8年経った
倒れたアリアを心配してコバルトはグレイ公爵家を訪れていた。
王宮からグレイ家は馬車で1時間ほどである。
馬車に揺られながらアリアはこの道を通っていつも自分に会いに来ているのだなと思った。
中に通され遊び相手のジャックが迎えてくれる。
ジャックがアリアを連れてくると言って離れ、僕は客間に通される。
「アリアの様子は?」
客間に通してくれた公爵家の執事に尋ねる。
「…医者の診断では特に問題はないとのことでした。」
執事が一瞬言い淀んだような気がしたが気のせいだろうか。
公爵家の執事やメイド、王宮の護衛もいるが客間はシーンと静かだった。
そのためだろうか漏れ聞こえてアリアの声がした。
アリアはどうやら大きな声で叫んでいるようだ。
「殿下、」
不安になり慌てて客間の扉を開けた僕の前に執事が立ちはだかるように動く。
「ブル様にはもう二度と会いません!」
アリアの部屋からこの客間は遠いのだろう。
小さい音だったが言葉ははっきり聞き取れた。
「殿下、大丈夫ですのでどうかお戻りを。」
言いようのない不安を覚え自分でも驚いてしまった。
アリアはやんちゃではあるがわがままではない。
泣き叫ぶなんて珍しい。何か自分が悪いことをしたのだろうか。
「アリアはちょっと…今日は無理だった。」
しばらくしてジャックが気まずそうに帰ってきた。
アリアに会えなかったがすぐに帰るわけには行かずジャックと公爵家の庭を探索する。
そのあとは自分が来たことで慌てて帰ってきたのであろう公爵夫婦から食事に招待された。
食事の際にもアリアはまだ体調が悪いということで出てこなかった。
「殿下が来てくださったのに申し訳ありません。」
「あいつ石みたいに頑丈だし、すぐ良くなると思う。」
「アリアは殿下が大好きでちょっと緊張しているだけですわ。」
おそらく執事からアリアの発言を聞いたのだろうジャックと公爵夫婦は戸惑いながら言葉を選んで声をかけてくる。
「この前なんて殿下にあげるために狩りについてくると言い出し…」
「殿下にプレゼントしたいと絵本で見た七色の昆虫を取るなんて言って…」
「あの白い蛇の抜け殻も…」
3人が口々にアリアがどれだけ僕を好きであるかを語っている。
しまいには執事やメイドまでエピソードを聞かせてくる。
ちなみにどれも知っている話だった。
アリアは恐ろしいくらい僕を好きだったしそれが子どもの遊びみたいなものだとみんなが知っていた。
だから誰もがアリアの気持ちを本気にしていない。
僕も同じようにアリアの気持ちを本気にしていなかった。
アリアの大量の虫攻撃には参ったが突っぱねるにはアリアはあまりにも純粋で幼すぎた。
好意で虫をくれる猫のようなものだと思うしかなかった。
「アリアのことだ。どうせすぐ殿下に会いに行きますよ。」
みんなそう言って笑っていた。
だから僕も思いもしなかったのだ。
アリアがこの日を境に徹底的に僕を避けるとは。
******
記憶を取り戻してから8年が経った。
アリアは14歳になった。
あの日から見違えるように令嬢らしくなっていく私にみんなは驚愕していた。
やっぱりアリアでもあるのでそれなりに活発であるが虫を鷲掴みするようなことはない。
「アリアお嬢様は本当にご立派になられました。」
子どもの頃から面倒を見てくれている侍女は涙ぐみながら私を見ていた。
まだ子どもか大人か自分のことがわからなくなるが17歳の記憶が蘇れば流石に貴族らしくせねばという気持ちも生まれる。
唯一令嬢らしくないことといえば、お兄様とお父様について狩りに参加するようになった。
「これは…コバルト殿下にお届けしよう!」
12歳の時はじめて弓でウサギ(この世界はウサギも大きくて野生的だ)を取れた時にも同じ言葉で兄にからかわれた。
「もうコバルト殿下のことは言わないでください!」
私の中でコバルト殿下のことはとんでもない黒歴史の初恋になっていた。
兄にとっては親友と妹が仲違いしたような気持ちらしい。
定期的にコバルト殿下のことを私にふっかけてきた。
「もう8年もお会いしていないのですから殿下も忘れているはずです。」
「いや、毎日、虫持ってきたやつのこと忘れるのは無理だろ。」
「…」
叫びだしたくなるがなんとか止まった。
そう、殿下も忘れたはず忘れたはずだと時が経つたび考えるが、このせいで私は忘れることができなかった。
「あれはそもそもお父様が狩りの獲物を全てお母様に捧げていたのが悪いのです。」
「あー…」
「お母様もこれが愛の証なのとおっしゃっていたし…」
そう。父と母の愛情表現はこれだったのある。
公爵でありながら肉体系の父。
それが嬉しそうな母。
母の持ち物は父がとった動物の毛皮だらけである。
肉は家族みんなで食べた。この国では肉は貴重でお肉が大好きだった私は大いに喜んでいた。
その喜びも含めて父と母のその光景がたいそう素敵に見えたのだ。
「…でもお前は女だろ。あと虫…。」
私と兄の間に沈黙が流れる。
黒歴史すぎてもう考えることをやめたい。
「わかってると思うが、避けるのは失礼だぞ。
大体、今後王になる人を避け続けていられないし。」
16歳になった兄はもうほとんど大人だった。
来年には成人式をして大人の仲間入りをする。婚姻の話も出ていた。
兄は少しずつ父について公爵家の仕事についても学んでいて、ほんの少し遠い存在になっていた。
「今年の俺の誕生日パーティにも殿下は来て下さる。
今年は避けるなよ。」
毎年、兄の誕生日には殿下は出席してくれていた。
特別仲が良いと言っても殿下がわざわざ足を運んでくださるのは名誉なことだった。
この国には3つしかない公爵家。
この3つの公爵家の大人たちの祝いに陛下が参加されることはあるが殿下が参加されるのは珍しいのだ。
一般的に17歳の成人前に王宮以外で行われる催しに参加すること自体が珍しい。
本来は祝いの品だけを送るのが基本であった。
「病名も何もかも使い切っただろ。」
私はコバルト殿下と対峙する兄の誕生日パーティはこの8年毎年仮病を使った。
もちろん最初の挨拶にだけは参加し必要最低限の方にご挨拶をして逃げた。
貴族は公的な場では特に位の上の者からしか相手に話しかけてはいけないため、コバルト殿下にはこちらから挨拶をしなくてもいいのだ。
本当は挨拶を待たねばならないが、コバルト殿下にお会いする前に仮病で逃げ続けた。
「分かってるけど…」
私がつぶやくと兄は小さくため息をついた。
その日の晩は父と兄と3人で狩ったお肉が食卓に上がった。
お祈りの儀式をして、さあ、いただきますというところで父が口を開く。
「アリア、今年のジャックの誕生日パーティだが、お前も最後まで居なさい。」
突然の言葉にフォークからお肉がぽろっと落ちた。
どうやら兄が何か父に進言したようだった。
澄まし顔で食事をしている兄を少し睨む。
「アリア、来週、ジャックの誕生日パーティ用のドレスを選びましょう。」
母もなぜ父がそう言いだしたのか事情がわかっているらしい。
全員、私が仮病を使っていると知っているのだ。
「そうだな。青色がいいだろう。」
これは父の言葉である。
「兄様のお誕生日なので兄様の瞳の色の灰色にします。」
「あらダメよ。灰色は少し地味すぎるわ。」
という母はいつも父の瞳の色の灰色のドレスを着ている。
または髪色のシルバーだ。
「ではお兄様の髪の色のくすんだ黄色にします。」
「俺の髪はゴールドだ。
母さん、コイツだめだから母さんが選んでください。
また俺の肌の色だとか言って茶色とか着られたら気が気じゃないので。
父さんの言う通り、大、好きな青色にしましょう。」
大、に力が込められている。
目立たない地味な色のドレスのこともバレていたようだ。
「そうね…。そうしましょうか。」
「え、でも…」
「アリア、今年はもう許さないぞ。」
「…はい。」
父の一言で会話が終わってしまう。
私も貴族令嬢の端くれなので父の言葉に逆らってはいけないのだ。
そして私も自分が十分に不敬であることは理解していた。
もう14歳。子どもだからと許してもらえる時期もすぎた。
こうなったらもう気合いを入れるしかない。
もしかしたらコバルト殿下も忘れてくださっているかもしれない。
忘れていなかったとしても、もう虫など触りませんとアピールするしかないのだ。