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02.無認可託児所で虐待に耐える!

 「アカネちゃん、そろそろ『お外』にチャレンジしてみよっか!」


 母の言う『お外』は、託児所のことであった。なんのことかよく分かっていない私は、とりあえず「うん、わかった」と答えた。お散歩しに外に行くくらいの認識でいた私は、のちに「これが大人のやり方かー!」となるのであった。


 なぜ託児所に行くことになったのか。その経緯から振り返ろうと思う。





 父は、幼稚園に通わせるのなら私立一択。それが無理なら、通わせる必要はない!という方針であった。そして、私が3歳になった年の10月、その地域では名門と謳われている私立の幼稚園の面接に、父の期待を裏切り見事に落ちてしまった。



 一次面接は簡単な質問で難なくクリア出来たが、二次面接での3〜4人の友達と遊んでいる様子の観察で他の子と全く遊ぶことができず、協調性や対人能力がないとみなされてしまった。


 私は、基本的に姉以外と遊んだことがなかった。いきなり同年代と遊ぶというイベントについていけなかったのだ。幼稚園の面接試験に落ちた私は、年少からの入園はできず、枠は少ないが年中から入園の試験で、再度チャレンジすることになった。





 しかし、二回目の入園試験を待たずして問題が起こった。ある日、父と母が言い合いをしていた。我が家のお財布を握っている父が、母のお金の使い方に対して苦言を呈したのだ。


 父の主張は、母は専業主婦で稼ぎもないのに、贅沢をし過ぎだ。というものであった。母は訪問販売のパートを始めることになった。自宅の周辺での仕事だったため、母が働き始めてすぐの頃は私は姉と2人で家の中で遊んでいた。時々、1人の時もあった。


 しかし、たまたまドアの鍵を母が閉め忘れて家を出た時があり、私は母を探しに家の外に出てしまった。近隣住民が私を保護し、母が怒られる事件が起きた。その結果、母が働いている間、私は通称『お外』である託児所に預けられることになったのである。





 「パパには、『お外』のことは内緒ね。お願いね。パパとママ、また喧嘩しちゃうからね」


 私立のご立派な施設ではないこと、お金がかかることを父にとやかく言われたくなかったのであろう。私は母に『お外』を口止めされた。新しい喧嘩の種をうみたくなかった私は、父には黙っていた。


 託児所の環境は悪かった。施設は古かったし、預けられる子もやんちゃな子が多かった。私はというと、とにかく目立たないように、一日一日を耐え忍んでいた。その甲斐あってか、誰からも的にされることなく静かな日々を過ごせていた。


 しかし、そんな日々も長くは続かなかった。トイレで失敗をしてしまったのだ。まだ小さかった私は、安定して上手に便座に座れず、おしっこを便器から外してしまいトイレを汚してしまった。


 「先生、失敗しちゃった」


 そう先生に報告をすると、先生は子どもを全員トイレに集めた。


 「いいですか、いまコバヤシさんはおしっこを床に向かってしました。わんちゃんと一緒です。とても悪い子です」


 先生がそう言うと、その場にいる全員が私と、おしっこで汚れた床を見た。


 「コバヤシさん、もう一度おしっこしてみなさい。次は失敗しないように」


 みんなに見られながら、私はパンツをおろして、もう一度便座に座った。しかし、そんな短期間で出る訳もなく、ただただ大勢の視線を浴びて辛い思いをするだけであった。


 「皆さん、コバヤシさんは先生とみんなに迷惑をかける悪い子です。真似してはいけません。」


 そう言って、全員を解散させた。この時のことはとてもはっきり覚えている。一人、トイレの掃除をしながら泣いた。私はまだ4歳であったが、惨めさを初めて感じた。


 トイレ事件があってからは、『コバヤシさんは迷惑をかける子』というレッテルを貼られた。なにかことある事に「また迷惑をかけるの?」と言われた。他の子どもが粗相をした時も、「コバヤシさんみたいな迷惑な子になるよ」と言われた。託児所の先生は、暴力こそ振るわないが、形の残らない言葉による虐待を日常的にしていた。怒鳴ったり人格否定したりと、そんなことは日常茶飯事であった。


 託児所に行くのはとても辛く、母に何度も「『お外』にはもう行きたくない」と伝えたが、「頑張ろうね」とだけ言われた。仕舞いには、「アカネちゃんが『お外』に行ってくれないと、ママはまたパパに怒られちゃうの。迷惑かけないで、頑張って」と言われた。


 私は、家族にも迷惑をかけてしまうのではないかと怯えた。私が原因となりまた両親が喧嘩になってしまうのが怖く、それからは何も言わなかった。





 私が託児所に通うようになってから半年ほど経っただろうか。私、コバヤシアカネは虐めに耐え抜き屈強なメンタルを手に入れていた。そして、4歳にして正しさと理不尽の違いも理解するようになっていた。


 しかし、精神的な虐待に耐えることはできていたとはいえ、嫌なものは嫌だった私は、どうすればこの状況を打開できるかずっと考えていた。母からは託児所のことは口止めされている。多分、父の前で「『お外』に行きたくない」と言えば虐待からは解放されるだろう。しかし、私は父と母の喧嘩の方が嫌だった。


 「次は幼稚園、受かりたいな」


 ある日、そんな話が父の口からお茶の間に出た。それだ!と思った。私の頭の中で稲妻が走った。幼稚園に受かれば、託児所からは解放されるということに気付いたのだ。


 「どうやったら幼稚園に行けるの?」


 父に聞くと「お友達と元気に遊べたら大丈夫」という答えが返ってきた。


 「お姉ちゃんと遊ぶじゃだめ?」


 「お姉ちゃん?なに言ってるの。幼稚園の他の子と遊ばないとだめだよ」


 なーるほど。まずは託児所のガキンチョと遊べばいいのか。託児所に行く理由ができた。良くも悪くも、この時から託児所は私の精神力を鍛える場になった。





 年末。


 家族が全員揃い、年を越す。母の仕事は休みで、当然託児所も休みであり、束の間の休暇だ。


 コバヤシ家には、年末年始は近所の神社にお参りする習慣があった。神社にはこの地域一体に言い伝えのある白蛇様が祀られているという洞窟があり、白蛇神社と呼ばれていた。


 チャラン…ガラガラガラ…


 五円玉を賽銭箱に入れて、鈴を鳴らす。私は目を瞑って白蛇様にお祈りをした。


 「何をお願いしたの?」


 「えっとね、幼稚園に受かりますように」


 父と母は、そんなことお願いしたの。と笑った。私も父と母に合わせて笑った。

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