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鳴き止んだ夜の底で  作者: 無響 朽真


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2章2話 観測者、降臨

白い渦の旅路。

穴の中へ吸い込まれる水のように流れに任せて進んで。

少しずつ意識が定まり始める、これがスタート地点が近付いた合図。

足の感覚が戻り、確かな地面を感じた。

輝志は始まりの一歩を、今確かに踏み出した。




ー ここは…どこだ?山というよりは丘って印象だな。


輝志が渦を抜けた先に辿り着いた先は丘の斜面。

ふもとを見れば街と思われる場所があり、そのさらに遠くには水面…おそらく海が見えた。



ー ひとまずあの街へ向かってみよう。



そう思い、ふもとへと向かって斜面を降りて行くとやけにきっちりと整えられた木々が視界に入った。

近付いてその木になっていた実を見てみると、それはオリーブだった。


ー これはオリーブ畑ってことか。オリーブ畑のある丘…ってことは遠くの水面は地中海?ならここはエルサレムの可能性が高いか。


考えた改変の内容、ここに降りたってから目で得た情報からこの地がエルサレムだとあたりをつけた輝志。


ー あとは今がいつなのかだな。その辺りはあのふもとの街で調べてみるしかなさそうだな。


この舞台がどのタイミングなのか、その情報を得るため街へと向かうことを決めた。

だが、その歩みを踏み出した瞬間に視界に入った自分のスニーカーを見て対処しなければならない事案があることに気付き、立ち止まる。


考えるまでもなく、服装が完全に時代にそぐわないのだ。

黒のスニーカーにグレーのジョガーパンツに黒のダウン。

こんな格好で街に入れるはずもない。


だが、ここでは『なんでもできるに決まってる』。

一瞬、あの時のルピナのセリフが聞こえた気がした。

そして、考える。


姿形を全て変えることもできるだろう。

また、時間を止めてしまうのもありだ。

その他にも何でも手段はあるはずだ。


オリーブ畑から少し離れたところにあった少しだけ背の高い木にもたれ掛かりながら、輝志はこの後の自分のすべき行動にはどうするのが最適かを考えた。


そして結論を出す。



ー 透明になるのが一番都合がいい。



そう思考した。


そして視線を落とすと、そこにあるはずの自分の影がどこにも見当たらなかった。

両手を胸の前にかざしてみる。しかし、その輪郭すら視認できない。

まるで、存在そのものが空気に溶けたかのように。


ー ご都合主義、ここに極まれり、だな。


手を振れば風の流れは確かに感じる。重力もある。

だが視覚の世界に、自分の姿だけが存在しない。


ー これなら、見つからずに街を調べられる。けど距離はありそうだし…空でも飛んでみるか。…できるよな?


普通なら考えもしないようなファンタジックな思考。

若干の恐怖感と期待と好奇心。

歩くには遠そうだからという惰性から生まれた思考ゆえの少しの嫌悪感。

そんな色々が混ざり合いながらも、結局は子供じみた好奇心に従って輝志は行動に移すことにした。


深い深呼吸。


その一呼吸の後に、輝志は透明な足で大地から飛び出すようにその地を蹴った。


地面に落ちる感覚はない。

フリーフォールが一瞬止まった時のような不思議な無重力感を感じる。


そうして、輝志の身体は重力の支配から抜け出した。


「おっ…おお!これはすげぇ!」


年甲斐もなく漏れた興奮の声。

輝志は空を自由に飛んでいた。


眼下には先程のオリーブ畑。

さらに上へと飛翔し、ふもとに見えていた街も、さらにその奥に見えていた地中海と思しき水面も全てが輝志の眼下になった。


その時、ポケットから何かがすり抜けるような感覚が。

完全に輝志の身体から離れたそれは元の姿を世界に晒した。


スマートフォンだ。

画面が太陽光を反射して強く光った。


「やばっ…!」


輝志は慌てて降下してスマートフォンをなんとか捕まえる。

この急降下の風圧を受け、地面では土草が舞っていた。



ー 爽快感に浸り過ぎて油断したな…。調子に乗って遊んだりせずに街へ向かってみよう。


輝志はそんな反省の念と共に、街へと自由の空を飛んで行った。




徐々に聞こえてくる生活音、風に乗る笑い声、家畜の鳴き声。

街が近付くにつれ、音は濃密さを増していく。


舗装された道は無い。土が踏み固められただけの道を、裸足の子どもたちが走り回っている。

女性たちは壺を水場に運び、男性たちは市場で野菜や魚を並べている。

衣服は麻布に近い質感で、肌を覆う面積が少ない。全体として質素であるにもかかわらず、どこか生命力に溢れていた。


言語は聞き慣れない。だが不思議と、耳に流れ込む音が意味を持った言葉として理解できる。

自らの感覚に戸惑いながらも、輝志は人々の会話に意識を向けた。


「…ローマは人の数を調べてるらしいぞ。兵がまた増えるのかもしれん。」

「税は上がるばかりだ。神はなぜ我らを救ってくださらないのか」

「預言者が現れるという噂を聞いたか?民を導く者が必ず現れると…」

「なぁ、さっきの変な光見なかったか?」


ローマ、税、預言者。

単語が示す歴史的背景は、おぼろげながら一つの可能性を形にしていく。


ー 時代は…いつだ?人の数を調べる。つまり人工調査…14の行政区の区分けのあたりか。だとすれば、紀元前一桁だったはず。預言者云々も合わせればおそらくは…。というかさっきの見られてたのか。ただまぁ事実に辿り着くこともまずない…か。


先程のやらかしは、それだけで済むだろうと捨て置くことにした。


なぜならそんな事よりも心臓が高鳴ってしまっているからだ。

これはただの旅ではない。

世界の変革点に触れる旅だ。

歴史に触れていることに、輝志の心臓はその鼓動で興奮を伝えていた。


石造りの街並みを抜け、中心部へ近づくにつれ建物の造りが整い始める。

街の中央には、高くそびえる巨大な構造物があった。

光を反射する白い石材で築かれ、まるで天を支える柱のようだ。


その正面には、人の背より遥かに大きい門扉。

門の上部には、幾何学的な線が交差する模様が刻まれている。


それは、二つの三角形が重なり合い、互いに天と地を指し示すような形。

神と人、天と地、光と闇、その全てを結ぶ象徴のようだった。


ー …これは、あの星のシンボル。ならあとは他が見当たるかどうかってとこか。


この象徴の意味は、誰もが知っている。

輝志は息を呑んだ。


もう一度街をぐるりと飛び回り、他のシンボルがないかを確かめる。

そして、他にそれらしきものが見当たらないことを確認し先ほどの門へと戻った。


ー この中にいるであろう人々から情報を得られれば、状況把握はほぼ完了だな。



輝志は迷わず門を飛び越え中へ入り込んだ。



内部は静寂に満ちていた。

広大な空間の中央に立つ数人が、重々しい空気をまとって会話を交わしている。


「御子息方を処刑なさるとは、後継者問題も混沌としてきましたな。」

「王も御歳を召されましたから。」

「誰に付くかわしらもしっかりと見定めぬことには…処刑されては元も子もない。」


これらの会話から、輝志は推論を組み立てる。

現実世界の過去で学んだ歴史知識をフル回転させ、持っている知識とこの世界の人々の会話や情景から得た情報を繋げていく。


ひとつ、またひとつ。

その繰り返しの果てに結論を出す。


ー 今は紀元前7年あたり。救世主はまだいない。


そしてこの結論を出すと同時に、輝志はもう一つ気付いた。

自分は『観測者』としてその瞬間を見届けようとしているのかもしれない、ということを。


この旅は、ただの追体験ではない。

世界の理が動く瞬間に立ち会う行為。

そして、それを良しとしていない自分がその理をさらに動かさなければならない。


胸の奥に冷たい光が宿る。


ー これは試練か、あるいは祝福か。俺は…何を見届けることになる?何をすべきだ?


祈りの声が響く。石造りの壁に反響し、空間全体を震わせる。

輝志は、その祈りの中心へ向かって歩みを進めた。


世界の鼓動が聞こえた。

空気が、光が、音が、全て一度止まって、また弾ける。


その音は、確かに未来へ向けて脈を打っていた。


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