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鳴き止んだ夜の底で  作者: 無響 朽真


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2章4話 歪まぬ言葉

約30年の歴史を『傍観者』として観察し、救世主は民衆の救世主、その死を見届け行くべき道を見出した。


『傍観者』から『改変者』へ。

歴史への介入がようやく始まろうとしていた。


一つ、大きな見落としをしたままに。




深夜、あの丘にはもう人々の嘆きの喧騒も、鈴虫たちの鳴き声も何もなかった。

輝志は処刑場を見下ろせる岩壁の淵に座っていた。

優しい風と皮肉なほどに満天の星空。

そんな空気に浸るわけでもなく、ひたすらに思考が回り続けていた。



ー 俺はあの民衆の救世主を否定する気にも排除する気にもなれない。


ー だから、彼の言葉が歪まない、そんな方向性を付けてやるってところか。


ー 彼と話してみよう。タイミングは彼が公に出てくる直前。そこまで時間を戻す。


決めてさえしまえばそこからの行動は迅速だ。

輝志は立ち上がり、そして消えた。


岩壁からは小石が転がり落ちる音が響く。

人の気配など、もうどこにもなかった。




リーン、リーンという鳴き声が歌っている。

風の音と合わせて心地の良い自然の音楽。


輝志が戻ってきたのはそんな夜。


辺りは変わらずに暗かった。

時間は深夜帯で変わらないが、眼前には石造りに茅葺き屋根の小さな家があった。

輝志は自らを再び透明にした上でその家へと近づいた。


石造りの壁に手を当て、何かを探る。


ー 何でもできるこのご都合主義世界…慣れると現実で生きていけなそうだな。


輝志は目当ての人物がそこにいるかどうかを探っていた。

音もなく、気配もなく、この世界でしかできない方法で。


ー いる。ここだ。


対話をする、そう決めた相手がそこにいるのを確認できた。

そして壁にもたれ掛かり、目を閉じて呼びかけた。

言葉は発せず、念話とでも言うべき方法で。


『聞こえるか?聞こえてたら返事してくれ。喋るのじゃなく考えるだけでいい。』


壁1枚隔てたところにいる相手にそう呼びかけると、壁の向こうで何かが落ちて転がるような音が聞こえた。

そんな音から状況を察して輝志は続けた。


『状況がわからず慌てるのはわかるが、少なくとも君やその周辺に危害が加わる事はない。ただ、伝えたいことがある。だからこうして語りかけてるんだ。落ち着いて聞いてくれないか?』


ルピナに呼び出されるという、似たような経験をしていたからこそ理解できてしまう彼の心情。

落ち着いたであろう頃合いでさらに一言かけた。


『大丈夫か?大丈夫そうなら返事をしてくれ。』


そうして姿の見えない対話は始まった。


『あなたは神…なのでしょうか?』


必ず飛んでくるであろう質問、予期していた言葉。

用意していた答えはあるものの、言葉にされると返答までには一瞬の逡巡があった。


そんな輝志の一瞬を、空の月はただ見守っていた。


『君たちの言うところの神なぞいやしないよ。俺は言うなれば観測者…の使徒、ってところだな。』


『神が…いない?なら我々は何を信じればよいのだ!?奇跡とはなんなのですか!?』


『信じるべきは人だよ。君たちの語る神は支配のための構造でしかないし、奇跡は人の手によるもの。全てに理由はある。今現状において理解が及ばない物事を奇跡と称してるに過ぎない。』


『なら…我々は欺瞞の支配の中ではないですか!』


『それはそうだろうな。十戒を噛み砕いて考えてみろ。要は人と人とが集団で生きていく上で安心して生活するための繋がり方を説いてるだろ?』


『それは…そうだと思います。ですが、それも神から授かった言葉。神の意思ではないのですか?』


『まさにそれだよ。神の意思だと言われたから信じ、守った。それがただ人の言葉だったら反発もあっただろうよ。だが、神の言葉、神の意思と言う事で盲目的にそれを信じ、またその言葉を伝えた人間までも崇め始める。そうして安定的な集団が出来上がる。効率的な支配構造だ。』


『支配…構造。神が…そんな。』


打ちひしがれる感情だけが流れ込んでくる。

そんな彼を気遣い、輝志は沈黙を選び星空へと視線を向ける。

星空よりもはるか先、あの白い空間の主へと視線を送るように。

神を名乗る異物への吐き出しようもない、そんな想いを視線へ乗せて。




しばしの沈黙の後、まだ震えの残る、そんな声が届いた。


『神とは…人の効率支配のための構造…受け入れられませんが、一旦受け止めましょう。ただ、それでもそんな構造の中でも人々が安寧の日々を送れるのであればそれでもいいのではないでしょうか?』


『それでいいと俺も思うよ。人ってさ、結局弱いんだ。だから集まる。集まったなら秩序がいる。秩序を効率よく理解させるために、人じゃなく神という主を置いて浸透させる。これはあっていいとそう思うよ。』


『ですが、あなたは…あなたの口ぶりは否定そのものだった。矛盾しています!』


『そう聞こえたのは悪かったよ。問題はその先だ。秩序のための神、これはいい。けど利益のために神を語る、これはどうだ?君はどう思う?』


『それは許されることではない、そう思います。それに…』


『それに?思うところがあるのなら迷わず全て吐き出せ。口を閉ざした先に思考も議論もないのだから。』


『…はい。今の大祭司の度々の任命や罷免、そしてその後…これはあなたの言う利益のための神、まさにそれだと感じています。』


『その感情…正しいものだと俺も思うよ。さっきも言ったように人は元来弱い。ゆえに集団の上に立ち強いと感じてしまえば欲に支配されがちだ。そして、さっきの君がそうだったように神の名を出せば盲目的にそれを信じる。そんな構造があれば欲が出るのもある意味自然なことだ。』


『ですが、それでは十戒を犯していることに他ならない。その禁すらも意味を成さないということでしょうか?』


『そのままそういうことだ。支配する側になった人間ってだいたい特別感を持つんだ。そしてその特別感がルールは守るものではなく守らせるもの、そういった思考になっていく。言い換えれば自分が守るのは立場でありルールではない、と。』


『理解…できました。つまりそれもまた人の姿であり、弱さ。そういう人間はいなくなるべきだとお考えなのですね?』


『その考えに至る気持ちは理解できるが…そういった人間を排除するには何をすることになる?』


『反乱…でしょうか?』


『まぁ言ってしまえばそういう暴力的解決が出るよな。その先はどうなる?』


『そのまま民が安寧に生きていけるよう導く、それだけでは?』


『君ならできるかもしれない。だが君が死んだ後はどうなると思う?跡を継いだ人間が未来永劫同じことをできる、そう思うか?その統治に皆の安寧があると思うか?』


『…思えません。いつしか統治者は欲に溺れ、民は反乱を起こす。ただの…繰り返しにしかなりそうにありません。』


『その通りだと俺も思うよ。だからこそ、そうならない構造を作る事。端的に言えば上から下への支配ではなく、下から上へと向かう構造。理想論だけどな。』


『下から上…想像が付かないのですが、それはどういうことなんでしょうか?』


『今の統治体系の中で思想的なものを取り払って考えてみてくれ。君はさっき大祭司の任命、罷免のことを上げたが、それをしているのは誰だ?』


『統治者、です。』


『では統治者、大祭司、これらは上下で言うならどちらだ?』


『上です。』


『だよな。つまり上が上同士でその立場を決めている。これは言い換えればどういうことだと思う?』



彼の思考の中に、祭司たちの顔が浮かび、そして民の沈黙が重なった。



『上は上同士…そこしか見ず、下を見ていない、といったところでしょうか。』


『そうだな。つまり上と下は構造上繋がってない。だから搾取が起きて、反乱しか手段がなくなる。これが上から下の構造なんだ。だが、これが下から上になるとどうなる?』


『上は…下を見なければならなくなる。つまり繋がりが生まれる、そういうことですね?』


『もっと言うなら見なきゃ行けなくなる。だから声が通るようになる。声で変わるなら暴力的解決も必要なくなる。搾取からも暴力からも解放されるならそこに安寧は生まれないか?』


『そうなる…気はするのですが、少し…考えをまとめる時間をください。』


『もちろんだ。色々なしがらみに囚われずに考えてみるといいよ。』



気付けば星の位置もだいぶ変わっていた。

輝志が顔を上げた先には一際強く輝く星。

その星を囲むように周りの星々も必死に輝きを見せているのだが、印象に残る星はひとつだけ。

世界の縮図のような印象。

輝志の意識に残った星も、また一つだけだった。



そうしてぼんやり星を眺めていると、今度は先程とは違うはっきりと意思を持った声が届いた。


『…考えが、まとまりました。』


その声には、先ほどまでの戸惑いや震えはなかった。

代わりに、静かだが芯のある響きがあった。


『あなたの言う通り、力で変えればまた力で壊される。上に立てば、いずれ私も同じ過ちを犯すでしょう。』


輝志は何も言わず、ただ耳を傾けた。


『ならば、私は上に立たない。誰かを従わせない。正しさを命じるのではなく、選ばせる。』


一拍の沈黙。


『神の名で縛るのではなく、人が人としてどう生きるかを語る。それが遠回りで、弱く、愚かに見えたとしても…。』


声がわずかに強まる。


『それでも、下から積み上げるしかないのだと思います。』


輝志は小さく息を吐いた。

思ったよりも早い。だが、これは誘導ではなく、選択だ。


『人は弱い、とあなたは言いました。ならば、弱いままでいい。弱い者同士が支え合えばいい。』


『貧しい者、傷ついた者、声を持たない者。

彼らの中にこそ、変わる力があると…そう信じたい。』


その言葉を聞いた瞬間、輝志は理解した。


―ああ、これはもう止められない。


この男は、誰かに命じられたからではなく、

自分でこの道を選んでしまったのだと。


『立派だよ。』


輝志は、素直な感想を口にした。


『それが君の言葉になるなら、誰かの命令じゃない。少なくとも、俺が口出しできることはもうないな。』


『…あなたは』


『俺は観測者だ。君がどう生き、どう語るかを見るだけ。』


しばし、穏やかな沈黙。


『一つだけ、覚えておいてほしい。』


『なんでしょうか?』


『言葉は必ず歪む。君の死後も、君の意志とは違う形で使われる。それでも、それを理由に語ることをやめるな。君の目指す世界のために進むんだ。』


『…はい。』


短く、だが迷いのない返事。


『私は語ります。神のためではなく、人のために。そして…この啓示に感謝を。尊敬を。私の意思を捧げます。』


その言葉を最後に、念話は静かに途切れた。


壁の向こうにいた青年は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて戸を開けた。

夜気に触れ、深く息を吸い込む。


空はまだ暗い。

だが、東の地平線がわずかに色づき始めている。


青年は足元に置いていた粗末な袋を手に取った。

中身は多くない。だが、迷いもなかった。


家を振り返ることなく、彼は歩き出す。

村の外へ。

人のいる方へ。


その背に、誰の声も追いすがらない。


やがて、空の端から光が溢れ出した。

夜と昼の境目が、静かに溶けていく。


朝日が昇る。


それは祝福のようでもあり、

皮肉のようでもあった。


輝志はその光景を、遠くから見届けていた。


―さて。


小さく、誰にも聞こえない声で呟く。


―あとは、君が選んだ道だ。


世界は静かに目を覚まし、

歴史は、また一歩前へ進み始めた。


気付かなければならなかった、何かを抱えたままに輝志はこの歯車を回し始めてしまった。


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