9.
二対一で苦戦するリオを、ミルスは呆然と眺めていた。
リオの攻撃は全て、エルミナの番の巫女、ファラの魔力障壁に防がれていた。
エルミナが繰り出す攻撃を必死に避け続けながら、それでも諦めずリオは攻撃を繰り返している。
何度も魔力の刃や槍が、リオに襲い掛かっていく。
いくつかの攻撃がリオの肌をかすめ、傷を作っていた。
彼女はそれでも果敢に攻める姿勢を崩さなかった。
ミルスが呆然とつぶやく。
「なんであいつが、あそこまでして成竜の儀を戦おうとするんだ……」
ミルスにはリオの気持ちが理解できなかった。
彼女は今朝巻き込まれたばかりの、事情を全く知らない平民だ。
動きを見ると、女だてらに喧嘩慣れはしているようではあった。
だが竜の巫女として目覚めたばかりで、その力を十分に発揮できているとは思えなかった。
いくら体術に劣るエルミナが相手とはいえ、勝ち目など全く見えない状況だ。
戸惑うミルスに、横で同じようにリオの戦いを眺めているヤンクが応える。
「二年前のお前も、あんな感じだったぞ。
勝ち目のない戦いでも、楽しそうに挑んできていた。
お前はあの時、自分が何を考えていたか――忘れてしまったのか?」
ヤンクに言われ、ミルスはかつての自分を思い起こそうとしていた。
二年前――成竜の儀に嫌気がさす前の自分。
目の前のヤンクという強大な相手に心を躍らせ、戦い自体を楽しんでいた。
負ける事など考えず、全力を出し切る事だけを考えていたのだ。
しかし、兄弟相手にも卑劣な手を躊躇しないエルミナの姿に、幼い憧憬を破壊された。
それ以来ミルスは、成竜の儀を疎むようになっていった。
あの儀式さえなければ、エルミナは未だ敬愛する兄で在ったはずなのだ。
エルミナは長身だが線が細く、体格に劣る少年だった。
魔導は得意としていたが、ヤンクを相手に成竜の儀を戦い抜くには、体が不足していた。
それでも王家に生まれた者の務めとして、勝ち残る道を模索していたのだ。
体格の不足を補おうと必死になり、姑息な手段に手を染めるようになった。
いつしか、それが彼の『当然』となっていった。
変わってしまったエルミナを、ミルスは軽蔑した。
元は心優しい兄だった。
そんなエルミナを変えてしまった成竜の儀に、ミルスは心底嫌気がさしたのだ。
ヤンクが戦況を眺めながら、ミルスに告げる。
「そろそろリオが力尽きる。
あのまま放置していて、本当に構わないのか?
エルミナは構わず、リオの命を奪うだろう」
言われてミルスも、戦況を改めて見据えた。
リオのまとう竜の加護が、次第に弱まってきている。
元から一人で竜将候補と番の巫女を相手に戦うなど、無茶なのだ。
魔力が足りる訳がない。
ミルスの胸の奥に、燃え滾る何かが灯り始めていた。
****
リオは攻防を繰り広げながらも、神に祈り続けた。
――もっと、もっと強い力を! 強い加護をお与え下さい!
その祈りに応えるように、リオの拳がついに橙色の魔力障壁を打ち砕いた。
鋭い拳が、エルミナの顔面へと届く。
だが力の殆どを殺された拳は、大したダメージを与えることはなかった。
エルミナは吹き飛びこそすれ、すぐに着地してみせていた。
「――チッ、まだこんな力を残していましたか。
ファラ! 何をやっているのですか!
しっかり私のために祈りなさい!」
ファラは静かに祈り続けている。
だが、その額には玉のような汗が浮かんでいた――彼女の限界も近いのだ。
リオはとうとう力が限界を迎えつつあり、瞳も金色から赤に戻りかけていた。
息も切れ、これ以上は戦いを続けても一方的になぶられるだけだろうと分かっていた。
それでも、リオの瞳の闘志は衰えることを知らない。
ただひたむきにエルミナを見据え、拳を構えている。
エルミナは自分の優位を確信し、笑みすら湛えていた。
「勝ち目が無くなっても、そうまでしてミルスに尽くしたいのですか? 健気ですね」
「尽くす? 私があの不甲斐ない男に?
エルミナ王子、冗談は顔と性格だけにして欲しいわね。
私は私の為に戦っているの。
他人のためなんかじゃないわ」
片眉を上げてリオを見据えるエルミナが、怪訝な顔でリオに尋ねる。
「傷だらけになり、煌びやかな衣装をズタボロに変えてまで、それは求めるものですか?
あなたたち女性にとって、そのような衣装は憧れの一つだと聞いたことがあります」
リオは不敵に笑って返す。
「お生憎様。
私みたいな庶民には、こんな服は上等すぎて着心地の悪い拘束具同然よ。
第一、私の趣味じゃないわね。
何の未練もないわ」
ジリジリと二人の間合いが詰まっていく。
先にエルミナが床を蹴って間合いを詰め、拳を繰り出した。
反応が遅れたリオが咄嗟に防ごうとするが、リオの動きが鈍い。
神の加護が切れかかっているのだ。
彼女の顔面に、エルミナの拳が迫った。
リオが思わず目を閉じた瞬間、エルミナの拳を横合いから掴み取り、受け止める手があった。
エルミナが驚愕の声を上げる。
「ミルス?! 貴様、今更何のつもりだ!」
「仮にも女の顔面を殴るなんてのは、いくらエルミナでも見逃せない。
それに、俺もあんたに借りがあるのを思い出した。
朝の足の傷の分を返していない。
俺も、借りっぱなしは性分じゃないんだ」
言うが早いか、ミルスは空いている手でエルミナの顔面を殴り抜いていた。
リオはミルスの気配で目を開け、目の前の光景を眺めていた。
ミルスの姿は雄々しく、ミルスが朝見せた姿そのものだった。
吹き飛ばされ、床を転がるエルミナを無視して、ミルスがリオを見る。
リオの瞳には、金色の輝きが戻りつつあった。
「大丈夫か?」
「え? ――うん。
なんかよく分かんないけど、ミルスが来てくれた途端に力が湧いてきたみたい。
もう少しなら戦えそう」
ミルスが微笑んでリオの肩を叩いた。
再びエルミナを見据え、リオに語りかける。
「それじゃあ二人で、エルミナを徹底的にぶん殴ってみるか!」
リオがフッと笑って応える。
「そうね、あの曲がった根性を叩き直さないとね!」
エルミナが床から起き上がり、ファラを見る。
本来なら、ミルスの拳もファラが防ぐはずだ。
だが彼女も力尽きてうずくまり、もう魔力障壁を張る余力は残っていないようだった。
「チッ! 肝心な時に魔力切れですか!
あの役立たずが!」
「――余所見している余裕なんてあるのか?」
眼前に迫っていたミルスが、エルミナの腹を蹴り上げた。
間髪入れずにリオが、エルミナの頭部を床に向かって殴りつける。
痛みでのたうち回るエルミナの腹に、ミルスが上から拳を全力で突き入れた。
エルミナは口から血を吐き、それで力尽きるように動かなくなった。
エルミナの胸から白い光の玉が浮かび上がった。
宙に浮いた白い球は、ミルスの胸に吸い込まれるように消えて行った。
リオがきょとんとしてミルスに尋ねる。
「今のは何? まさか、竜将の証?」
「……多分な。
死んでは居ないはずだが、証を失ったならかなりの重症だろう。
早く癒してやりたいが、ファラも限界を迎えて気絶している。
今日は二人とも、安静にさせるしかないな」
リオはふぅ、と大きく息をつき、それと同時に瞳が赤色に戻っていった。
そのまま力尽きるように倒れ込み、それきり意識を失った。