弦莱編①
俗氏大国才華州弦莱─────
人口三億四千万人、巨大都市の才華であるが、弦莱は不自然なほど小さな集落だった。それというのも弦莱は特殊な土地で、彩色一族の血族以外は住む事を許されず、また出て行くことも叶わない場所であるのだった。ゆえに長い歴史を持ちながらそれほど発展することもなく、むしろ己の一族の者しか人間が居ないため、文明的に遅れをとっていた。才華のその他の集落では「頑固アタマ」と弦莱の人間をからかう文句がしばしば聞かれていた。が、弦莱の者がその事実を知るはずも無い。彼らは弦莱という名の鳥かごに留まって居るばかりで、外の世界を知らない、知りえない。逆にたとえ籠の中に色鮮やかな鸚鵡が居たとしても、弦莱の者以外、誰も知ることは叶わない。「頑固アタマ」というけれど、実は名君が潜んでいてもおかしくなかった。馬鹿なのは弦莱の人間か、それとも外の人間なのか。実際のところ五分と言えるだろう。
弦莱の籠の中、群青はため息を吐いていた。年の頃は十五、六、猿のようにすばしっこく、また頭の切れる少年で、短い群青色の髪が人目を惹いた。中肉中背、頭の色以外特に目立ったところは無い。だが、その髪の色がまさしく彩色一族の証であった。一族の者は群青色に限らず、皆さまざまな髪の色を持った。彩色一族の者はどういうわけか蘇芳の頭から萌黄の頭が生まれたりする。とにかく色鮮やかな髪の色、俗氏の人間は大半が灰色の髪を持つというのに、目立って奇抜な色の髪を持つのが彩色一族であった。けれどそれ以外はただの人と変わらない。
群青は一族の馬鹿さ加減に気付き始めていた。何ゆえ籠の中で暮らさねばならないのか、灰の髪と混ざっても、そろそろよい頃ではないのか。悪戯好きの少年は、掟に背くと知りながら、時折弦莱を抜け出して、外の世界を探検していた。外の人間が彩色一族をなんと言っているのか知ったとき、他人に言われずとも承知していると、さして腹立ちもせず「頑固アタマ」を聞き流したくらいだ。ちなみに外を探検するときは灰を被って浮浪者を装い、同時に群青色の髪を隠した。
「浅葱は己の名が滑稽だとは思わないか?」
群青は高床の屋敷の廊下から素足を出して、朱色の手摺から顔を覗かせた。屋敷の前に広がる広い庭には紅葉の葉が散り、砂利を敷き詰めた鼠色の地面に彩りを添えていた。朱色の高欄はまるで忌々しい弦莱を模した籠のようで、群青はますます気を滅入らせた。
庭に散る紅葉をつまみ上げ、次々に拾い上げているのは群青と同じ年頃の少年だった。俗氏の流行りの普段着、半鐘という頭から被って着る身体より一回り大きく作られた着物を着ている。下肢には括袴を履き、素足のまま庭を歩き回っていた。群青には何が面白いのかわからないが、浅葱は植物の葉を集めることが趣味である。
浅葱は群青に問われ、キョトンとした顔で言ってのけた。
「いいじゃないか別に。例え滑稽でも僕らには抗うことも出来ないし、抗う気力の無駄じゃない?それに僕個人で言えば浅葱って名前は気に入ってる」
彩色一族は単純だ。浅葱の髪なら浅葱、群青の髪なら群青と名づける。同じ色の髪が生まれたらどうするつもりなのだろう。けれど今のところ、どの色も一つとして同じものはない。それに群青は天帝の陰謀を感じて仕方がない。名前くらいなんだっていいだろうと思うのに、髪の色を名づけることも一族の中では周知の掟であった。ゆえに髪が生えるまで赤子に名前が付けられない。
「お前は籠の中の鳥で不満はないのか?才華はもっと広い、俗氏で言えばどれだけ巨大か、お前は知ってんのか?」
「それくらい知ってるよ。いくら馬鹿一族でも才華の教育基準くらいは満たす。巨大な国だってことは手を引いてもらって歩く子供だって知ってるでしょ」
己の一族を馬鹿一族と言ってしまう浅葱もまた、群青と同じく一族のおかしさに気付いていた。彩色一族の掟が当然常識と考えるのは幼い頃から彩色に染まっている大人だ。特に長老はすでに感覚が麻痺しているとしか思えない。頑として外へ出るなの一点張り。何ゆえと問い詰めても掟であるからと返ってくる。意味がわからない。だけれど群青は最近白髪が増えてきた長老が、自慢の朱色の髪の見事に斑な様子を外へ知られたくないのだろうと勝手に理由をつけた。晩年自分もああなるのだとしたら、群青はさっさと諦めて頭を丸めようと思う。
「不満といえば、弦莱には無い植物が外の世界にはあるかもってことくらいかな…別に広い見識なんてなくても弦莱にいれば弦莱の中で無条件に保障された生活が出来るし、皆身内だから気安いよね。逆に僕らが弦莱以外に出て行ってまともに暮らせると思う?僕らは外のやつらにとって所詮は頑固アタマのいかれ野郎だよ。君みたいに灰被って暮らすのも御免だね」
「別に、灰被って暮らしたりしない」
「じゃあ群青色を灰色にでも染め直す?僕は浅葱色のままがいい。灰色なんて味気ない」
群青は幼い頃から浅葱の髪の色を見慣れているが、外の者にとってその色は奇抜すぎるのではないかと思う。名前同様、浅葱は己の髪の色を好いているようで、男の癖にずるずると長い髪をしている。背の中ほどまで伸ばした髪は束ねられもせず、風が吹くと時折なびいた。
「染め直さなくても馴染めるような、才華に溶け込めるような一族がよかった」
「嘆いても無駄だよ。僕らは僕らでしかない。色つきの一族を隔離した才華こそ恨むべきかも。僕らは悪くない」
「何か理由があったはずだ。じゃなきゃ俺たちがどうして籠の中に居なきゃならない。頭の色以外はただの人と同じだろ」
「理由なんて今更じゃないか」
「それでも、起源を探れば外にだって出られるかもしれないだろ」
「無理に出ようとしなくっても…まぁ君は野心家だから止めても無駄かな…。調べたいなら調べたらいいんじゃない、頑張ってね」
「協力する気ゼロだな、お前」
「桜姉さんに怒られるのやだし」
「臆病者!」
群青は立ち上がった。浅葱を見下ろして捨て台詞を吐くと、廊下をずんずんと進んだ。背中で浅葱が「うるさいよ」とわめいていた。それでも食って掛かったりせず、群青を追ってもこないので浅葱は臆病者で間違いないかもしれなかった。
桜というのは浅葱の姉で、群青にとっては従兄弟である。しかし従兄弟など多すぎて、すれ違う子供はほとんどが群青の従兄弟であった。そして従兄弟でなければそれはもれなく兄弟である。
彩色一族の起源を探ろうにも当てはなかった。長老に尋ねてもおそらくいつもの昔話しか話さないだろう。弦莱に頑なに引きこもって早数百年。彩色一族の歴史は案外長く、創世期の人物など生きているはずも無い上、文明が遅れているため歴史を文章に残すこともしてこなかった。口で語られた物語は紆余曲折、誇張と変遷を経て全く別物語になっている。最有力の話の冒頭が「鸚鵡の羽に天帝の涙が一滴…」だ。こんな話、誰が信じるだろう。
弦莱を知るには、弦莱に居ては無理だ。もし彩色一族の起源に関する文献があるとすればそれは弦莱ではなく弦莱の外、才華のどこか、はたまた俗氏のどこかの州、どこかの集落だろう。
群青は人知れず外の世界へ出て行くことを決めた。この決意は浅葱にも話せない。誰にも知れず真夜中にこっそり出て行こう。幸い群青はこれまで幾度と弦莱を抜け出している経験がある。苦無くいけると思われた。しかし今までのように灰を被るわけには行かない。浮浪者では才華の機密文書など見せてもらえないだろう。いい気はしないが、外の者に倣って灰に染めるのがいいかもしれない。