1章7話 命を繋いだ選択
渦が回る。
白い光が歪み、足元が再構築されていく。
自ら進んだこの幕間。
この渦の先の場面はもうわかっている。
変える。
変えたい。
いや…戻りたいんだろうな。
全てを閉ざす前の自分に。
視界が徐々に戻る。
ここは実家のマンション。
20歳の3月、あの頃の自分の部屋だ。
集め始めたばかりのウイスキーのレアボトルと憧れだった選手のポスター。
ー 懐かしいな…。
外に目を向ければ窓からちらつく風景はもう暗い。
時間は18時を回ったところだ。
この後の予定は、高校時代の友人とのフットサル。
その準備をしているのが今このタイミングだ。
結局フットサルに行ける事は無いのだが。
そしてこの数十分後、半生を捨てることになる選択をしてしまう。
ー だからここで変えてしまえば望む人生には近づくはずだ。そうであって…ほしい。
今回は自分で選んだ場面であるが故に、明確な意思がもう既にある。
変えたい、そう願い挑むのは彼女との始まりの場面。
後に結婚し、離婚することになるその人だ。
彼女との関係性はアルバイト先の先輩後輩。
2つ下の輝志が後輩だった。
特段親しくしていたわけでもなく同じアルバイト先の人、という認識以上のものは何も無かった。
この時点で知っていることと言えば、2つ上で就職も決まっていてアルバイト先への在籍は今月まで。
彼氏はいるらしいが冷めた関係になっている。
家の方面は真逆で電車なら諸々含めて1時間半はかかるくらいの距離感。
アルバイト先での印象に残っていた事といえばオーダーミス応対後のバックヤードで『絶対間違えてないのに』という感情的な呟き。
感情に素直な人なんだろうな、といった印象だったと思う。
彼女について知っていることや思っていたことはそんなところだ。
そんな彼女との関係の始まりが、現実の自分史では家を出てエレベーターを待っている最中に届くメールだった。
忘れもしないあのメール。
どうしてあの時あの選択をしたのだろうと後悔し続けた。
ー こうしてればよかった、そう思い続けたことを今度は必ず…。
そう決意して輝志は懐かしのガラケーが震えるのを待った。
そしてベッドに横たわること5分。
握りしめたガラケーが震えた。
その時が来たのだ。
2つ折りのガラケーを開きメールを確認する。
内容なんて見ずとも覚えているが、前半部分の取って付けたような部分を飛ばして要点だけ捉えればこうだ。
『あと10分くらいで着くからどこに行けば会えるか教えて』
なんの脈絡も、事前の約束があるわけでもなくこのメール。
会うことはもはや前提になっているあたりに背筋を凍らさせられる。
ー こうまで全部が自分で完結するやつって…今改めて見ても本当にゾッとするな…。
そんなことを感じながらも輝志は考えていた返信を打ち込む。
『さすがにそんな急に来られても無理です。それに彼氏いる人と2人で会うとかもないですし、その行動ができる人と関わりたいとは全く思わないので。』
急に来られても無理、これは現実においてこの女が誰彼構わずよく言っていたとりあえずの責めセリフ。
お決まりのセリフ、否定の出来ない現状、可能性の排除とわかりやすく提示した、1通で切り捨てるつもりのメールだ。
送信ボタンを捻るように押し、閉じたガラケーを放り投げ、身体は再びベッドへ。
ー どうせ読む気が全く起きない感情だけの長文でも送ってくるんだろうな。
自分の意に沿わなければ、攻撃されたと判断して感情で殴りにくる。
長年耐え続けた経験で、そんなあの女の性質はわかっていた。
そしてそんな感情の暴論に対して反応してやる必要もないことも。
どんなに筋道立ててみたところで、会話が成立することなどないのだから。
数分が経ったが、まだガラケーは震えない。
壁に掛かる時計の秒針の音だけが部屋に響く。
輝志はおもむろに立ち上がり、棚にある小さなアロマキャンドルに火を灯した。
そして部屋の電気を消した。
キャンドルの香り、ゆらめく灯り、秒針の音。
心地の良い、独りの静寂がそこにはあった。
気付けば時計の針はもうすぐ19時を指し示そうとしていた。
ガラケーは未だに震えない。
変わらない静寂だけが続いている。
ー これだけ待って返信来ないなら諦めてくれたんだろうか?そんな物分かりのいい人間じゃないはずなんだが…。
期待と不安が入り混じる。
キャンドルがどんどんと溶けていく。
ガラケーは変わらず沈黙を続けていた。
そしてとうとうキャンドルがその役目を終え、燃え尽きてしまった。
輝志はその様子を横目に見て、一つの結論を下した。
ー もう返信は来ないだろうな。やりきった…はずだ。
拍子抜けではあったが、今回の目的は果たしたであろうと思えた。
そしてゆっくりと立ち上がり、現実では生産も販売も終わっている、もう手にすることができない1本のウイスキーを手に取りストレートグラスへと注いだ。
杯を掲げ、スワリングして口をつける。
ー 相変わらず美味いな…。あとはこの結果を見るだけ。
もう終わった。
そう思い勝利の美酒にも手をつけた。
きっといい結果にしかならない。
そんな期待を胸にゆっくりと目を閉じ、時間を進める決断をした。
目を開けるとそこは見慣れた現在の自宅…ではなかった。
そこは当時のアルバイト先のバーカウンターだった。
ー どういうことだ?まだ何か足りてないのか?
状況が掴めず混乱する輝志。
すると、オーダーシートが印字される音が聞こえた。
それに目をやると、印字された日付から件の日から3日後であることがわかった。
半ば条件反射でオーダーのドリンクを作ろうと身体が動いた。
しかし思考はまだ続いている。
ー あれから3日後…何かあったか?記憶に残ってることなんて何もないはずなんだが。
記憶を辿るが答えは出ない。
手元だけは動いているが、脳内は何も答えを得ない。
そうこうしているうちにドリンクを作り終え指定のテーブルへと運ぶために輝志はグラスを持ってホールへと出た。
いつも通りの賑わいの中を歩き抜ける。
目的のテーブルへ辿り着き、空いたグラスを下げて注文のドリンクを置き戻る。
全てがなんら変わりのない光景。
空きグラスを持ったままバーカウンターへと戻りかけた時、コンコンという少しだけ高い音の足音が背後が聞こえた。
次の瞬間、背中に冷たさと熱さの入り混じった衝撃が走った。
ー なに…が?
その衝撃が引き抜かれる感覚と共に輝志は倒れた。
そして動きの鈍い身体を無理矢理起こし衝撃を感じた箇所を触ると、手は赤く染まっていた。
ー さされ…た?
状況を理解した。
目線を背後にいたその犯行の主へと向ければ、当然のようにそこにいたのは血濡れたアイスピックを持ったあの女だ。
そして、凶行は終わらない。
座り込んで対面した輝志に対し、馬乗りになった女は何度も何度も繰り返しそのアイスピックで差し続けた。
何かを言っている。
『バ…にして』
『…まで…ったのに』
輝志の薄れゆく意識ではその言葉を断片でしか理解することはできなかった。
唯一理解できたのは
ー これが…けっかってことか
この1点のみ。
そして輝志の意識は完全に消えてなくなった。
ー しろい…ひかり?
輝志は閉じた瞼の外の世界に白い光を感じた。
ー びょういんなのか?
滅多刺しにされたことは覚えている。
あの状況から命が残ったとは思えないが、意識は確かにある。
輝志は目を開けた。
周囲を確認しようと頭を動かそうとした時、唐突に声がした。
「おはよう輝志!ドラマチックな夜だったね!」
「ルピナ…の部屋?」
「そう!僕の部屋さ。最後の記憶は?」
「アイスピックで滅多刺し。」
「ちゃんと覚えてるみたいだね。誰にやられたんだい?」
「あの女。」
「そうさ!つまりはこれが今回の結果ってことだね!」
「俺は…死んだよな?ああ…そうか。だからここにいるのか。」
「もう頭の回転は戻ったみたいだね!その通りだよ。」
「感情の爆発は実力行使…考えなかったわけじゃないがあんな場所でやるか普通。」
「結局のところあの時現実でとりあえず受け入れるって選択をしたのは肉体的な命を確保する結果になっていた、って証明ができたから良かったじゃないか。」
「結果的には心が死んだけどな。どんな選択をしようと心か身体のどっちかが死ぬって地雷にも程があるだろ。」
「まぁそんなどう足掻いてもバッドエンドな出会いも中にはあるのが人間社会ってことさ。で、輝志はこの結果に満足かい?」
「そんなわけないだろ。」
この回答にルピナは満足気な笑顔を浮かべ、立ち上がって言った。
「じゃあ泣きのもう1回ってことで行ってみよーか!」
「ああ。次はもう根本から別の道を選ぶことにする。」
「ふーん、なるほどね。なら、いってらっしゃい。」
例の如く、ルピナが指を鳴らすともはや見慣れた渦が現れた。
その渦へ、何の迷いもなく真っ直ぐに輝志は飛び込んで行った。
渦の光が閉じる。
色も温度も動きも吸い取られたような白い部屋に、再び静寂が満ちていく。
ルピナはゆっくりとソファへ腰を下ろした。
その動きには感情の兆しがない。
疲労でも、安心でも、期待でもない。
ただ、座るという動作だけがそこにあった。
天井を見るでもなく、目を閉じるでもなく。
視線はどこにも定まらないまま、静かに宙へと置かれている。
テーブルの上のコーヒーカップから、小さな湯気が上がっていた。
その細い白煙だけが、唯一動くもののように揺れていた。
ルピナはただ、それを観ている。
輝志の旅路の続きでもない。
期待でも失望でもない。
対象の消えた空間を、ただ静かに、ただ淡々と。
その沈黙はどこまでも深く、どこまでも無音で。
湯気は薄れていき、やがて消えた。
白い部屋は、完全な静止へと戻っていった。
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