60、ファーストナイト
三つほど論文を書いて、私は王立魔法学院を卒業した。
学院の蔵書はすべて読破してしまったし、これから公妃や聖女としての仕事が増えるのは目に見えている。
講師もやめた。
それなりに面白かったけど一生続けたいほどでもなく、従って悔いはない。
タイトスケジュールの中、一つの帰結として卒業記念パーティーにも出席。
予定より一年早いせいか、何事もなく終わった。
婚約破棄および断罪イベントに用心しつつも、一スカウトマンとして有望な生徒や、興味深い研究を行っている教授に声をかけて回っていたら、あっという間。
ほっとしたような、がっかりしたような。
仮想乙女ゲームの舞台から去る私。
十分気のおもむくままに行動していたものの、一つ枷が外れたような解放感がある。
ハノース大公国建国記念式典もまた盛況のうちに幕を閉じた。
皇太子に繰り上げた第二皇子殿下をよこすあたり、帝国の現皇帝は肝っ玉の小さい男だ。
それもいまの私にとっては些細なこと。
なんといっても今晩が正真正銘の初夜なので。
夫婦として同じベッドで寝ていても、旦那様はじっと我慢の子であった。
若返ってギラギラしていたのにとても偉かった。
これまではいくらなんでも私が幼すぎたから。
やっと数えで十四になったところだけれど、前世でいえば中世から近世あたりの西欧人的成長と感覚。
社交界デビューをはたし名実ともに成人したので、そういうことに相成った。
いろいろできることはしてあげていたから、いまさらの感もあるけれど。
やはり良いものです。
それに先駆けて先輩公妃たちから祝いの言葉をもらい、ついでのように言い渡されたこと。
彼女たちは今日を限りに、公の場では公王陛下の隣に立たない。
命が惜しいので子供ができるような行為も御免被る。
茶会やサロンをはじめとした単体でこなせる公務は引き受ける。以上。
たしかに、お肌の曲がり角を二度ほど折れたあたりで、自分の子供ほどの年齢の夫と並んで立つのは嫌だろう。
いくら私が治癒魔法でフォローすると言ったところで、この世界での出産は命懸け。まして四十代となると考えの埒外らしい。
そして、早々に隣国の王都へ帰るつもりでいる。
もちろん彼女たちはそれぞれ力を持っていて、その活動は大いに大公国のためになるだろう。
すでに公王陛下の許可は得ているとのこと。
そんなこともあって建国記念式典では、公王陛下にいちばん近い席を与えられあいさつを受け続けた。
お茶も食事も口にする余裕はなかったけれど。
人々の注目を一身に浴びて、ぞくぞくするような興奮と緊張をおなかに押し込め、誰よりも輝いている公王陛下と息を合わせたダンスは最高だった。
一部の来賓は眉をひそめてひそひそしていたけれどかまうことはない。
これまでの常識にとらわれない新国の幕開けにふさわしいではないの。
それでも、カレエラ王女殿下の心からの笑顔と賛辞にほっとした。
彼女とは共に旦那様を支えていく姉妹のような関係に落ち着いている。
うつらうつらしながら湯あみをして、この日のためにあつらえたナイトガウンを着せかけられ、薄化粧をほどこされて扉を開けると旦那様が待っていた。
毎度のことだけれど、テルテル坊主のような寝巻を着せられている彼を見るとつい笑ってしまう。
この違和感とおかしみは、前世の記憶持ちにしかわからないだろう。
ダンは私の照れ隠しだとでも思っているのか気を悪くする様子はない。
「フフフッ。今晩は月がきれいですね」
「そなたの方がきれいだ」
「まあ…」
よろこびながら、おなかの中で突っ込みたがっている自分がいる。
だからこんなにもくすぐったい。
私にとってはまさにこの世の春だ。
ここが絶頂であとは転げ落ちるだけなんて事態にならないように気を付けなければ。
でもいまはそんな思いもどうでもよくなるほど、旦那様の懐はあいかわらず深くあたたかい。
この胸の高鳴りもまったく不快ではないし、つい癖で鼻を鳴らすと低い笑い声が響いてくる。
やはり猫か何かだと思われているのだろうか。
「やさしくしてくださいね」
「…心得た」
リン、ゴーン。リン、ゴーン。
頭の中で、架空の鐘が鳴り響く。
油断のならない光を宿している瞳を見つめながら、私は大きく心地よい手に身を委ねた。




