1章2話 無垢の異物
コーヒーカップから立ち込める湯気が2本。
遠目に見れば均整の取れた空間で唯一の非対称が向き合い座っていた。
白い空間と静寂の中にある異物。
その静寂を破ったのは先にコーヒーに口を付けたルピナ。
「うげー。輝志の記憶に合わせてそのまま飲んでみたけど、こんな苦いのよく飲めるね。」
「ミルクと砂糖入れたらいいんじゃないか。人様の記憶覗けるならどっかにそんな記憶もあるだろうよ。」
頭に指を当て遠くを見る目をするルピナ。
そして指を鳴らすと、出てきたのはよく見るミルクポーションとスティックシュガー。
その全てを入れると勝手に中のコーヒーだけが回り混ざり合う。
「うん!これなら飲めそう!さて…話そう!何から聞きたい?」
「…毒気抜かれた気分だよ。」
ため息混じりの俺の声にルピナは無邪気な笑顔で答える。
「それが目的の為でもあるからね。良い対話の為には場も心も準備は必要さ!で、質問は?」
「ルピナが俺をここに呼んだ目的は?」
「端的でいいね!僕は君…輝志が望む世界を見てみたいんだ。」
返す言葉が見つからない。
凍った頭を溶かす為に口に含んだコーヒーを飲み込む喉の音だけが静寂を相手する。
そんな俺を見ながらルピナがこの静寂を破る。
「せっかく2人きりなんだから黙らないでくれよー!そんなに思考が止まるようなことでもないだろうに。」
「…すまない。なんて答えるべきか何も思いつかなかったんだ。」
「素直に謝罪する姿勢は好きだよ!ただ、そんなに正解を探そうとする必要もないよ。間違いの積み重ねの先に新しいロジックが完成することなんてざらにあるんだし、何より対話が進まない。」
「間違いの積み重ね…か。まぁそれは置いて、俺の望む世界を見る、ってことはゼロベースで世界を作るとかそういう話か?」
「それはそれで見てみたい気もするんだけど、作り直すとか改変がイメージに近い言葉かな?ゼロから作るのはもうやった結果があるわけだし。」
「まるでルピナが作ったような言い方だな。」
「僕は神。だからなんだって出来るんだよ?」
「ならルピナが望むように作り直すのが1番手っ取り早いんじゃないか?」
「それだと何も面白みがないじゃんか!それに…。」
そこまで言い掛けてルピナはコーヒーをティースプーンでかき回し始めた。
そのコーヒーの渦は止まる事なく回り続け、やがてその力に耐えかねたカップが音を立てて弾け飛んだ。
ルピナがその様を一拍見つめ指を鳴らす。
そうすると弾け飛んだカップの残骸もテーブルを濡らすコーヒーも全て消えた。
「ね?壊れちゃった。形って思ってるよりも脆いんだ。こんな結果のわかりきってることって何も面白くないでしょ?だから僕が僕の意思で君達の世界に手を加えるのは選択肢から外れるんだ。」
「でもそれを俺にやらせるのはルピナの意思だろ?同じことじゃないか。」
「それもさっきのコーヒーと同じ。輝志の提案があってミルクとシュガーを追加した。その結果コーヒーという土台ありきで新しい味になった。もし僕が僕の意思だけで同じ結果を得ようとすると…」
ルピナはもう一度指を鳴らした。
すると弾け飛んだ同じカップに同じようにミルクとシュガーの入っているであろうコーヒーが現れた。
「こうなるわけさ!最初からこうだった、って感じにね。面白さも美しさもないただの結果。けどそこに輝志の意思があるだけで入れて混ぜるという過程が生まれて新しい結果とその過程の学びを僕は得た!ついでに輝志の手元にはベースになった土台があって並べて見ることもできちゃうおまけ付き!なんてお得!」
ここまで語りルピナは悦に入った顔でコーヒーを一口。
そんなルピナを見て俺は一撃放り込みたくなった。
「 つまり俺が俺の意思で何かを変えようとジタバタしてるのを、そうやって甘いコーヒーで寛ぎながら眺めて愉しみたいとそういう解釈でいいか?」
「それじゃあ棘と悪意しかないじゃない。僕はね、ここまで人間を観てきて飽きが来てるの。ずーっと同じことの繰り返しって飽きちゃうでしょ?」
「それはわかるが…だから滅ぼすってことか?」
「そうじゃないよ!考える余白が欲しいんだ。どんなことだって色んな視点から見るのは大事でしょ?だから人間である輝志、君の望む世界、もしくはこれまでの世界の間違いとでも言えばいいかな?そういうのが見たいんだ。」
「要は検証材料が欲しい…ってことか。じゃあ他にも同じようにルピナに呼ばれてるやつはいないのか?」
「いないよ!さっきも言ったように基本的には干渉したくないからね。」
「なら何故俺はここに呼ばれてるんだ?」
「いい質問だね!それは輝志と僕の思考が似ているからさ!そんな輝志を呼び出しても問題がないタイミングだったってだけのことさ。」
「軽く言うなよ。理解が追いつかない。ちゃんと説明してくれ!」
少し荒くなった語気に対してルピナはゆっくりとカップを手に取り一口。
ソーサーへ置く陶器の音の後、その口を開いた。
「しょーがないなー。じゃあ順番に行こう!輝志の最後の記憶は?」
「家で1人で寝てたはずだ。」
「だよね!つまり君…輝志がここに来ていたとしても君たち人間の世界への影響はない、って言えるだろう?」
「それは一旦受け入れよう。それで?思考が似ているってのは?」
「既存の価値観や感情に左右されず合理的な判断をすること、が1番かな。それに輝志…君は今の人間社会を良いものだなんて少しも思っていないでしょ?」
「それは…そうだ。」
「だから人間という立場で似通った思考と不満を持つ輝志がどういう世界を望むのかを見たいんだ!何も難しく捉える必要なんてないんだよ。」
「言ってることのスケールが大き過ぎるんだ。それに俺がそれをやってみたところで俺に何のメリットがある?」
「メリットねぇ…。じゃあこうしよう!何かしらご褒美あげるよ。ついでに輝志が変えた事象もそのまま反映してあげよう!これなら輝志に十分なメリットがあるって言えるんじゃない?」
「それは…俺の意思ありきになるから世界を消滅させるような事にならない、ってことでいいのか?」
「そう!さっきのコーヒーと一緒さ。理解が早くて助かるよ!で、やってくれるの?」
「それは…今ここで即答しなきゃダメか?」
「んー…じゃあ明日の夜また呼ぶから1日君達の世界をちゃんと見てきたらいい。それなら輝志の決断材料になるかな?」
「まぁ悩んだとてな気はするからそれで構わない。厚意に感謝するよ。ここに来るには何かする必要あるのか?」
「ないよー!僕が勝手に呼ぶだけだから来るのも帰るのもばっちり送迎付きさ!」
「…至れり尽くせりだな。じゃあ今日は帰らせてもらうよ。」
そう言い立ち上がるとルピナから最後の一言。
「良い返事を期待してるよ!おやすみ。」
その言葉が聞こえた次の瞬間、視界は白い光で満たされた。
輝志の去ったルピナの部屋のテーブルに残る2つのコーヒーカップ。
初めからそこにあった黒い液体の入った形跡のあるそれと、大半が残っている途中で新たに作られた乳白色の2つ。
この2つを無言で見つめるルピナ。
響いたのは指を鳴らす音。
その音の後にはもう何も無かった。
テーブルもソファーもカップも。
そしてルピナの姿も。
ただ真っ白な静寂だけがそこにはあった。




