2話 とある侍女の一日
わたしの名前はリュシア。
アルヴェイン家に仕える侍女のエルフです。
正確に言えば領主様の奥方であるセラフィーナ様の護衛なのですが、立場上は侍女ということになっているので、セラフィーナ様の身の回りの世話などもさせていただいています。
そんなわたしには他の侍女にはない特別な役割が与えられています。
それが、セラフィーナ様のご子息、ご息女の剣の修行を見ることです。
わたしは、全侍女の中で唯一屋敷内での帯剣を許されており、自分で言うのもなんですが剣術の腕はかなりのものであると自負しています。
そんな訳でこうして剣の師匠の役割を任されているわけですが、現在は長女のエリシア様、そして一月ほど前に7歳の誕生日を迎え、剣を与えられたばかりの三男レオン様に剣を教えています。
「はぁ、はぁ、ちょ、ちょっと休憩……」
「ダメです。あと17回残っています。きっちりやり切ってから休憩してください。はい、すぐに再開して」
「ひぃ……が、頑張ります……」
まずは稽古の基本である素振りからやらせていますが、体力がまだついていないレオン様は当然すぐに限界を迎えてしまいます。
しかしこれが出来なければ次のステップに進むことなど認められないので、わたしは心を鬼にして木剣を振らせます。
とても辛そうに、ひぃひぃ言いながら木剣を振るっていますが、決して適当に振っているわけではなく、わたしが教えたとおり――にはできていませんが、それに近しい綺麗な形で振ろうと努力しているのが伺えます。
レオン様は他のご兄弟と比べて優れている点が二つあります。
それは異常なまでの吸収の速さと、忍耐力です。
他のご兄弟はわたしがキツく言っても最初の方は座り込んでしまう人ばかりでしたが、レオン様はやれと言ったら絶対に最後までやり切ります。
それは素振り以外でも同じで、後で倒れて意識を失うとしても絶対に途中で諦めることはしません。
「99……100……はぁっ、はぁっ、お、終わったぁ……」
「お疲れ様です。お水、飲みますか?」
「いただきます……」
休憩を挟みつつ素振り100回を3セット。
しっかりとやり切ったレオン様はその場に倒れるように座り込みます。
そしてよく冷えた水を飲んで、まるで生き返ったかのような表情を浮かべると、ゆっくりと立ち上がりました。
「リュシア先生。次は何をやればよいでしょうか?」
「もう休憩は大丈夫なんですか?」
「ほんとはもう少し休みたいところですけど、そうすると後が嫌になっちゃうので……」
そう言って照れくさそうに頭を掻く彼の姿を見て、本当に7歳なのか疑わしくなってしまうほど出来た子だと改めて思いました。
思えば彼は暇さえあれば屋敷の書庫へと足を運び、その年齢の子供なら見向きもしないであろう本を引っ張り出しては、日が暮れるまで夢中になって読んでいましたね。
その時の集中力はすさまじく、セラフィーナ様に頼まれて呼びに行った際もこちらに一切気づかず、気配を殺していないにも拘らず、すぐ近くに寄って声をかけたら飛び上がる勢いで驚いていたほどです。
元からそう言った才能がある子なのでしょう。
身体能力や技術は後からいくらでも身に付きますが、その精神力と集中力は得難い才能です。
しかも観察眼も優れていて、わたしが何度か手本を見せただけで教えていないこともなんとなく理解している様子でした。
結局今日もわたしが用意したメニューを全てこなしてしまいました。
その様子はもはや――ずっと昔からそれが当たり前であるかのように見えるほどです。
つい先日剣を握ったばかりだというのに、何が彼をそこまで突き動かすのか。もしかすると彼にはわたしとは違った何かが見えているのかもしれません。
「では今日はこれで終わりです。湯の準備が出来ているので、落ち着いたら入ってください」
「あ、ありがとうございました……げほっ、げほっ……」
全てを使い切ったのか、床に仰向けに倒れて苦しそうに声を絞り出すレオン様。
あまりに彼が頑張るので、ついついハードなメニューを組んでしまっていますが、やはり途中で音を上げるような真似はしないので、わたしとしてもとてもやりがいがあり楽しいです。
「ふふっ、今日も頑張っているわね。レオン」
「あっ、お母さま!」
「セラフィーナ様!」
「リュシアもお疲れ様。いつも私の子供たちの面倒を見てくれてありがとう。感謝してるわ」
「いえ! 大事なお子様をお任せいただいてこちらこそありがとうございます」
わたしの最も大切なお方、セラフィーナ様。
お年を召してなお美しさを保ち、母となられてからは慈愛の女神にも例えられるほどの魅力を増した彼女に仕えられていることはわたしの誇りです。
エルフ故に共に老いてゆけぬことは心苦しいですが、セラフィーナ様ある限りお傍に置いていただけるように努力は欠かせません。
「――っ!」
直後、わたしは何かの気配を感じて振り返ります。
するとそこにはにゃーと無邪気に鳴く猫の姿がありました。
セラフィーナ様のお近くだと些細な気配にまで敏感になってしまっていけませんね。
しかし何があるか分からないので、主を護るために常に気を張っておくのが従者としての務め。
この癖を治す気はもちろんありません。
「ねえ、レオン。お風呂から上がったらお茶にしましょう。リュシアも一緒にね」
「はい! すぐ入ってきます!」
「えっ、わ、わたしもですか……?」
「あたりまえじゃない。あなたもわたしの大切な家族なんだから。ね」
「そんな恐れ多い……」
セラフィーナ様はとてもお優しい。
それはどこにも行く当てがなかったわたしなんかを拾ってくださったあの日から変わらない。
わたしを救ってくださったあの日から、わたしの命はこのお方に預けたのです。
もしセラフィーナ様を害する人間がいたとしたら、たとえそれが親しい人間であろうと――セラフィーナ様にとって大切な人間であろうと、わたしは斬ります。
その後にわたしがセラフィーナ様に恨まれ、殺されたとしても構いません。
わたしはセラフィーナ様の剣。あなたを護るためならばいくらでも手を汚しましょう。
元より薄汚れた罪人であるわたしに、躊躇する理由などないのだから。
この誇りがある限り、わたしは決して負けることはありません。
そしてレオン様がお風呂へと向かった直後、セラフィーナ様がわたしのもとへと寄ってきてこう呟かれました。
「――レオンの様子はどう?」
「えっ? はい。とても優秀な子だと思います。このまま鍛錬を続ければ相当な腕になるかと」
「そう……ふふっ、あなたもそう思う?」
「ええ。まだ7歳ながら将来がおそろー―いえ、失礼いたしました。楽しみだなと」
「言葉を選ぶ必要はないわ。あの子はきっと大きく化ける。それもきっと世界に大きな影響を与えるほどに、ね。私の直感がそう告げてるの」
「それは――」
「それじゃあ、お茶の準備をするから付いてきてくれる?」
「は、はい! すぐ支度をします!」
セラフィーナ様の直感はよく当たる。恐ろしいほどに。
きっとそれは何らかの根拠があっての発言なのでしょうが、わたし程度ではその真意を測りかねます。
しかし、願わくばレオン様には強くなっていただきたいですね。
いつかはわたしと互角以上に戦えるほどに――世界最強格の剣士になれるほどに。
師としてそう願わずにはいられません。
そんな気持ちを抱きながら、どこか上機嫌なセラフィーナ様の後を追っていきます。