく馬車に跳ね飛ばされそうになれば、避ける時間を考慮して、寸でのところで覚醒を促す一吠えをした。


「すまない…」


 月旦は賢い相棒の頭を撫でた。牙城のかつての主人に会いに行くため、月旦は一人、見知らぬ町の中を歩いていた。大食い大会へ出る群青と、町の中を散策すると言った対鶴長とは、昼に別れたきりだった。太陽は傾き、夕刻になろうとしていた。町の中には帰路につく子供や仕事を切り上げた者たちがごった返している。道の端を歩いていなければ、人波に飲まれそうである。

 特に用事のない月旦だ。仕事に忙しい涙由をわざわざ自分の元へ出向かせるのも申し訳ない。こちらから出向くと返事をし、返ってきた文に添えられていた地図を眺めながら歩いていたのだが、そろそろ目的地も近い、地図を見ずともたどり着けるというところまで来て、地図から顔を上げたのが悪かった。地図を読むという仕事をしなくてよくなった頭は、薄暗い感情を延々めぐらせている。考えてどうにかなることではない。それはわかっているのだが、妬ましさと憎しみがいつの間にか氾濫している。

 二月ふたつき前、花冠皇の命で自分を国外へ連れ出そうとした者が居た。今でもいつ、花冠の皇が自分を狙って刺客を放つかわからない。一人で出歩いて、怖くないといえば嘘になるが、今は二月前にどうして連れ出してくれなかったと、刺客を責めてしまいそうだった。自分を助けた対鶴長と群青には感謝している。一方で、あのとき国外に連れ出されていたら、こんな気持ちは味わわずに済んだかもしれないと思ってしまう。

 何が辛いのか。自分の弱さを思い知らされ、打ちひしがれる自分を自覚するのが辛い。今まで月旦を強気にさせていたのは、花冠の皇子という身分だけだったのか。どうして誇りを持って自慢できる芸の一つも身につけなかったのだろう。後悔と悔しさで崩れそうだった。

 足を向けている場所には涙由が自分を待っている。涙由に会えば救われるのではないか、子供のようにすがり付いて泣きつけば、気分が晴れるのではないか。そう思うと、自然と早足になる。そんな自分をまた嫌悪したりもするのだが、今、体裁だ、プライドだ、などと飾り立てれば自分は牙城の声にも気付かずに、どこかで馬車にはねられそうな気がする。

 張り詰めたものを取り除いて欲しい。腹の内のどす黒いものを吐き出したい一心で、月旦は丘を登った。町の喧騒から遠のいて、高台の大きな屋敷の前にたどり着いた。


「…ここが……」


 貴族の屋敷だろう。皇宮とは比べられないが、輝麗に来て初めて目にする大きな屋敷だった。静かな庭で、木々が穏やかな音色を奏でていた。豊かな場所だ。安らぎを得るにはうってつけだった。


「あら、あなたは…」


 庭の木陰には人が居た。日陰に腰掛けを出して笛を持ちながら座っているのは、昼間出会った絹の肩掛けの姫だ。名は久姫という、歳の頃は成人したての、落ち着いた雰囲気の気品ある女性だった。


「昼間の方でしょう?何か御用かしら」


 久姫は立ち上がると門前に佇む月旦の元へ歩み寄った。


「…こちらに、涙由という者がいるはずなのだが…」


 まさか、涙由が仕えているのは、昼間の小さな姫だろうか。気位が高く、大人びていて、我慢を知らない。群青は月旦に似ているというようなことを言っていたけれど、あの姫に涙由は手こずっているのだと文には書いてあった。


「まぁ、涙由のお知り合いだったの」

「久姫さま!」


 遠くから、月旦には懐かしい声が聞こえてきた。声の出所は屋敷の窓だった。二階の窓から、身を乗り出さんばかりに、灰というよりほとんど黒に近い髪の色の男が声を上げている。昔別れたときは少年と言ってもよかったが、今は立派に青年と呼べる体格をしている。肌の色が白く、血の気があるのか感じられないくらいで、絶対的に冷静そうな印象を与える。事実、慌てていてもそうと取られないことの多い涙由は落ち着き払っていて生意気とさえ解釈される。だからこそ、公式な場ではそつなく見え、例え主人が本来はちゃらんぽらんでも涙由を添えるとまともな人間に見える。花冠皇などいい例だった。


「涙由、あなたにお客さまよ」


 久姫は窓辺に居る涙由にそう返した。涙由は「承知致しております」と返事をした。


「ようこそおいでくださいました、皇子。すぐに参ります」


 涙由はにこやかに言った。皇子といった言葉に、月旦を振り返ったのは久姫だった。


「皇子…?」

「……今は違う…ただの、小僧だ」


 月旦の言葉に、久姫は初めて月旦の耳に気がついた。傷口こそふさがってはいるが、そこにあるべき耳朶みみたぶが削がれている。皇族なら嵌めて当然の金の輪を、収める場所がないのだった。途端に同情に顔を歪めた久姫に、月旦は内心辟易していた。かわいそうなものを見るような目は止めてくれ。皇子と呼んだ涙由にも、少しばかり腹が立った。

 速やかに階下へ降り立った涙由は、入り口から滑るように門前へかけてきた。


「久姫さま、貴姫さまがお呼びです。手芸の相手をしていただきたいと、」

「ええ、わかりました」


 入れ替わりで久姫は屋敷の中へ入っていった。その背を目の端に捉えながら、月旦は友の顔を改めて見つめなおす。以前より格段にたくましくなったと思う。牙城は昔の主人を忘れては居なかったようで、涙由の登場に尾を激しく振っていた。


「大きくお成りですね、皇子…。久しくお目にかかります。この涙由、花冠の地を追放された後も、いつもいつも皇子の無事を祈っておりました」


 言うなり、涙由は月旦の頭に右手を伸ばした。幼い子供にするように、優しく手のひらで頭を撫でる。


「……涙由も、元気そうで何よりだ」


 自分はもうじき十六だ。幼児ではないのだから、頭を撫でるのは遠慮してくれと、再会してすぐに悪態をつきそうになった。けれど、久しぶりに再会した親しき友だ。そう言うのは野暮だと思い直し、月旦は開きかけた口を閉じた。

 愛おしそうに月旦の頭を撫でる涙由の手が、記憶よりも大きいことに月旦は少々戸惑った。自分の知らぬ間に、涙由が成長していることに動揺を隠せない。自分ばかりが成長もせず、あの日のまま臆病に泣きつきたいなどと考えている事実が嫌になる。泣きつき、すがり付こうなどと虫のいい話だ。誰も月旦を慰めてはくれない。もう月旦は子供ではない。己を慰めるには己で動くしかないのだ。

 懐かしさよりも絶望が勝る。元気の無い月旦に、永く離れていたというのに、忠臣はすぐ気がついた。


「いかがされました…?顔色が優れないようですが…」

「…船の、長旅のせいだろう。波に揺られない陸で、丘酔いでもしたんだ」

「では薬師を…」

「いい。すぐによくなる」


 薬師など、大げさな。昔は過保護だと気付かなかったが、永くはなれてみると、涙由の過保護さが目につく。気が利くといえば聞こえはよいが、少々おせっかいだ。


「少し、静かな場所へ参りませんか。屋敷の向こうに野原があります。さあ、足元には気をつけて」


 足元に気をつけて、などと幼子にする忠告だろう。捻くれた月旦は心の内で悪態をつきながら、促されるまま屋敷を出た。涙由のすすめで丘の先へ向かう。頂上にはひらけた野原の大地が広がっていた。喧騒とは無縁の、野山の好きな月旦には心地のよい場所だ。おそらくそれを見越して、涙由はこの場所へ月旦を連れてきたのだろう。


「本当に、お久しぶりでございます、月旦皇子」


 涙由は人気のない大地で膝を折った。頭を下げて、月旦に跪く。


「顔を上げて、立ってくれ…もう皇子ではない。ただの月旦だ。皇子というのは忘れろ」

「…では、月旦さま」


 いっそ、敬称などいらないと突っぱねようかと思った。月旦皇子だった頃の自分など、思い出したくない。顔を上げた涙由と、まともに目線がかち合った。涙由は眉を寄せてつらそうな表情をする。何かと思えば、立ち上がって月旦の左耳に手を伸ばす。


「嘆かわしい…皇とはいえ自分のお子に…」


 涙由は花冠皇に悪態をつく。怒りがこみ上げるのか、耳に触れた手とは反対の左の手が、こぶしを作って震えている。


「対鶴が助けてくれた…お前が口添えしてくれたのだろう」

「ご無事で何よりです。彼にも、後ほどお礼を述べたいと思います」

「俺も、対鶴には感謝してもしきれない。涙由に船乗りの友人が居るとは意外だったが、」


 涙由と対鶴長は見た目も性格も似てはいない。豪快で快活な印象の対鶴長と、冷静で気品のある涙由。接点などなさそうに見える。


「…あれは、元は、船乗りではないのですよ」

「え…?」


 涙由はクスリと笑った。月旦は驚きに目を丸くする。船長として立派に仕事をこなし、群青に剣術の稽古までつけていたのに。それでは、対鶴長とは、一体何者なのだろう。


「彼と出会ったのは花冠でした。輝麗からの船に乗って、密航してきたところを私に見つかったのです。あれは皇子もまだお生まれにならない頃です。私も、親に手を引かれなくても平気になったばかりの頃でした」

「…密航?」

「それが今では、他人の密航、密輸を告発する…人の一生とは何が起こるかわかりませんね。彼は輝麗の皇子だった。幼い耳に光る金の輪、今でも覚えています」


 皇子…対鶴長が、この輝麗の皇子とは…。信じられない。月旦は驚きを通りこして狼狽した。


「家が嫌になったと、生意気な口は言っていました。彼は輝麗の第四皇子。皇になれない皇子だったのです」

「…まさか、そんな」

「夢のような話ですが、金の輪は彼の耳にあった。間違いありません。後に文献でも調べましたが、私が彼に出会ったのと同じ頃、輝麗では第四皇子・大千たいせんが神隠しにあったと騒がれたそうで…。もっとも第四皇子ですから、世継ぎに困ることも無く、騒ぎは収束したようですが」

「それから、どうしたんだ。涙由は、対鶴に出会って」


 月旦は涙由の言葉を急かした。まさかあの対鶴長が、自分と同じく皇子だったとは。しかもこの輝麗だ。話が本当ならばこの地は彼の故郷で、月旦らは今、対鶴長の、いや、大千皇子の故郷に居て、彼と一緒に彼の船で帰ってきたということになる。


「私も幼い頃ですから、両親に告げようと思ったのですが」


 幼いなりに、大千は賢い子供だった。自分の身の上を偽って、すでに見の置き場を確保していた。それが船乗りの老人で、船のいろはは彼に習ったという。涙由に出会ったのは運が悪かった。好奇心に負け、あの大きな屋敷はなんだろうと、柵の隙間から庭へもぐりこんだら、花冠皇宮だったというわけだ。

 しかし、涙由も事を荒立てるような真似はしなかった。どうか黙っていてくれと頼み込まれ、侵入者へ叫び声を上げるどころか、逆に庭からの抜け道を教えて、彼を港へ帰してしまった。


「それから何度か、子供しか通り抜けられない抜け道を使って、互いを訪ね合いました。私が皇宮で役目を果たす頃には、大千は対鶴と名を変えて、炎艇へ去ってしまいましたが」

「奇妙な縁だな…」

「ええ。あれがよもや、己の船を持つようになっているとは…。月旦さまのことがなければこの先一生、関わり合いにならなかったかもしれません。彼にとって私は人生最大の汚点。私が真実を告げれば何が起きるかわからない。ゆえに彼は私の頼みを何も言わずに聞いてくれたのでしょう」


 苦笑する涙由。対鶴長の手綱を上手に扱っている涙由に、月旦は尊敬した。無論、利害関係だけではなく、友人として心を開いているのは言うまでもないだろう。でなければ彼が月旦に優しいわけが無い。船に乗せてくれ、番司まで送ってくれるのは、他でもない涙由の友人だからだ。


「この話、どうか月旦さまの心のうちにとどめておいてください。口外したとあれに知れれば面倒なことになりかねませんから」

「…共犯、というわけだな」

「申し訳ありません」


 と、言いながら涙由は微笑んでいる。月旦はつられて苦笑した。


「ところで、例の彩色の小童は何者なのですか」

「…あいつは」


 真顔に戻った涙由に、群青のことを問われて戸惑った。ポツリ、ポツリと事のあらましを説明するが、夢のような話で、信憑性に欠ける。


「夢…その、姫君の夢は、今も見続けていらっしゃるのですか」

「…まぁな」


 夢は変わらず、毎夜毎夜同じように見続けた。群青に出会ってから、何回目だと数えるのを止めてしまったが、夢を見るときは必ず美しい姫君が湖の上で舞っていた。


「月旦さま…」

「なんだ…」


 涙由は改まって月旦を呼んだ。


「弦莱へ行くというのは、ご自分の意思ですか」


 核心を突かれた気がした。絶句した月旦の大きなつり目が見開かれる。


「その小童に恩も義理もない。帰りたくば花冠へ戻ることも、輝麗に留まることも可能です」

「……」

「本当に、弦莱へ行くつもりですか。花冠皇族も、あなたの身を狙っている。ならば、危険をおかして旅をするより、ここへ、涙由の元へ留まってはいただけませんか」


 問われて、月旦は答えることが出来ない。まして、自分の側にいてくれなどと涙由は酷なことを言う。涙由の申し出は願ってもないことだ。群青の顔を見なくて済む。昔のように、石ころを玉と思い込んでいた頃のように、虚しくも心の安寧が得られるのなら、縋ってしまいたいくらいだ。けれどそれではただの子供と同じ。自分は成長していないと認めたも同然。群青に負けたも同然だ。


「………」


 しかし、心の内に黒い塊を抱えた今よりはよほどましだろうと、心の片隅で誰かが月旦に囁いた。


「…何を、言っている…、お前には守る姫が居るじゃないか」


 それを押さえ込んだのは理性というものだろう。本能のまま涙由に泣きつけ、体裁もプライドも捨て、縋ってしまわなければ自分が壊れると思っていたじゃないか。そう囁く月旦の一方で、もう一人の月旦が囁く。そんなものその場しのぎに過ぎない、幼い大千皇子も自分で道を切り開いたのに、その倍以上大人のはずの自分が幼い姫から家臣を奪って、自分の身辺を守らせる?甘えるのもいい加減にしろ。


「月旦さまのためなら、姫君には暇を乞う次第です」


 真剣な顔で、めったなことを言ってくれるな。怒りと歓喜に身を震わせた月旦は、涙由の目が見れない。視線を合わせれば無条件に頷いて、輝麗に留まると言ってしまいそうだった。


「無茶な、生きていけないぞ。必ず後悔する」


 そんなこと、どの口が言ってる?自嘲に月旦の口元は歪んだ。


「いいえ。皇子の無事を思って天帝に祈るより、側に仕えてお守りする方が、よほど心労が減ります」


 涙由が始終側に侍って守らなければならないほど、自分は弱い存在なのか…。虚しくはないか?悲しくはないのか?お前が求める安寧は、そこにあるのか?


「……涙由、」


 自問自答の波が襲う。どちらの月旦もうるさく自分に問うばかり。どちらの言い分もわかるだけに、黙れと一喝することが月旦にはできなかった。

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