21.
リオは赤い瞳を瞬かせ、前に出てきた少女に尋ねる。
「あなたも知らない人ね。誰かしら?
――レオナルド、知ってる?」
「あー……釣書で見た顔だな。
確かアレンビスト公爵家のご息女だ。
ヘレナ嬢だかエレナ嬢だか、確かそんな名だ」
リオの顔が明るい笑顔に変わる。
「あら、レオナルドったら公爵家から釣書を貰うだなんて、隅に置けないわね!」
再びリオのスナップが効いた手のひら、がレオナルドの背中を叩いた。
レオナルドが大きな悲鳴を上げる。
「いってぇっての! なんで背中を叩くのに毎回スナップ利かせるんだよ、お前は!」
周囲で様子を楽しんでいる生徒たちは、その瞬間に少女のこめかみに青筋が浮いたのが確かに見えた。
顔を引きつらせながら、少女が口を開く。
「失礼、レオナルド様。
改めて自己紹介させて頂きますね。
わたくし、アレンビスト公爵家息女のエレナと申します。
――そこの平民の女子生徒、レオナルド様からいい加減離れなさい。
気安く触るのも止めて頂きたいの。
お分かりかしら?」
リオが周囲を見渡した後、小首をかしげた。
「『平民の女子生徒』? それ、もしかして私に言ってるのかしら?
それとも別の子? ここにそんな子は居ないわよ?
あなた、何か勘違いしてない?」
エレナがこめかみを引くつかせながらリオに告げる。
「あなた、まさか自分が貴族子女だと言い張るつもりかしら?
社交界であなたのような子を見かけた覚えなんてなくてよ?」
リオの赤い髪はひときわ目立つ。
瞳も赤いとなれば、なおさらだ。
こんな目立つ少女が居れば、記憶に残らない訳がなかった。
リオが赤い瞳を瞬かせ、小首をかしげて応える。
「いいえ? 私は『貴族子女』ではないわね。
私のお父さんもお母さんも、貴族ではなく平民だもの」
「なら平民じゃない!
なにが勘違いだと言うのか説明して欲しいわ!
平民風情がレオナルド様に近付くなど、汚らわしいのよ!」
勝手に興奮を増していくエレナを、リオはきょとんと眺めた。
小首をかしげ、エレナに告げる。
「でも私は、『平民』ではないわよ?」
貴族の作法が通用しないリオに、エレナの我慢も限界を迎えようとしていた。
顔を真っ赤にしてエレナが叫ぶ。
「じゃあ早く名乗りなさいよ!
普通、名乗られたら名乗り返すのが貴族の礼儀でしょう?!」
リオがぽん、と手を叩いて笑顔に変わる。
「ああ、そういえばそう習ったわ!
学院でもそれはやらなきゃいけないのね。
ごめんなさい、すぐに気が付かなくて。
私はリオ・ウェラウルム第三王子妃よ!
――ねぇレオナルド、これで大丈夫だったかしら?」
リオはレオナルドに振り向いて確認を取った。
彼は満面の笑みでウィンクを飛ばし、サムズアップで応える。
「オッケー! 問題ない。
ちっと気づくのが遅れたが、お前の方が格上だ。
そのくらいは大した問題じゃないさ」
リオの名乗りに呆気に取られたエレナが、ためらいがちにリオに応える。
「――ごめんなさい、ちょっと耳の調子が悪いみたいなの。
もう一度聞かせてもらえるかしら?」
エレナに向き直ったリオが、再び笑顔で名前を告げる。
「私はリオ・ウェラウルム第三王子妃。
ミルス・ウェラウルム第三王子の正室よ。
王族だから、正確には『貴族でもない』わね。
『未婚子女』でもないし、私がレオナルドに向ける態度に何か問題があったかな?
後学の為に教えてもらってもいい?
……えーと、『アレンビスト公爵家のエレナさん』、でしたっけ」
既婚女子が人前で未婚の男子に『触れる』程度は、特に咎められることはない。
王族が格下の貴族に対してならば、なおさらだ。
外見も発言も所作も平民にしか見えないリオが、王族だと名乗った。
エレナは理解が追い付かず、思考が停止していた。
呆然自失するエレナのそばで、取り巻きの女子が何かに気づいたように蒼褪めた。
慌ててエレナに耳打ちをする。
「この子、番の巫女じゃないですか?! 噂のリオ・マーベリックって子!」
その言葉で我に返り、ようやく理解に達したエレナが、思わず叫び声を上げた。
「――あなた、ミルス殿下の番の巫女なの?!」
神に捧げられる『成竜の儀』という儀式が、未だ現役で執り行われるウェラウルム王国。
その国内で最も権威を持つのが王族だ。
その中でも特に絶大な権威を持つ存在――それが王家直系の男子と、その番の巫女だった。
国内においてその存在は、他国における王族とは一線を画する。
神の力を振るう彼らは、半ば神に近しい存在として敬われていた。
エレナはようやく、目の前に居るリオの身分を正しく認識したのだ。
リオは微笑みながらエレナの言葉を肯定する。
「ええ、そうよ?
先月この学院に編入したばかりだから、私の事を知らない人もまだ大勢いるみたい。
本当はこういう時、私は王族としてあなたたちの態度を戒めないといけないらしいんだけど。
でも『不敬罪』とか堅苦しいのは不慣れだし、苦手なのよ。
私は今日の事を忘れるから、あなたたちも忘れて貰えるかな?」
エレナは絶句したままうなずいた。
「よかった! じゃあみんな戻りましょう!」
再びリオを先頭に球遊びをしていた集団が、エレナたちを避けて校舎の中に消えていった。
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呆然とリオたちを見送った取り巻きの少女が、ぽつりとつぶく。
「私たち、今いくつ不敬を働いたのかしら」
厳罰を免れない範囲の不敬を働いた自覚が、彼女らには在った。
正当な理由なく道を塞ぎ、罵り、怒鳴りつけ、最後は迂回させた。
小さな家は取り潰しすらあり得る――そんな範囲だ。
貴族の中で上位に位置するアレンビスト公爵家も咎めなしでは済まない。
国内で最上級の権威を持つ番の巫女は、『顔も名前も知らなかった』が通用する相手ではなかった。
逆に、それ自体が不敬になる。
これだけの不敬を働いた後ならば、リオの一言でエレナたちの命すら簡単に絶つことが出来る。
それほどの発言力を持つのが『番の巫女』だった。
理解が進むほど、少女たちの顔色が蒼褪めていった。
別の取り巻きの少女が、不安を誤魔化すようにぽつりとつぶく。
「……殿下が『忘れる』とおっしゃったのだから、きっと大丈夫よ」
エレナは蒼褪めた顔をこわばらせて、取り巻きの少女たちに告げる。
「わたくしは名前を憶えられてしまったかも……。
気分が優れません。今日はもう早退致します」
取り巻きの少女たちに支えられたエレナは、頼りない足取りでふらふらと校舎の中に消えていった。




