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第9話 シュゼットは、レナルドにお返しをする

 レナルド様と出かけた翌日。

 わたしは自室のデスクの上に何種類もの刺繍糸を並べて悩んでいた。


「うーん、やっぱりダークブラウンと黒かしら? それとも昨日買っていただいた新色のエメラルド色が良いかしら?」

「シュゼット様、なにをなさっていらっしゃるのですか?」


 刺繍糸を前に悩むわたしにエメが問いかける。


「レナルド様にお礼をしようと思って」


 昨日レナルド様と出かけた際に、彼は付き合ってもらったお礼と称して、ベルクール公爵婦人に贈ったものと同じ刺繍糸をわたしにも購入してくださったのだ。その上、なかなか予約の取れない有名レストランで食事をご馳走してくださった。


 わたしはそのお礼のためにレナルド様に刺繍のハンカチを贈ろうと思いついたのだ。

 悩んでいたのはその刺繍に使う糸の色だ。

 レナルド様はダークブラウンの髪に黒い瞳だから、その2色が良いのではないかと思ったのだけれど。


「まあ、それでしたらこのお色以外ございませんでしょう」


 わたしの説明を聞いたエメは広げた刺繍糸の中からペールブラウンとオレンジを指した。

 私の髪と瞳の色だ。


 リヴィエール王国では、恋人や夫婦がお互いの色を身につける風習がある。そのため、自分の髪や瞳の色のものを贈るのは、恋人同士の贈りものの定番なのだ。


「なっ、それではまるで恋人同士みたいではないの!」

「なにをおっしゃっいますか。婚約者なのですから、恋人同士ではございませんか」


 焦るわたしに、エメはさも当然だというように言った。


「こっ、恋人!? わたしとレナルド様はそうではないわ! だって、政略結婚ですもの」

「……シュゼット様、もしかしてレナルド様に冷たくされたのですか?」

「いいえ、むしろとても良くしていただいているわ」


『私はかたちだけの婚約者ではなく、君と親密になりたい。君にとって良き婚約者であれるように最大限努めるつもりだ』


 レナルド様はあの言葉通りに、婚約者として本当に良くしてくださっている。

 婚約してから3ヶ月、初めて顔を合わせてからまだ2ヵ月なのに、わたしはそれを痛感していた。

 わたしにはもったいないくらいにレナルド様は親切にしてくださる。


「でしたら、レナルド様もシュゼット様のことを想っていらっしゃるということではありませんか」

「そうかしら……」

「ええ、そうですよ! ですから、是非シュゼット様のお色のものをお贈りくださいませ!」


 エメはレナルド様がこの先リリアーヌを好きになることを知らない。だから「違う」と強く言い返せなかった。


 レナルド様がリリアーヌを好きになるのは疑う余地がないとして、そもそも今の時点では彼はまだリリアーヌと出会っていない。


 リリアーヌのことを抜きにして考えるなら、婚約者ならば自分の色のものを贈るのが一般的だろう。


 そうね、わたしはレナルド様の良き婚約者でいなければならないのですもの。


 レナルド様への贖罪の1つのために。



 ♢♢♢



 レナルド様と出かけた翌週のお茶会の日。


 わたしは薔薇園のガゼボでどきどきしながらレナルド様が来るのを待っていた。


 初めて薔薇園のガゼボでお茶会をしてから、レナルド様とのお茶会はこの場所で行うのが定番になっていた。


 満開の盛りは過ぎたけれど、遅咲きの薔薇がまだいくらか咲いており、ほのかに薔薇の芳しい香りがする。


 結局、わたしは同じデザインで色違いの刺繍のハンカチを2枚作った。


 1つは、レナルド様の髪と瞳の色の、ダークブラウンと黒がメインのもの。

 もう1つは、私の髪と瞳の色の、ペールブラウンとオレンジがメインのもの。

 どちらにも流行のエメラルド色を差し色に使用した。


 エメに背中を押されてわたしの色の刺繍も作ってしまったけれど、わたしがこれをお渡ししてレナルド様は不審に思われないかしら?

 いえ、今は婚約者なのですもの。なにもおかしくはないわよね……? 

 そうよ、婚約者に贈りものをするだけですもの。

 なのにわたしは一体なにをそんなに緊張しているのかしら?

 きっとエメが恋人同士だなんて言うものだから、変に意識してしまうせいね。


 そんなことをぐるぐる考えていると、レナルド様がこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。


「お招きありがとう、シュゼット」

「ごきけんよう、レナルド様。ようこそお越しくださいました」


 いつもは聞き役になりがちなレナルド様だけれど、今日は社交辞令の挨拶を交わした後、すぐに口を開いた。


「まずは先日の礼を。君に選んでもらった贈りものを今朝母に渡したところ、ことのほか喜んでいた。全て君のお陰だ。ありがとう」

「わたしはほんの少しお手伝いをさせていただいただけですけれども、公爵夫人に喜んでいただけたのならなによりですわ」

「それで、君が選んだことを伝えたところ、母が是非礼を言いたいと言っていてね。もしよければ1度会ってもらえないだろうか?」

「まあ、公爵夫人が? わたしは本当にほんの少しお手伝いさせていただいただけなのですけれど……。でも、光栄ですわ。ええ、是非伺わせていただきます」


 いつもレナルド様が来てくださるので、ベルクール公爵邸にはまだ1度も行ったことがなかった。


「ありがとう。では、来週末はうちでお茶をしよう」

「はい、是非」


 いつも通り、お茶会の時間は和やかに過ぎていくけれど、わたしはハンカチを渡すタイミングを掴めずにいた。


「あの……、ところで、レナルド様」


 どうやって自然にハンカチを渡せば良いのかわからなかったわたしは、唐突に切り出した。


 そんなわたしに、レナルド様は穏やかに続きを促す。


「うん?」


「わたしこそ、先日は刺繍糸をいただいたり、食事をご馳走になったり、ありがとうございました。それで、あの、心ばかりですがこちらは、そのお礼ですの」


 そう言ってわたしは綺麗に包装されたハンカチの包みをレナルド様にお渡しした。


「開けてみても?」

「……ええ」


 本当は気恥ずかしいので家で開けてほしいけれど、駄目ですとは言いづらい。


 レナルド様は丁寧に包みを開けると、中のハンカチを見て目を見開いた。


「これは、君が?」

「ええ! 公爵夫人ほど上手くはないでしょうからお恥ずかしいですけれども、見られなくはない出来にはなっているはずですわ!」


 ただハンカチを渡すだけなのになぜか緊張してしまい、思わず早口で言い募る。


 レナルド様は目を細めると、刺繍の部分をそっと撫でた。まるで愛おしそうに。


「ありがとう。大切にする」


 良かった。喜んでくださったみたいだわ。


 無事にハンカチを渡せて気の緩んだわたしは、レナルド様がハンカチと同じように愛おしそうにわたしを見つめていたことに気がつかなかった。

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