29、大穴
二つの伯爵領を通り抜け辺境へと至る。
荒涼とした大地の途中からは、この王国でも隣国でもない緩衝地帯だ。
ドラゴンがいるため誰も手を出したくない…出せない場所。
谷と言いつつ、それは大きく深い穴だった。
カルデラと言えばわかりやすいかもしれない。
その壁面に巣穴を掘って、多くのドラゴンが暮らしている。
もっとも近付く者はたいてい帰らぬ人になるので、その生態は謎に包まれている。
そこへ近づく私たち。
当然、大公閣下と私、護衛騎士たちは最後尾で、馬車から下ろした奴隷(仮)たちを先に進ませる。
馬車ごとなんて馬車がもったいない上に、馬がかわいそうすぎる。
そもそも臆病な生き物を超ド級の危険に向かわせるなど無理な話。
「人でなしー!」
「私たちを帰して!」
「せめて子供だけでも…」
大人は叫ぶし子供は泣き喚く。呼び鈴がわりにちょうどよい。
「結界で守られていますから大丈夫ですよー!たぶん。よしんばブレスが貫通しても、塵になりかける端から治しますから~」
後方からハンカチを振る私を恨めし気にふりかえったところで、下された命令によって足は進む。
重低音ながら鳥が鳴き交わすような声が響き始める。
急に変わった風向き。穴に向かって空気が動く。
崖の向こうから無骨で巨大な頭がのぞいた。
「ぎゃ~~~っ! 俺がわるかった!」
「神よ…」
「助けて、お母さま~!」
さすがに私もニヤニヤしている余裕はない。
大きい! 硬そう! 怖っ!
『やかましいぞ、人間ども。我らは耳もいいのだ』
グルグルぐわんぐわんと鼓膜を震わせる音とは別に、頭の中に声が響く。いわゆる念話というものだろう。
前方ではだいぶ決壊しているもよう。私もいまにもちびりそうだ。
それでもこれ以上騒いで不興を買うのは得策ではない。
「全員お黙りなさい」
意を決して声を上げた私に、瞳だけで半畳はあろうかという目が向く。
爬虫類と思うとキモイ。猫、猫の目だと思おう。
「遠くから失礼いたします。突然お邪魔した上、お騒がせして申し訳ございません」
『ふん、まあいい。聖剣の挑戦者であろう? たいていは突然切りかかってくるものだ。即座に消し炭にしてやるがな。あいさつするだけずいぶん上等だ』
まだ五百メートは離れているのに、ふんふんとドラゴンの鼻息にあおられて飛ばされそうだ。
「いえ、私たちはそちらにおわすであろう神様の…」
『聖剣の挑戦者であろう? さあ、試合おうではないか』
ドラゴンは、話聞かない系のバトルジャンキーだった。
「どうしましょう。汚れ除けの魔法陣が有効であれば、こちらは負けはしませんが、ドラゴンはどんな武器でも魔法でも傷付けられないのですよね?」
こそこそと尋ねると、さすがは旦那様。落ち着いた様子でドラゴンを観察している。
「相手は試合おうと言った。そもそも人の勝てる相手ではない。しばらく凌いでみせれば十分という可能性は高い」
言いつつ男の子の笑みを見せる。
「効かぬまでも特大のものをお見舞いしてやろう。そなたの守りがあれば安心して魔法に集中できる」
大丈夫とは思っているけれど、百パーセント確信は持てない。
なにしろこんな巨大な魔法生物を相手に試したことがないのだ。
それでも、ダンは私の力を信じてくれている。
「はい。お任せください」
『来ぬのならこちらからゆくぞ』
念のため五重に展開している結界に、ドラゴンブレスがぶち当たる。
先発隊はすでに全員気絶していた。幸せな人たち。
「あら。一枚で十分でした、旦那様」
「見事だ。次は私の番だな」
彼が魔力を高めることに集中している間に、ドラゴンは翼を開いて飛びあがり私たちを踏みつぶそうと試みる。
汚れとして弾かれて、殴打に切り替え、そして蹴り。
まるでそんな拳法があるかのような、かなり理に適った動きをしている。
汚れ除けの結界は、あと三枚しか残っていない。
それはどちらも一撃ではなかったけれど、ブレスより強力なパンチやキックってなんなのか。
霜柱や新雪をふむ子供のように大怪獣は楽しげだ。
しかし大きい。もう一度言うけど大きい。
私たちが一個のボタンだとしたら、それにじゃれ付く猫。それくらいの差がある。
なかなかやんちゃな御仁なのか、おいそれと傷付かないはずの鱗にところどころ擦れたような跡があり、尾っぽの先のたったの一枚だが、鱗が剥がれている。
それを見逃すような大公閣下ではない。
目をくらますほどの稲妻が、わずかにのぞく地肌めがけて落ちていった。




