5.
「なぁ、そろそろ泣き止んでもよくないか?
さすがに、そこまで嫌がられると俺も傷つくんだが」
現実を認められず泣き続けるリオに、ミルスが声をかけた。
リオが涙をこぼしながら、顔を上げて抗議する。
「いきなり両親が居なくなったと思ったら、次は突然伴侶が決まるとか!
私の人生はいったい、どうなってるのかしら?!
思わず信仰心を投げ捨てそうになったわ?!
神の与える試練だとしても厳しすぎない?!」
ミルスが憐憫のこもった眼差しでリオを見つめ、その肩に手を置いた。
「あー、お前の事情はイグレシアスから聞いている。
気の毒だとは思うが、今日はもう遅い。
そろそろ王宮に帰ろう」
リオは止まらぬ涙を拭いながら尋ねる。
「王宮? ミルスは帰ればいいんじゃない?
私は今日から学生寮で生活する事になってるのよ。
そっちに帰るわ」
「……あのな? お前は俺の妻、第三王子妃だ。
当然、帰るところも俺と同じ王宮だ。
既に荷物は、昼間のうちに全部王宮に運び込んである」
突然告げられた事実に涙が止まったリオが、呆気に取られながら尋ねる。
「私も王宮に帰るの?
まさか、ミルスと同じ部屋とか言わないわよね?」
「その『まさか』だ。
手を出そうとは思わないから安心しろ。
俺だって、手を出す相手くらいは選びたい」
その言葉にリオの眉が吊り上がる。
「……それって、私に女の魅力がないと言いたいのかしら?」
ミルスがニヤリと笑って返す。
「まさか、あると言いたいのか?
その前だか後ろだかわからない胸で」
「乙女が気にしてる所をピンポイントで攻めないでもらえるかな?!
デリカシーって言葉知ってる?!」
「そんな言葉、俺は知らんな。
縁のない言葉だ。
――さぁ、これ以上は本当に陽が落ちる。
質問があれば、馬車の中で聞いてやる。立てるか?」
リオは渋々、ベッドから床に降りて立ち上がった。
先程の癒し程度なら、魔力酔いを起こして気絶する様子はないようだ。
「大丈夫そうだな。それじゃあ付いて来い」
****
リオはミルスに先導され、王宮行きの馬車の前に辿り着く。
先に乗り込んだミルスが、笑顔でリオに手を差し伸べる。
「ほら、つかまれ」
リオはむくれた顔で、渋々ミルスの手を取って馬車に乗り込んだ。
周囲を騎兵に囲まれた馬車が、王宮に向けて走り出していく。
窓の外を、夕暮れに染まる街の景色が流れて行った。
その景色を眺めながら、リオはぽつりとつぶく。
「第三王子妃だなんて、私どうなっちゃうのかしら」
――伯爵家に引き取られる事すら辞退したというのに。
今度は強制的に王族に嫁がされてしまった。
リオの心が、不安で押し潰されそうだった。
ミルスが優しくリオに声をかける。
「成人するまでは学生の生活が続く。
卒業すると、王子妃としての教育が待っているけどな。
お前が望むなら、前倒しで王子妃の教育を受ける事もできる」
リオの視線が、微笑みながらリオを見つめているミルスの顔を捉える。
――これが私の夫か。
実感など湧く訳がない。
困惑が胸中を渦巻いていた。
「一つ聞きたいんだけど、その成竜の儀でミルスが勝ちあがったら私はどうなるの?
まさか、王妃になるの?」
「勝ちあがれば俺は王になるんだ。
その妃が王妃になるのは当然だろう?」
王妃――王を支えながら、共に国家を運営していく者だ。
リオは余りの責任の重さに、眩暈を通り越して吐き気すら覚えていた。
「……私に務まるとは思えないわね」
「安心しろ。俺も自分に王が務まるなどとは思っていない。
さっきも言った通り、高等部に入ったらすぐにでもヤンク兄上に負けておくさ。
ヤンク兄上なら、王の器だ」
リオは複雑な気持ちに苛まれていた。
王妃に成りたい訳ではないが、ミルスの態度が気に食わないのだ。
最初から勝負を捨てるような男を、リオは認めるつもりはなかった。
「……ねぇミルス。
戦う前から負けようとするのは、男として不甲斐ないと思ったりしない?
私は自分の夫がこんな不甲斐ない男だなんて御免よ」
ミルスが微笑みを消してリオに尋ねる。
「じゃあお前は、兄弟で殺し合う戦いに、喜んで参加する男の方がいいと言うのか?」
リオは首を横に振った。
「私の夫なら、正々堂々と戦って、相手に負けを認めさせるぐらい出来て欲しいの。
相手に大怪我を負わせずに勝つ方法だって、あるかもしれないじゃない。
負けるとしても、きちんと勝負をして実力で負けて欲しいわ」
ミルスは目を伏せ、自嘲気味に笑みを浮かべる。。
「まるで、ヤンク兄上のような事を言うんだな。
兄上も『正々堂々、俺と戦いたい』と常々言ってくる。
だが俺は、兄弟でこんな争いをしたくないんだ」
リオには、やはりミルスの腑抜けた態度が不満だった。
何故このような男を伴侶として選んだのか、創竜神に問い質したいくらいだった。
「私には、あなたが私の伴侶として相応しいとは思えないわ。
創竜神様は、どうして私をあなたの番として選んだのかしら」
「俺にそんな事を言われたって困る。
文句は直接、創竜神に言ってくれ。
どっちにしろ、高等部に進級するまでの我慢だ。
それで俺の成竜の儀は終わる。
その後はお互い愛人でも作って、適度に距離を取って生きて行けばいいさ」
ミルスは視線を窓の外に向け、それっきり黙り込んでしまった。
それを見ながら、リオは朝の記憶を思い浮かべていた。
あの時のミルスは、こんな腑抜けた男には見えなかった。
足に怪我を負い、満足に動けない状態でも、必死にリオの命を救おうとしてくれていた。
『どちらが本当のミルスなのだろうか』と、判断に苦しんでいた
「最後の質問なんだけれど、成竜の儀の開始に合図とかはあるの?
どうやったら開始とみなされるのかしら」
「なんでそんな事を知りたがるんだ?
竜将候補に対して、他の竜将候補が攻撃を仕掛けた時点で開始だな。
番の巫女に対する攻撃も、開始とみなされる」
「……じゃあ、巫女から竜将候補や巫女に攻撃を仕掛けた場合はどうなるのかしら」
「ルール上は、それでも開始だ。
――お前まさか、自分から攻撃を仕掛けようとか思ってないだろうな?
巫女の力は竜将と力を合わせることで強く発揮される。
お前一人で巫女を連れた竜将候補に喧嘩を売っても、あっさり殺されるだけだぞ」
「用心のために聞いておいただけよ。
相手の巫女から攻撃されないとは限らないじゃない?」
リオは、窓の外で沈みゆく夕日を眺めて応えた。
ミルスは困惑した顔で、リオの横顔を眺めていた。
だがやがて、反対側の窓の景色を眺めるように顔を背けた。
気まずい沈黙が車内の空気を支配したまま、馬車は王宮へと向かっていった。