炎艇編7
「隠し扉、か」
「船底だぞ、海の中に繋がってるんじゃないか」
「かもな。水に強い染料に変えてよかっただろう」
血痕をたどった先には何もなかった。しかし何もないと思ったのは群青だけで、対鶴長は突き当たった壁のわずかな切れ目に気がついた。闇の中でわずかな変化に気付くとは、対鶴長は夜目が利くらしい。対して群青は己が鳥目であると気付かされた。いつまでたっても、暗闇に目がなれず、ここまで歩いてくる間も、対鶴長との距離感がつかめずに何度か彼の背中へ顔をぶつけていた。しかし、それは対鶴長が不意に立ち止まるのが悪いと群青は思っている。血痕ははっきりと残っているわけではなく、ところどころ途切れており、対鶴長の目でも時折見失うことがあったのだから、仕方がないと言えるのだか。
隠し扉を開こうとした対鶴長を群青は静止した。群青は扉から水が入り込み、勢いに押し流される己と対鶴長の姿しか思い描けなかった。船乗りならば現在位置が海のどのあたりであるのか、群青よりもよく知りえていると思うのだが、対鶴長は平然とした様子のままである。
「水が入り込むならば、ここへ血痕は残るまい。その上この辺りは水浸し、もしくは船ごと沈みかけているところだ。安心しろ、海へ繋がっていはしない」
「じゃあ、どこに」
「さぁな。鬼が出るか蛇が出るか、それとも狼が吼えるか」
「狼?」
「扉に耳を付けてみろ。僅かにだが声が聞こえるぞ」
言われるがまま、群青は扉に耳を付けてみた。すると本当に扉の向こうで獣が吼える声がした。
「牙城か!?」
「とにかく開けるぞ。お前も押せ」
二人は扉を押し開ける。ずいぶん重い扉であったが、片一方の辺へ力を込めると、扉は面白いように簡単に開いた。力の加減がわからずに渾身の力で扉を押していた二人は扉の中へ勢いよく転げる。
「ってぇ…」
転げた拍子に頭を打った群青は、己の後頭部を擦りながら辺りを見回す。船底の底へ、更に一段空間が作られていたようだ。広い板間の空間に、牙をむいてうなっている牙城と、対立している男が数人。対鶴長は受身をとったのか、すでに立ち上がって刃を構えていた。
「相功の手下だな」
「対鶴長…まさかここまで追って来るとは」
男と対鶴長の会話を牙城が遮る。大きく吼えて、威嚇をしている。
「中元に聞乱、堂刻…上に残っていたのは捨て駒というわけか。相功の片腕ばかり揃って」
「さすがの貴方も三人相手では歯が立ちますまい」
「さて、こちらも三人だからな。と言っても俺の他は犬一匹に丸腰の小僧…こちらの分が悪いか」
自嘲する対鶴長に群青は抗議の声を上げようと、口を開いたが、一瞬早く相手の男たちが攻撃を仕掛けてきた。
「立て、青彩!最低でも一人は仕留めろ!」
「言われなくてもわかってらぁ!」
槍の男が一番群青に近い。群青は相功の片腕、聞乱の懐へ飛び込む。が、長い槍を盾にされ、思いがけず強い力で身体を跳ね飛ばされた。吹っ飛ばされて床へ叩きつけられそうになるが、不意打ちでなければ群青とて受身はとれる。すばやく切り返して飛んでくる槍の切っ先を次々にかわして行った。すばしっこさが取り柄の群青は、聞乱の切っ先を見切っていた。
「力で俺に敵うと思うな、…よっ!」
見切り、刃をかわした瞬間、槍の柄を片手で掴む。群青に掴まれた槍は、磁石にでも引き寄せられたようにぴたりと動きを止めた。
「馬鹿な…!」
「悪いな。ただの子供じゃないらしい」
群青はにやりと微笑むと、掴んだ槍に力を込め、小枝でもへし折るように真っ二つにした。武器がなくなればもはや群青の土俵だ。が、そこはさすがに手練れと言うもの、鳩尾を狙った群青の拳を聞乱は片手で受け止めた。
「!」
「手癖の悪い猿め…!大人をからかうなよ」
再び間合いを取って、群青は体制を立て直した。素手での戦闘も心得ているのか、知らない構えであるが、聞乱の構え方は手馴れた感じがした。
「そうでなくちゃ、つまんねーよな!」
更に闘争心を燃やした群青は、身の軽さと怪力で聞乱を押していく。強がっては居るが、群青の攻撃は一打が重い。致命傷を負わないように、押しとどめるのが一杯で、聞乱は反撃もままならなかった。受け止めると手足が痺れるのである。
衝撃に、一瞬聞乱は体制を崩した。隙は見逃さず、群青は右足を蹴り上げる。
「終わりだ!」
足の甲で聞乱の胴を捕らえた群青は、力のままに聞乱を蹴り飛ばした。飛ばした先には丁度牙城が居たのだが、牙城は飛んでくる聞乱の身体を蹴って群青の側へ駆け寄る。
「グォン!!」
「お前、月旦の居場所がわかるか!?」
返事のように牙城は吼え、そのまま駆け出した。
「対鶴!後は任せたぞ!殿はお前の担当だったよな!」
「船長も付けろ、馬鹿!」
対鶴長の声を聞きながら群青は牙城の足に必死でついていく。さすがに四本足は早い。本気で走らなければ姿を見失いそうだった。板間の空間を駆け抜けると、再び壁に入り口があった。しかしこちらは大きく口を開けたままで、奥へ奥へと通路が続いている。牙城は迷うことなく通路を駆け抜け、群青もついていく。
「なんだ、この通路…海の中でも通ってるのか?」
こんなに細工を施してしまっては、船を出港させることなど出来るのか疑問である。この船で月旦を外国へ連れ出すつもりだと思ったのだが、そうではなさそうだ。
とかく、月旦よ、無事であれ。群青の中で芽生えた仲間意識は、今回の騒動で大きく成長したように思えた。