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君臣のドグマ  作者: 回天 要人
始章
17/51

輝麗編2

「さぁーて、張り切るかぁ!」


 飯屋の主人が細い目を見開いて驚いている。それもそうだろう、群青は彼の料理人人生の中で一番の大食らいに違いないからだ。群青は制止しなければ、店の食材を一食で食いつぶしかねない。そこで対鶴長、月旦の両者は考えた。店を一軒にするから被害を被るのだ、何軒もはしごすれば、きっと大丈夫だろうと。


「…甘かったな、月旦」

「全くだ…」


 青い顔をしているのは月旦だ。どうやら、群青が次々に口へ押し込む料理の山を見ていただけで満腹を通り越し、気分が悪くなったらしい。対鶴長は気分こそ悪くはならないが、三軒を過ぎたあたりからため息を吐きっぱなしだった。彼のため息は群青に場の雰囲気を読んでほしいという、対鶴長なりの気遣いだったのだが、飢えた群青はそんなことに気付きもしない。各店の客が「なんだあの小僧は…」と眉をひそめるのも心労になる。二人は刺さるような視線の波に十数軒付き合って、背筋が強張ったような心地さえした。大きく伸びをして、満足の深呼吸をしている群青とは、全く持って対照的だ。

 噂を聞きつけた野次馬が、最後の店を出てきた一行を好奇の目で見ていた。頼む量を分割しても、常人の五倍以上は頼む群青だ。しかもそれが近隣の飯屋を何軒もはしごしているとなれば、野次馬が集まるのも無理はない。一軒の店に甚大な被害が及ばなかったのは幸いだが、人々から珍しいものでも見るような視線を向けられるのも、また一つの問題だ。その上群青本人が全く気にした素振りを見せないのも、二人にとっては腹立たしい。


「青彩、大会には勝てよ。これで負けるなら、お前はもう輝麗の町に出るな。船の掃除でもしていろ」

「何だよ、横暴だなぁ」


 これだけ噂になって、大会で負けたとなれば自分たちまで恥さらしだ。あんなに昼飯を食うから負けたのだと陰口を叩かれ、連れの二人は何を呆けて眺めていたんだと、こちらの管理能力を問われかねない。しかし、対鶴長の言葉に横暴だなどと捻りのない見解をする群青。月旦はもう、苦笑しか浮かばない。群青に体裁を気にしろというのは無理かもしれない。


「今の状況を見て何も思わないか?今さっき俺が言った言葉、忘れたとは言わせないぞ。お前が見かけによらず体力馬鹿じゃないのは、剣を教えていてよくわかった」


 対鶴長はまたしても大きなため息を吐きながら、一歩手前を歩く群青の背に言った。群青は肩越しに対鶴長の顔を窺って、ニヤニヤと笑っている。馬鹿ではないと言われたことが、嬉しいのだろう。


「俺、あっちの学術館じゃ十本指に入ってたんだ。自慢じゃないけど、行く末は師教しきょうにって言われたこともあるんだぜ」

「師教ならば、子供の手本になれ。忠告を聞き入れないのは、導徳に反するだろう」

「はいはい、」


 師教というのは学術館に勤務する教師の呼び名だ。俗氏の子供は成人するまで学術館に通うのが一般的だった。師教という職業は国を担う次世代の人材を育成するためには欠かせないもので、師教になるということは国のすべて、そして人としての導徳を心得ていなければならない。したがって師教に就くことは誇り高い上、至極難関なのである。

 月旦は花冠の皇子であり、皇族は屋敷の中で専属の師教に習うのが慣わしで、学術館へは通わない。十本指というのがどれほどのものか、実際のところよくわからなかったが、群青の誇らしげな様子から、並大抵の能力ではたどり着けない地位なのだろうと思った。


「………」


 談笑する対鶴長と群青をよそに、月旦の顔は浮かない。主人の動揺に気がついたのか、牙城は立ち止まって主人の顔を仰いだ。月旦は道の真ん中に立ち尽くし、俯いている。


「おーい、どうした?」


 のんきな声をかけたのは群青だ。咄嗟に月旦は顔を上げたが、何食わぬ顔の群青と目が合って、反射的に顔を背けてしまう。


「…?」


 月旦と群青の物理的距離は五、六歩ほどだったが、月旦の中では、群青との距離が果てしないように感じられた。今は遠き故郷の花冠と、まだ見ぬ弦莱の地よりもまだ遠かった。

 悔しくてたまらない。よくよく考えれば群青の欠点は数えるほどしかない。体力、知力ともに兼ね備え、一人で故郷を離れ、長い旅に出る勇気も行動力もある。人懐っこい性格で、初対面の人間ともすぐに打ち解けるし、意思が固く、思考はいつも前向きで野心的だ。剣術だって、驚くほどの集中力で、対鶴長に食らいつくように教えを乞うている。

 逆に月旦は何が出来るだろう。夕食の鍋を運ぶのにも震える腕、他人を寄せ付けず、自分の殻に閉じこもり、仲間など牙城だけで十分だと虚勢を張ってずるずると花冠にまとわりついていた自分は、一体どれほどの価値を持っている?

 磨いても光らない石を、ぎょくだと言われていい気になり、それを信じて疑わなかった。ただの石だと気付いても、いまさらどうにもならないといじけて、磨かねばただでさえくすんでいる石を、磨くことすら放棄した。今の月旦は群青に比べれば、ただの石どころか、砂か砂利にも等しい。砂は風にさらわれるだけ。月旦は自分の意思で動いていない。群青が言うまま、流れに任せてここまで来てしまったに過ぎない。

 群青とともに居るのが辛い。目の前に本物の玉がちらついているのに、なぜ自分は砂しか持っていないのだろう。風にさらわれる砂をかき集めるのも億劫になる。この砂塵をどう捏ね回しても、目の前の本物の玉には適わないと諦めてしまっている。そうするうちに砂塵がどんどん減っているのにどこかで気がつきながら、朧な目つきで、もう仕方がない、今さら無理だと呟いている。


「月旦?」


 思案の底に居た月旦は、群青が五、六歩の距離を引き返して、自分の目の前までやってきたことに、声をかけられるまで気付かなかった。対鶴長は離れた位置で、二人の様子を壁に寄りかかりながら眺めている。自分は口出し無用と思っているらしい。


「…なんでもない」


 月旦は顔を背けたまま呟いた。その顔が嫌悪に歪められたことに、群青は気がついた。対象は月旦自身に対してか、それとも群青に対してか、始めに玉だと月旦に思い込ませた花冠の皇族に対してなのかは、月旦にしかわからないが、群青の目に映った陰りのある月旦の顔は、決して喜ばしいものではないと、群青には思えた。

 そんな顔を無意識に見せながら、なんでもないと言う月旦に、群青はもどかしさを感じてならない。悩んでいるのなら打ち明けて欲しい。まだ自分は、月旦の信頼に値する人間ではないのか。孤独な皇子の心は、二月ふたつき以上経っても、まだ殻の中なのか。

 二人の心には、仲間意識と同時に、互いに対するの感情も湧いていた。月旦は、群青を知れば知るほど力の差に打ちひしがれ、妬みや憎しみすら湧かせ、群青は、月旦の開かない心に、月旦自身が自ら心を閉ざしているのだと、見切りを付け始めた。すれ違う二人の心は、互いが歩み寄らない限り近づくことはない。彼らが本当に仲間になるときは、まだ先のようである。

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