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神殿での生活 01

 ハイランド島の守護女神にして大地母神、《母なる君》への終生誓願を行い聖職者となったビビは、寄付金の力で司祭位を得て、首都ポート・エリンの郊外に建てられた大神殿にて聖職者としての生活を始めていた。


 ビビは一緒に神殿まで付いてきてくれたノエリアを世話係として、侯爵家にいた時とあまり変わらない生活を送っていた。

 世俗の影響力を感じると共に、所詮世の中は金とコネだと実感する毎日である。


 なお、《母なる君》教団における聖職者の階級は、上から最高司祭、高司祭、司祭、侍祭、助祭となっていて、終生誓願と同時に司祭位を賜るというのは結構凄い事だったりする。全ては寄付の賜物だ。ちなみにノエリアは侍祭からのスタートとなった。


 ビビとノエリアが終生誓願を行う際に積んだ寄付金は、王家から支払われた破談の慰謝料を充当した。

 折に触れて侯爵家から捻出する寄付金は、これまで別の慈善事業に出していたお金を充てる予定なので、侯爵家の財政に大きな影響を及ぼす心配はないと言われている。


 むしろ惰性や付き合いで出資していたくだらない事業への投資をやめるきっかけになる、とは母、レイチェルの言である。


 実際にはそんな事はなくて、母なりの気にしなくていいという遠回しな発言だとは思うのだが、家族からわがままを許して貰えたというのは何にしてもありがたい事だ。

 なぜならビビにはまだ政略結婚の駒としての利用価値はあったのだから。




 ――その裏には、エリスとの婚約が破談になって傷付いているのではないかという両親の配慮が働いていたのだが、生憎ビビは気が付いていなかった。




 それはさておき、神殿には男の聖職者も女の聖職者も居るが、祀られる神が大地母神という性質上、割合としては女性の方が多く、歴代の最高司祭も大神殿長も女性が務めるのが半ば慣例となっていた。


 なお、最高司祭は王族に連なる女性が務める名誉職のようになっているので、教団の実質的頂点は大神殿長となっている。


 教団内だけ男女の力関係が逆転して女性優位となっているのは、《母なる君》は全ての女性の守護者であり化身とされていて、神殿が未婚の母や夫の暴力、嫁いびりなどから逃げてきた女性の最後の砦という側面も持っているためである。


 聖職者は神との(えにし)を強固に結ぶためという理由から婚姻は許されない。

 ゆえに神殿の生活区域は男女で完全に分かれているのだが、ビビにあてがわれたのは、神殿の女子棟の中でも最上級の部類に入る部屋だった。


 大神殿の近くには温泉の源泉があり、ビビに与えられた部屋にはかけ流しの露天風呂が付いているのも嬉しい点だ。


 朝が早く消灯が早いという生活に慣れてしまえば、神殿の生活は自由に外出ができない不便さと、ほんの少しの寂しさはあるもののそれなりに快適だった。


 大神殿は歴史ある建造物で、様々な美術品や骨董品の宝庫というのも大きいかもしれない。

 生憎新参の一司祭の身分では、閲覧できる範囲は限られていたが、時間のある時は神殿内をただゆっくりと見て回るだけでもしばらく暇が潰せそうだった。


 なお、寂しさの原因は慣れ親しんだ侯爵家を出た為だとビビは自己分析していた。

 表向きは傷心の為として神殿に入ったので、教団内の人々は勝手にエリスとの婚約が破談になったためと邪推して腫れ物扱いしてくるが、そのせいでは断じてない。




 神殿におけるビビの生活はまだ薄暗いうちから始まる。

 身支度を整えたら潔斎し、朝の祈祷を《母なる君》に捧げる。


 それが終われば朝食を摂り、一般の新人の聖職者であれば掃除や洗濯といった神殿の様々な雑務を奉仕活動と称してこなすのだが、司祭からのスタートとなったビビの場合は免除され、その分学習の時間に充てる事になっていた。


 先生役は先輩司祭のナタリーという女性で、講義内容は教団の教義であったり祈祷の手順であったり、聖職者として必要最低限知っておくべき知識だ。


 何年か大神殿で過ごした後は、地方の分神殿の神殿長として赴任する可能性があると言われている。身につけるべき知識は山のようにあった。


 これは、これまでの王子妃教育の講義が置き変わっただけと考えればいいのでそんなに苦痛でもなかった。


 ハイランドだけでなく東の大陸の地理歴史、大陸共通語、幅広い芸術の知識、有力貴族の顔と名前、家族構成など、王子妃には社交の為に領主夫人の範囲を超えた知識が求められる。


 補佐官を付けてもらえるので、何がなんでも完璧に覚えなければいけない訳ではなかったけれど、馴染みのない響きを持つ大陸の地名や人名を覚えるのは苦手だったから、ビビにとっては神殿の講義の方が楽しく学習できた。これは、教師役のナタリー司祭の教え方が上手というのもあるかもしれない。


 講義が終われば、後は夕方の祈祷の時間までは自由時間だ。刺繍や楽器の演奏をしたり、神殿内の本を読んだり、ノエリアや同僚の司祭とお茶をしたり……自由時間の過ごし方は邸に居た時とあまり変わらない。




 今日のビビの予定は神殿併設の孤児院への慰問だった。

 レイチェルが経営する織物商会からリネンが寄付されたのでナタリーに協力してもらって届けに行ったのだ。

 その帰り道でビビは女性聖職者の三人組とすれ違った。


「ベアトリス司祭だわ」

「まぁ、元侯爵令嬢の……」

「確かエリス殿下に……ねぇ」


 すれ違いざまに聞こえた小さな会話は陰口とは言えない。しかしその表情や声色からは悪意を感じる。そんな話し方でのひそひそ声に、隣を歩くナタリーから気遣わしげな視線が向けられた。


(中心にいたのはローラ司祭だったわね)


 ローラ・ファロンは、若干二十四歳にして千日水行と呼ばれる厳しい修行を満了して司祭位を得た女性だ。


 千日水行はその名の通り千日の間、気候に関わらず毎日欠かさず冷たい水の中で滝に打たれながら何時間も精進潔斎するという厳しい修行で、千日の水行が終わった後は聖堂に籠り、一ヶ月の断食を行うという、常人には到底完遂できない極めて厳しい修行だ。


 大神殿に併設された孤児院の出身で、自身の能力と高い信仰心を示すことでのし上がってきた叩き上げの聖職者なので、家柄と寄付金の力で司祭位を得たビビを目の敵にしている。


 茶色の髪に青灰色の大きな瞳が特徴で、年齢よりも若く見える可愛らしい顔をしているのだが、ビビを見る時の彼女の顔はいつも目尻が吊り上がっているのが残念だ。


「大丈夫ですか? ベアトリス司祭」


 ナタリーが声をかけてきたのは、ローラの背中が見えなくなってからだった。


「気にしていません。あの方の気持ちもわかりますので」


 ローラが敵視しているのは何もビビだけではない。貴族出身の聖職者が全般的に気に食わないのだ。

 彼女の気持ちはわからないでもない。生まれ育ちがいいだけで簡単に教団内の地位を得てしまう上に、家庭教師を雇う余裕のない下級貴族の間では神殿を娘の箔付けの場とする風潮がある。

 行儀見習いの為に神殿に入った若い女性貴族の聖職者は、たいてい二、三年で婚姻の為に還俗してしまう。


(でもあの態度は無駄に敵を作るだけのような……)


 貴族出身の聖職者とローラの間には壁がある。それでもローラが神殿内で一定の地位を確立しているのは、この国でも数少ない千日水行の満了者で、次期大神殿長の有力候補でもあるセーラ高司祭が彼女に目をかけているからだ。


「私もあの方には色々と悩まされましたから……あまり酷いようなら高司祭様達にご報告なさって下さいね」


 そう言えばナタリーも貴族の出身だった。

 伯爵家出身で二十八歳のナタリーは、早くに夫に先立たれ神殿に入った女性だ。

 子供は残念ながらできなかったが、夫を深く愛していたそうで、再婚を勧める周囲の雑音から逃げるために神殿入りしたらしい。


 ナタリーは、金髪に垂れ目がちの飴色の瞳がおっとりとした印象の女性だ。

 話し方ものんびりおっとりとしているので、ローラの当たりのきつさはかなり(こた)えたのではないだろうか。


「私の場合は慣れているので大丈夫ですよ。エリアス殿下の婚約者だった時はかなり周囲のやっかみがありましたから」


 ローラの態度程度、社交界の嫌がらせや(さえず)りに比べたら可愛いものだ。ローラの攻撃は言葉ばかりで、ドレスを汚したり、足を引っ掛けたりといった実害の出るものではないので適当に受け流しておけばいい。


「ベアトリス司祭はお強いですね。私、ローラ司祭にお会いした時は、この世にあんなに意地悪な物言いをされる方がいると思わなくて衝撃を受けましたから……」


 箱入りのお嬢様感溢れたナタリーの発言に、ビビは思わず苦笑いをした。

 聞けば先立たれた旦那様とナタリーは、領地が隣接する事から知り合った幼なじみ同士だったらしい。

 子供の頃からの恋を実らせ、周囲からも祝福された彼女の結婚生活は、それはそれは幸せなものだったようだ。


 羨ましいと思うと同時に可哀想だとも思う。幸せな結婚生活を喪った悲しみはビビには想像がつかない。


 男性に愛される喜びを知っているナタリーと、恋すらわからないビビ、果たしてどちらが幸せなのだろうか。


 ――いや、こんな事を考えるなんてナタリーに失礼だ。

 ビビは思い直すと、軽く頭を振って思考を追い出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] エリアスがもっとえげつない仕打ちをしていたのかと、躊躇していましたが、私的には単なるヘタレかと。素直になれないビビとの今後がとっても楽しみです。 作者様の織りなす世界感を楽しみ待っています。…
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