第10話 シュゼットは、ベルクール公爵邸に行く
レナルド様に刺繍のハンカチを贈った翌週の週末。
わたしは馬車に乗ってベルクール公爵邸へ向かっていた。
時を遡る前も含めて、ベルクール公爵邸に行くのは初めてだ。
時を遡る前は2年も婚約していたのに、1度もレナルド様のお家に行ったことがなかった。
時を遡る前は月に1度しか会っていなかったので、今頃は2度目のお茶会をしているあたりかしら?
なんだか不思議ね。
時を遡った今は初顔合わせから2ヵ月の間に毎週お茶会をして、一緒にお買いものとお食事をして、レナルド様のお家へ行くことになるなんて。
時を遡る前と今の違いのきっかけは、初顔合わせで積極的にレナルド様に話しかけたことだ。
そんな些細な違いでこんなにも大きく未来が変わるなんて。
わたしは絶対に罪を贖って、あの愚かな未来を変えてみせるわ。
このままレナルド様と円満な関係を築いて、彼がリリアーヌと恋仲になったら、婚約を解消しましょう。
なぜかちくりと小さく胸が痛んだ気がした。
緊張しているせいかしら?
初めてレナルド様のお家へ伺うのですもの。緊張もするわね。
そんなもの思いに耽っているうちに、馬車はベルクール公爵邸に着いたようだった。
御者の手を借りて馬車を降りると、豪奢な屋敷を見上げる。
ベルクール公爵邸は圧倒されるほどの大きさだった。
凄いわ……我が家よりもひと回り以上大きいわ。これがタウンハウスだなんて。さすが筆頭公爵家だわ。
屋敷の中に入ると、内装も外観と同じく豪奢で格式高い造りになっていた。
応接室に通されて紅茶を供されると、いくらも待たないうちにベルクール公爵夫人がいらっしゃった。
わたしは立ち上がるとカーテシーをする。
「初めまして。シュザンヌ・コルネイユと申します」
「まあ、ご丁寧なご挨拶をどうもありがとう、シュザンヌさん。どうぞ楽にしてくださいな」
初めてお会いするレナルド様のお母様に緊張しつつ、促されてソファーに座る。
ベルクール公爵夫人はレナルド様と同じダークブラウンの髪と黒い瞳だけれど、近寄りがたい雰囲気のレナルド様とは異なり、柔和な雰囲気の方だった。
「まずはお礼を言わせてくださいね。レナルドから刺繍糸を贈られてとても驚いたの。しかも流行りの色や季節の色のものですもの。わたくしも刺繍を嗜むのですけれど、つい落ち着いた色ばかり選んでしまうものですから、新鮮でとても嬉しくて。聞けばあなたからの助言と言うものですから、お礼をお伝えしたくてこうしてお呼びたてしてしまいましたの」
「わたくしはほんの少しお手伝いさせていただいただけでございますが、お気に召したようでなによりですわ」
ベルクール公爵夫人は紅茶を一口飲むと、おもむろに切り出した。
「ねえ、シュザンヌさん。レナルドはちっとも愛想がないでしょう。それに寡黙で。あなたに冷たく接していないかしら?」
確かにレナルド様は感情がほとんど表に出ない上に寡黙で、顔立ちが整っていることもあって近寄りがたい雰囲気だ。そのため、時を遡る前のわたしはあまり彼に話しかけられず、結局最期まで打ち解けることができなかった。
けれど、今はレナルド様と接するうちに、彼が口数は少ないけれどわたしの話をきちんと聞いて相槌を打ってくださることや、たまに笑ってくださることを知った。
そして申し訳なくなるくらい、わたしに良くしてくださることも。
そう返すとベルクール公爵夫人は驚いた。
「まあ、あのレナルドが? ……そう、あなたのことを大切にしているようで安心したわ。なにかあればすぐにわたくしに言ってちょうだいね。それから、レナルドと仲良くしてくれてどうもありがとう。堅物で面白みのない子だけれど、レナルドをどうかよろしくね」
レナルド様とはいずれ婚約を解消することになるだろうけれど、とてもそんなことは言えないので、わたしは曖昧な笑顔で頷いた。
♢♢♢
ベルクール公爵夫人との面会を終えたわたしは、次に庭に案内された。
心地良い初夏の風がどこからともなくリラの爽やかな甘い香りを運んでくる。
どこかにリラの木があるのかしら?
あたりに視線を巡らすと、満開のリラの木の側のガゼボの前にレナルド様が立っていた。
「ようこそ、シュゼット」
「お招きいたただきありがとうございます、レナルド様。ふふっ、いつもと逆ですわね」
「いつもは君がもてなしてくれるからね」
レナルド様に手を取られてガゼボの椅子に座る。
「まあ!」
テーブルに並べられたスイーツの数々見て、わたしは感激の声を上げた。
レモンのジュレにウィークエンドシトロン、オレンジのムースやマフィンにドリンクと、わたしの好きな柑橘類を用いたものばかりが並んでいた。
「気に入ってくれたようで良かった」
「お気遣いありがとうございます! とても嬉しいですわ!」
わたしはさっそくウィークエンドシトロンを一口いただいた。口の中にレモンの風味と甘酸っぱい味が広がる。
なんておいしいのかしら。
思わず顔が綻んだわたしを、レナルド様は微笑ましそうに見つめる。
初めて訪れたベルクール公爵邸とベルクール公爵夫人との面会に緊張していたけれど、レナルド様とのお茶会はいつもの和やかな雰囲気で進行した。
「シュゼットはこの夏は領地に帰るのか?」
コルネイユ侯爵領はリヴィエール王国の北部に位置しているため避暑には最適だけれど、王都からは馬車で片道1週間もかかる。
婚約を解消したあとの行き先の候補の1つとして、領地の修道院を見学してみたい気もするけれど、往復2週間、滞在期間を加味すると1ヶ月弱は時間がかかり過ぎる。
「いいえ、週に1度の慈善活動がありますから、今年は王都で過ごす予定でおります。レナルド様は学園の夏期休暇に領地に帰られますの?」
ベルクール公爵領は王都に隣接しているので、すぐに帰れるだろう。
「慈善活動か……シュゼットは素晴らしいな。君が王都に残るのならば、私もそうしよう」
「えっ、いえ、そんな、お気になさらず。わたしに合わせる必要などございませんわ。レナルド様のなさりたいようになさるべきです」
「私が君に会えなくなるのが嫌なんだ」
え。それではまるでわたしのことがお好きなように聞こえるわ。
いえ、そんなはずはないわ。だってレナルド様はリリアーヌのことがお好きなはずですもの。
あら、でも今の時点ではまだリリアーヌに出会っていないわね。うーん……?
「もし君さえ良ければ、ベルクール領へ来ないか?領地の湖の側に別荘がある。王都からなら馬車で3時間ほどで着くだろうから、慈善活動にも差し障りがない。……どうだろうか?」
考え込むわたしに、レナルド様は思いがけない提案をなさった。
これは、どうした方がレナルド様への贖罪になるのかしら?
お誘いいただいたのだから、やはり行くべき……かしら?
「レナルド様のご迷惑でなければ、是非」
そう答えると、レナルド様は淡く微笑んだ。
「そうか、良かった」
どうやら彼の意に沿う回答だったらしく、わたしはほっと胸を撫でおろす。
レナルド様は私にとても良くしてくださるのだから、わたしも彼にとって良い婚約者でいなければならないわ。
そう思いつつも、わたしはそわそわと心が浮き足立つのを感じていた。




