Protocol2 名前
名前は個性
1
スラム街は騒がしく、住民たちは怯えてそれぞれの家の中に閉じ籠っている。騒がしくしているのはデウス・インダストリアルの実働部隊連中だ。先日の襲撃の犯人を捜している様だが、その探し方も横暴そのものだ。見かけた住民を捕まえては怒鳴りつけて、知らないと言えば殴る。酷い有様だ。今も夫婦が絡まれていた。そして、殴られたのはお腹を大きくした女性だった。必死にお腹を両腕で守っている。夫とみられる男性が女性に覆いかぶさって盾になっている。それでも隊員は暴力をやめない。
その様子を建物の影から見ていた彼女は、住民を殴る奴に近づいて背後から締め落としてしまう。
音もなく現れた彼女は倒れた隊員の脚を掴むと、住民には何も言わずにその場を離れる。ズリズリと隊員を引きずって適当なゴミ捨て場にそいつの身体を放り込む。
住民にとっては彼女は疫病神だ。だから、彼女は住民に話しかけたり助けを求める事はしなかった。彼女は自分のしたことに後悔はないが、組織の威を借りたクズの行動はいつも弱い者いじめに落ち着く事を失念していた事には微かな苛立ちを覚えていた。
「クソが……話聞くだけで殴るのかよ」
やっぱりムカついた彼女はさっき締め落とした奴をゴミ箱から回収する。
「おい……おい! 起きろ!」
彼女は男の隊員であるそいつをまるで人形のように軽々と持ち上げて身体を揺さぶるが、そいつは起きない。彼女の耳にはそいつの呼吸音も心音も聞こえているから死んではいないはずだ。舌打ちをした彼女はそいつを空き地まで連れて行くと、地面にそいつを放り投げる。
その衝撃で隊員は目を覚ます。
「がっ!? な、なんだ!? あっ、貴様! 5人目だな!」
「うるせえ!」
彼女はそいつにビンタを食らわせる。
手加減しているとはいえ、相当な衝撃を受けた隊員は頬を抑えたまま大人しくなる。
「お前、なんでそこらの連中殴ってんだ? あ? おい、話せよ」
彼女は冷たい表情で睨みつけると男に尋問を始める。
「無能力な連中になにをしようと」
隊員の言葉は彼女の2発目のビンタで遮られる。
「俺は何処にも匿ってもらってねぇ。おい、仲間に連絡しろ。探している俺は、当てもなくそこら辺をふらついてるってな。おら、連絡しろ」
「俺に命令するな!」
「ガッツあるな? 何処までガッツ見せてくれんだ?」
彼女はそう言うと隊員の脚を右手で掴む。そして、掌から弱くジェットを吐き出す。皮膚は焼かれ、筋肉に衝撃、骨には軋みを与えられて隊員は叫び声を上げる。
だが、彼女はそいつの口を空いている左手で押さえつける。
「お前の他にも隊員は沢山いるよな? お前が壊れたら、他の奴にも同じことをやる。そいつにも家族がいるんだろうな……家に帰れば、幸せが待ってるんだろ? お前には?」
少しうつむき気味の彼女のウェーブかかった前髪の奥から金色の瞳がギラリと光る。その様はまるで人間の形を真似した怪物に見える。
「こ、こちら木下。対象を確認、奴は単独で街を我が物顔で練り歩いている。不思議と住民に助けを求めてはいない様子だ」
「寄越せ」
彼女は冷たくそう言うと隊員の通信用のインカムを取り上げる。
「聞いたな!? 住民にふざけた事した奴を見たらそいつを殺す! これから一人でもそう言う奴を見かけたら、見かけた奴を全員殺す! わかったな!?」
彼女は感情的にそれだけ告げてからインカムを握りつぶす。
「これがお前らがやっていた事だ。戦えない奴らの気持ちを味わえ」
「こ、こんな事をして……生きていられると思うのか!? お前がいくら改造人間でも、組織の力には敵わないぞ!」
「知るかよ……ただ、俺はビビらねぇ! 望むとこだ!」
彼女は隊員にそう言うと、拳を握る。
「おい? 俺は、言うことを聞いたぞ? やめてくれ! 俺にも家族がいる! 子供だっているんだ!」
「さっきお前が殴ってた女は、腹にガキいるんだぞ!? そんな女ぶん殴った手で! 家に帰って自分のガキを抱き上げんのか!?」
叫ぶと彼女はその隊員へと容赦なく拳での連打を浴びせる。死にはしないだろうが、隊員は足腰が立たなくなるほどにボコボコにされる。殴られて血まみれの彼を彼女はヤクザキックで吹き飛ばす。これでもかなり手加減している。彼女の力で本気で殴ったら人体なんか紙切れの様に扱えてしまうのだから。
地面で大の字になって気絶した隊員に彼女は軽蔑の目を向けて去っていく。
「あ、あの!」
そんな彼女の背中に声がかけられる。女性の声だった。
振り返ると、そこには先ほどの夫婦がいた。
「んだよ……どっか行け、腹のガキに悪いだろ。こういう現場は」
両拳に血を付けた彼女はギロッと夫婦を睨むが、一瞬怯んだ夫婦の夫が口を開いた。それに続けて妻も彼女に叫ぶように告げる。
「た、確かに少しやりすぎだけど……妻を助けてくれてありがとうございます!」
「わ、私も! この子の為に怒ってくれて、ありがとうございました!」
今度はその言葉に彼女が怯む番だった。
彼女は口元を手で隠して、目元は前髪で見えないが少しだけ優しくなった声で返事をする。
「……あ、アンタ。その、産むの頑張れよ?」
それだけ告げると彼女はジェットで飛んで行く。空を飛び、人気の無い入り組んだ建物の路地裏に入るとビルの非常用階段に着地する。
ため息を吐いて、彼女は取り出したタバコにジッポライターで火を付ける。ジッポオイルの匂いに次いで煙の匂いが彼女の心を落ち着かせる。次はため息と共に煙を吐き出す。
「……何が、産むの頑張ってだよ。あー言う時は、黙って去るんだよ……お礼なんて言うな。クソ、そんなんじゃねぇよ」
ブツブツと独り言を呟いて倒れる様に階段へと腰を掛ける。
だが、彼女の口元は緩んでいた。
「赤ちゃん、元気に生まれると良いな」
嬉しそうにそう言う彼女の顔はとても優し気だ。だが、彼女の両手は血で真っ赤に染まっている。
「やはり、変な奴。両手を血で染めながら、生まれてくる子供を気に掛ける」
「意外と早く会ったな。背後と、頭上を取ってんだろ? 何で襲い掛からない?」
背後からの声に彼女はあっけらかんと答える。そこに誰かが来る事を予測していたかのような振舞だ。直後に首筋に冷たい刃が突きつけられた。
紅い刀身。
つい昨日、殴り飛ばした相手だ。
「不意打ちで首を斬っても勝利ではない。お前の力を正面から粉砕しないと、えっと……なんだ? どうしたいんだっけ」
「気が済まないんじゃねぇのか? 正面きってぶん殴られて悔しいんだろ? 同じように正面から俺を斬らないとスッキリしないってんだろ?」
彼女は呆れたようにそう言うと、怯える様子もなく立ち上がって振り返った。
そこには少し困惑した表情の凛が立っていた。その顔には傷1つもついていない。顔を殴られたのに、大した回復力である。
「俺の矛盾を指摘したよな? 間違ってねぇ。俺は暴力で今しがた、妊婦を殴った奴をボコボコにした。瀕死だろうな、もしかしたら死ぬかも? そいつにも子供がいるらしい」
突然そう言う彼女に凛は更に怪訝な表情を浮かべる。
「我らがおかしいと言いたいのか? 尋問なんか、日常茶飯事だ」
「そうじゃねぇよ。なぁ、どっちが悪い奴だろうな? 妊婦を殴って尋問する隊員と、その子持ちの隊員を瀕死になるまで殴った俺。どうしても、許せなかった。腹を抱えている女を、子持ちの男が殴って……それが仕方ねぇで済まされる事がな。その手で自分の子を抱き上げて、いい子に育ちますようにって言うのか? 気が付いたら、そいつは虫の息で地面に倒れてたよ」
彼女は切ない顔で、乾いてない血を気にも留めずにタバコを吸う。
「お、お前が悪いだろ? 我が隊の任務を妨害してるじゃないか?」
「それで、もし腹の子が死んだら?」
「致し方ない、犠牲だ」
「そうか……変なこと聞いたな。お前、ホントは今の話聞いて迷ったろ?」
彼女がそう言うと、凛は表情をギッと険しいものにした。
「何をだ!」
「さぁ? お前が一番わかってんだろ?」
「もういい、構えろ。ここで始末してやる!」
凛は正眼に刀を構える。そこには一部の隙も無い。彼女は演算してみるも、やはり2パターンは確定で来る計算となってしまう。
凛が刀を振り回せばこの非常階段もバラバラにされてしまうだろう。
だが、彼女はタバコを咥えたまま凛を無視して階段を降り始める。
「おい! 何の真似だ!」
「ははははっ! 昨日の機械みたいな話し方よりはそっちの方が良い。来いよ、少し歩こう」
彼女は嬉しそうにそう言うと手招きをする。
「くっ……なんなんだ!」
キンッ! と刀を納めた凛は大人しく彼女の後ろを付いて来た。2人は路地に降りると、街の中を歩き始めた。明らかにこの2人は浮いていた。
街の人々はギョッとして直ぐに家の中へと避難していく。
「なぁ、寂しいよな。顔見ただけで避けられるってのはさ」
「無能力共に好かれたいとも思わない。気安くされるのも不快だ」
「独りぼっちってか? 友達いないだろ」
「そんなものは要らない。私はACEだ。この区で、最強でいないといけない」
「嘘吐いてやがる。最強でありたいから俺に付いて来てる訳じゃないだろ?」
「お前はまた訳の分からない事を」
「本気で俺を斬りたいなら、先制攻撃でもして俺に戦わざるを得ない状況を作ればいい。なんで俺に付いてくるんだ?」
「何処で戦っても同じだ。ここでも、何でもな」
凛の表情は硬い。だが、昨日の機械的な硬さではない。強敵を前にして緊張しているかのようにも彼女は捉えた。現に、刀からは片時も手を離してない。
そんな凛に彼女は少しだけ困った顔をする。そして、話題を放り投げた。
「なぁ、凛ってさ? 両親いるのか?」
「はぁ? 気安く呼ぶな。お前に何かを言う義理なんてないだろ」
「良いだろ? 俺にはいたかどうかもわからねぇ。記憶が無いんだよ。兄弟、友人、恋人とかも全部忘れている。まぁ、存在してんだから親はいるんだろうけどよ……クローンって可能性も捨てきれない。お前は? どうなんだよ?」
彼女はそう言うと吸い終わったタバコを筒状の携帯灰皿に入れる。
凛は少し沈黙した後に、ゆっくりと話し始めた。
「……私は普通に生まれた。父上に、母上。母上は4年前に死んだ……私が16になった次の日だった。父上はデウス・インダストリアルの最高責任者で、私は後継者を生むために色々な奴とお見合いを強いられてきたよ」
「お袋さん、病気か?」
「癌だった。何処の癌だったかな……父上を支える為に奔走していた。気が付いた時には、ステージ4……手遅れだったよ」
「辛いな」
「うるさい、同情するな。腹が立つだけだ」
「すまない。親父さんは、どうなんだ? お前、色々背負ってんだな」
彼女は優しい表情をして凛の話を聞いていた。
そんな彼女を見て、凛は戸惑いを覚えていた。彼女の意図が読めない事と、自分自身の心境の変化にだ。今は、この彼女へと話をしたいと感じている。
深く聞いてこないが、少しだけでも知りたがる。彼女自体は謎の存在だが、意外と凛は自分が話好きなのかもしれないと感じ始めていた。
「これが、私の存在意義だ。だが、前は跡継ぎを生む事。でも、今はACEとして最強の兵器たり得る事だ。奇跡的に、デウス・インダストリアルの人体改造技術の適合者となった。18の時にこの力を得てからは花婿候補はいなくなったな」
「お前の親父は止めなかったのか? その手術……リスク高いだろ?」
「最も優れた適合者は私だけ、父上は大層喜ばれた……だが、機械の様に正確になれ、情けや執着は全て捨てる様に言われた。私もそれが正しいと思う。兵器には感情は邪魔となる」
凛は少し陰のある表情をしてそう語った。
彼女はそれに対して一言。
「今日はサボろうぜ?」
「はぁ?」
凛はアホの様に首を傾げてしまった。
「ははっ! お前、改造人間だろ? なら、同じ改造人間仲間だ。今日はそんな面倒な事はヤメだ! おい、飯食いに行こうぜ」
「気安くするな! 私は敵だぞ!」
「知った事かバーカ! 俺は何処にも属してないし、この時代の事も知らねぇ。色々聞きたいんだよ。凛……俺は何なんだ? 改造人間って? あの空に見える宇宙船見たいな影は何だ? 海の柱は一体どういう事だ?」
そう言う彼女は迷子の子供の様なセリフを吐いている割には明るい表情をしていた。まるで、冒険に胸を躍らせる少年のようだ。
だが、彼女はその天真爛漫な輝きの奥底に、得体の知れない暗闇の様な、不安を与える何かを帯びている。凛はそれを睨みつける様に彼女へと向き直る。彼女も正面から凛を見つめ返した。
「……怪物の様な女だ」
「俺は、出来ればヒーローでいたいけどな! でも、まぁ、そうか。今の俺は怪物さ」
凛の言葉に彼女はニコッと笑った。
大人の女の色香を持つ彼女の笑顔は、並の男なら腰を抜かすほどに美しかった。そんな彼女へと凛はビルが多く建つ街を指さす。
「ここには何もない、市街地に行くぞ。食事なら向こうで用意してやる。私が傍にいる間は部下はお前に手出しは出来ないから警戒するな……って、お前はそんな奴じゃないか。暴れるなよ?」
「お前の部下が弱い者いじめしてたら、ぶん殴るけどな?」
「……弱い者いじめか。わかった、無能力共への対応を変える様に話をするか」
「お? やっぱり、お前も嫌だったんじゃないか? 弱い者いじめ」
凛は忌々し気な表情を一瞬だけ浮かべるが、短く息を吐く。
「かもな……今の私を父上が見たら、お怒りになるだろうな」
「はっ! 親父の言うこと聞く歳じゃねぇだろ? 女は胸が出てきたら親父離れするもんだぜ? その後の親父の役目は、いつの間にか男を知って垢抜けした娘に面食らって、穏やかじゃない心中で男に娘にやる決断を下すだけだ」
「お前、おっさん臭いぞ? それに、胸の事で喧嘩売ってんなら言い値で買うぞ?」
凛の胸は控えめなサイズだ。ピッタリとしたボディースーツの所為で彼女との差が隠せていない。
「ははははっ! いいぜ! そうだよ、お前は機械じゃない! 兵器でも何でもない、いい女じゃねぇか! 笑おうぜ、力があるなら胸張ってよ!」
「お前っ! また! 嫌味か!」
凛はムッとして彼女の胸倉を掴むが、一瞬触れた感触で敗北を悟ってバツの悪そうな顔で上着の前を閉じてしまった。
「気にすんなよ。行こうぜ」
「いつか見てろよ?」
その時だった。
空気を震わせるようなサイレンが街中に鳴り響いた。
「なんだ?」
「NEXT! 侵入して来たのか!?」
「NEXT?」
「くっ……速く行かないと」
凛はギリッと歯を食いしばって彼女を見た。
彼女は凛の目を見て少し考えると、右手を出した。
「敵って感じか? 空の宇宙船、武装した人間、改造人間、実権を握る軍需企業。何となく察してはいたよ。俺も参戦する!」
凛は苦渋を浮かべた顔で彼女へと告げる。
「私から、離れるなよ!? お前も信用したわけじゃない! 別の区からのスパイかも知れないからな! 戦う理由もないお前が無事でいられる保証もないがな」
「理由ならある。さっきの夫婦や昨日の兄妹がいる所を守る」
彼女はそう言うと、凛の右手と無理やり握手する。
凛は鼻で彼女のセリフを笑う。
「ほざけ、期待できない」
「結構! じゃ、行くか!」
彼女が叫んだ時だった。街の上空に200mはある様な飛行船が現れた。
「うわー、いきなり現れたな。ワープして来た?」
「街への部隊は部下が対処する。私は本丸を単騎で叩く」
「今日は2人だ! 掴まれ!」
凛は彼女の意図を察して背中から手を回して身体にしがみつく。それと同時に彼女は両手から碧いジェットを勢いよく噴射して敵船へと向かった。
君の名前は……そうか、複雑だったね
どう呼べばいいのやら?
そうだな。字名はどうかな? 一時的な仮名って事でさ
さて、どうだろうね。君はその白い髪が雪の様だ
君には青が似合うね。名前は大切なモノだよ、誰にとっても、何にとってもね