2、見慣れた天井
ふと目が覚めた。
目に映ったのは、木造と思しき家屋の天井。狭く、煤けている。
見知らぬはずなのに、見慣れていると思う。
起き上がってから、自分が床に倒れていたことに気付く。
脚の折れた脚立を見、頭の瘤をさわって、状況は理解できた。
十歳前後の『わたし』が、二十数年生きた『私』を思い出す。
しばらく頭が痛かったけど、それが治まったら馴染んでいた。
うん。幼い感情に引っ張られる感じはあるけれど、『わたし』より『私』と言う方がしっくりくる。
もともと『わたし』はほとんど話さず、思考もしない。
母子家庭。その母親のネグレクトが原因だろう。
知識が乏しく、情緒も育っていなかったのだ。
汚部屋に子供が一人。
閉じ込められているわけでもないのに、外に出ようという知恵も気力も持たない。
ひどい生活ではあるけれど。
人の人生を乗っ取ったような罪悪感。
でも、それはすぐに消えた。
『わたし』は『私』
きのうが今日につながっているのと同じだ。
一日に一回、食事が放り込まれるだけ、マシなのだろうか。
黒いカチカチの小さな丸パンが一個。
ずっしりと重いから、見た目よりはおなかが膨れる。
ミネラルも豊富だろう。
戸口に置かれた水桶から、木製のカップに水を汲む。
本当は一度沸かしたいところだけど、ここには煮炊きをする施設がないようだ。
いつも使っているナイフをいつも通り服の腹で拭って、私は顔をしかめてしまう。
マナー的な問題もあるけれど、かえって不潔じゃないかな?
そういえば、手も洗っていない。
先程のカップと、どうにか発掘した盥を使って手を洗い、それから顔を洗う。
なんでこんなにべとべとなのよ?
意識すると頭から足の先までむずむずする。
頭を水桶に突っ込みたい衝動にかられたけど、まずは腹ごしらえをしようと思い直す。
いろいろとひどすぎる。腰を据えて、一つ一つ片付けてかなければという判断。
手で擦りながら水で洗い流し、ぷるぷる水切りしたナイフとまな板で、どう頑張っても指では千切れないパンを解体。
食材が傷むのはわかっていたけど、自然乾燥するまで待てなかった。
それでも、がっつきたくなるのをこらえ、よくよく噛んで満腹中枢を刺激する。
量的にはまるで足りないけれど、半分は取っておく。
きのうまでは一度に全部食べてしまって、夜がつらかった。
栄養価? なにそれおいしいの?
もちろん早々に改善しなくてはと思っている。
いつものように窓から外を眺める。ほかにすることがなかった。
誰にも育てられない幼いままの頭では、思いつかなかったわけだ。
向かいの建物群、目下の通り。
視界は狭いけれど、ここは五階で最上階だとわかる。
なかなかの建築技術だと思うのも、前世の記憶がよみがえってこそ。
もっとも私の知識から推し測れば、ここは下町の裏通りといったところだろう。
縦に長い集合住宅が立ち並ぶさまは、オリバーやレ・ミゼラブルの世界をほうふつとさせる。
こんなぼろい住居にも、窓にガラスがはめ込まれている。
撓んでいて気泡が多くみられることから、機械産業はまだ始まっていないようだと考える。
街の喧騒に混じるのは、硬そうな車輪や蹄鉄が立てる音。
目の前の通りは狭く土がむき出しで、汚物でぬかるんでいるけれど。
ここまでその臭いは上がってこなくても、自分自身が臭い。
左手の小さな広場に見えるのが、共同の水場に違いない。
でも、このままの格好ではね?
私のプライドが許すとか許さない以前に。
こんな身形の子供を近隣の主婦たちが受け入れてくれるとは思えない。
実際、浮浪児と思しき子供たちは、大人たちの隙をついて井戸に近寄ろうとするが、追い払われている。
まったく世知辛い世の中だ。