炎艇編5
真夜中の零時。満月が照らす港には松明の明かりが灯り、真夜中であるにも関わらず賑わいを見せていた。夜行で航海を行う船もあれば、今しがた荷物を乗せて到着した貨物船もある。船の前には荷物や人がごった返し、その光景が群青には祭りの催しか何かにも見え、妙にわくわくしてしまうのだった。浮ついた心を見透かされたのか、隣に佇む対鶴長に軽く頭を叩かれる。
「何すんだよ!」
「気を引き締めろ。奴らだってここでしくじれば大金を手放すことになる。あと数時間で出港の今が一番気を張っているに違いない」
「どうせなら警戒の薄いときを狙えばよかったのに」
「力試しだ。あまりに敵が弱くてもつまらんだろう」
「ふん。それもそうか。丁度花冠の刺客が弱すぎて物足りないと思ってたところだ」
群青は対鶴長にもらった染め粉で髪を染め直した。ためしに一度水につけて擦ってみたが、対鶴長の言うとおり色が落ちることは無かった。髪が痛むという忠告は気にはなるが、今は水に濡れても平気な方がありがたい。今後船旅で水と近しくあるのならなおさらだ。ついで眼鏡とやらもかけては見るが、あれでは逆に珍品である眼鏡に視線が集まって青の瞳を目立たせかねないと思えたので、船の中へ置いてきた。今は辺りも暗いので、おそらくばれはしないだろう。
「丸腰でいいのか」
「丸腰以外で戦ったことがないんだ」
「そいつは結構だな」
言いながら対鶴長は相功の船の船員に声をかけた。顔見知りの様子で、にこやかに話していると思えば、
「しばらく眠っててもらおうか」
「え?」
世間話を続けるが如くにこやかにそう言った。言うなり瞬く間に剣を腰から引き抜き、逆刃で相手の腹を打つ。衝撃にうめき声を上げそうになった船員へ、今度は刀の柄で鳩尾を一突きした。船員は白目を剥いてその場に倒れこむ。
「見張りは一人だ。牢は船の最下層、俺が殿を守ってやるから、お前はとにかく下を目指して突き進め」
「あんたの戦う敵が居なくなっても知らないぜ」
「そいつは頼もしいな。いいから早く行け」
対鶴長に背中を押され、勢いのままに群青は走り出した。真夜中でも船内は警戒心も高く、対鶴長の言うことは本当であると群青は思った。眠っている船員など居はしない。扉を開け放ち、廊下を駆けるうちにどれだけの数の船員と戦っただろうか。群青は剣や槍で応戦する船員に、腕にはめられた手甲のみでやり返した。怪力のおかげと手甲の強靭さで船員の武器が次々駄目になり、武器の無くなった船員に勝つことは体術に長けた群青にとって容易いものであった。
「まるで猿だな」
「それが取り柄なんだよ」
ちょこまかと敵を交わし、急所を打っていく群青に、背後から対鶴長が声をかけた。本当に戦う敵が居らず手持ち無沙汰なのか、湾曲した平たい刃は右手に握られ、刃先は右の肩に乗っているばかりだ。
「どれ、俺は牢屋の鍵でも奪ってくるか。この様子なら一人でもかまわないな?」
「当たり前だっての」
「調子に乗ってヘマをするなよ」
丁度群青の背丈の二倍はありそうな大男を倒したとき、対鶴長は廊下の右へ曲って行き、群青の視界から姿を消した。
大男が最後の砦だったのか、駆け抜けてきた廊下がシンと静まった。
「さて…下へ行け、だっけ」
階下へ続く道を探すと、対鶴長の船と同じく船長室と書かれた扉が見えた。相功の部屋だろう。部屋の目の前で騒いでいたというのに、扉からは物音一つ聞こえない。もしや部屋は留守なのだろうか。警戒しているはずだが、船長が居ないとは些か不自然に思えた。
好奇心もあって、群青は船長室の扉を開けた。予想に反して鍵は掛かっていない。ますます無用心だ。
「……なんだこりゃ」
船長室は一言で言えば豪華絢爛だった。調度品と宝の山、金貨が無造作に寝台の上へ転がっていて真珠や玉など、高価な宝石類も散らばっている。机や椅子も派手な装飾で飾られ、天井には煌びやかな燭台がある。床は絨毯敷きだ。
それらの中で群青の目を引いたのは、同じような金の輪が並べて置いてある硝子の箱だった。数にして十数個ほどか、硝子の入れ物へ大事そうに飾られている。用途がわからないが、本物の金で出来ていることはこの扱い方から察することが出来る。
違和感があるのは、硝子の箱の一角が、はかられたように空間を空けていることだった。まるで残り一つの金の輪を収めれば、その箱がきちんと埋まるかのような、妙な隙間が開いているのである。群青は首をかしげるが、これも相功の趣味か何かだろうと思って、誰も居ない部屋を後にした。
大男を倒してから、ぱたりと敵が居なくなった。階段を降りると薄暗い廊下が続くばかりで、途中の階には用事もないので、群青はひたすら階段を下へ下へと降りて行った。あまりに静かなので、まさか対鶴長に謀られたかと思ったが、最下層に着いたとき、丁度対鶴長と鉢合わせした。鍵が根こそぎなくなっていると、怪訝な顔で言った。が、群青も負けず劣らず、眉根を寄せて言い返す。
「この船、妙だぞ。本当にここに居るのか?」
「この船は相功のものに間違いない。報告に寄れば相功も月旦皇子もこの船からは出ていないということだ」
「けど、船長室は空だった」
「相功は自身も腕が立つからな…牢の前で待ち構えているかも知れない」
「本当かよ」
暗い石の廊下を進むと、鉄格子で覆われた牢が見えてきた。黴臭く、湿っぽい。そのうえ人の居る気配が無い。見張っている人物も居ない。
「月旦!」
群青は月旦の名を呼んだ。が、返事などあるはずもない。
「逃げられた…のか?」
群青は振り返って、対鶴長を責めるように睨んだ。しかし対鶴長は真剣な表情で辺りを検分している。群青など見ても居なかった。
「血の臭いがかすかにする」
「……」
対鶴長はいくつかある牢の中を一つ一つ確認しながら淡々と呟いた。群青は鼻を利かせて辺りのにおいを嗅いだ。思いつく最悪の事態を頭に描きながら、急いた様子で対鶴長へ言う。
「…まさか、殺されてるんじゃないだろうな」
ようやく群青の目を見た対鶴長は、一見焦りの表情は見えないものの、普段の余裕綽々な態度消え去っていることから、幾ばくかの不安は感じているようだった。
「わからん。確かに俗氏の外へやりたいのなら、ここで殺してしまっても同じことかも知れない」
「あのなぁ!無事だって言ったのはお前だぞ!」
「いいから、お前も牢を見ろ。瀕死が屍に丁度かわる時かもしれないぞ」
言われて群青も牢の中を確認する。暗くてよくわからないが、目を凝らしてどうにか判断する。
「青彩!人だ!」
「何っ!?」
すると対鶴長が叫んだ。側へ駆け寄ると、確かに牢の中へ人が居る。気を失っているのかぴくりとも動かない。が、明らかに月旦ではない。この男は子供ではなかった。
「…丈利?」
対鶴長が呟く。群青は目を凝らした。灰色の髪は括られ、着物や括袴は夕方見たものと同じだった。床へ転がり、口から血を流している。においの原因はこれか。
「丈利の奴、俺たちに勘付かれたことを咎められたか」
「それじゃあ、月旦は」
「おそらく、この船にはもう居ない。海にでも逃げたのか…入り口は見張っていたのに、相功め」
「悪態ついてる暇か!お前を信じた俺が馬鹿だった。やっぱり早く助けに行けばよかったんだ!月旦が死んだらお前のせいだ!」
「わめくな。まだ決まったわけじゃないだろう」
「これからどうするんだよ」
「見ろ」
言って、対鶴長は床を指差す。群青は屈んで指が示すものを見た。
「血痕?」
「生乾きだ。これは丈利のものじゃない、少し前まで居た別の誰かの血だ」
「……廊下の先に続いてる」
「月旦皇子のものだとしたら、幸運なのか不運なのか…とにかく追うしかないだろう」
「本当に、これが手がかりなのかよ」
「わからん。信じないのならお前は戻れ。俺は行く」
対鶴長は暗闇が広がる廊下を進んだ。数歩先まで進むと、闇に紛れて対鶴長の姿が見えづらくなる。
「…待てよ!俺も行く」
群青は早足で対鶴長の背を追った。