17、シンシアナ
シシーは、ハノース大公閣下の孫娘だった。
ハノース大公は前国王の末の弟で、その上戦功著しく、ほかの四家に与えられた公爵位と区別して大公と呼ばれる。
その娘が嫁ぎ先で産んだのがシンシアナ。つまり外孫。
身分はぐっと下がって子爵家の令嬢なのだけど。
王立魔法学院への入学準備のために、この公爵邸で世話になっているという話。
シシーの私に対する拒否反応はすごかった。
わからないではない。
ある日突然、大好きなお爺様が連れてきた見も知らぬやせぎちょの少女。
いきなり机を並べて仲良く一緒に学びなさいと言われたら、表面上は大人しくうなずいても心の中では反発するだろう。
いやはや。中身大人の私としては恋愛対象になるほど魅力的な男が、お爺様とは…。
私がてんで相手にしないので、彼女はよけいに悔しそうだ。
いや、だって。十一歳の女の子に勝ったところで誇れないでしょう?
歴史や地理にかんしてはかなり後発スタートだったけれど。
別に教師がいなくても勉強はできるから。
ごっつい図書館がありますから!
いかにも娯楽の少なそうなこの世界で、あらゆる分野の書物がそろっているなんて、ああ幸せ。
私はガツガツ知識をつめ込んだ。
時間がもったいないけれど、成長のためには睡眠も疎かにできない。
あとはよく食べ、適度に運動。
食事のグレードが急激にアップして、体が驚いたのか成長期がきた!
ふっくらして血色のよくなったほっぺ。
女の子らしく丸みを帯びてきた体。
これは、これはあきらめなくていいのかもしれない。
私は一人静かに涙した。
うれしくて。
大公閣下にできないことはない。
そんなハイスペックな人物も、不満に思っていることがある。
自分の子孫たちが平凡であるということだ。
あの日、三男の不始末に一縷の望みをかけ失望していた目に、実母を糾弾する小生意気な少女が新鮮に映った。
私にとってはラッキー。
シシーは子爵令嬢としては及第点だけど、どう贔屓目に見ても平凡な少女だ。
つまり、話していてもつまらないのよ。
大公閣下の奥様方とは特に交流はない。
一度あいさつするためにお茶の席に呼んでいただいたけれど。
こちらは私の方が相手にされていない。
セネカやブローをはじめとする下級メイドたちとは、意外にうまく付き合っている。
完成した洗濯ばさみが配られて、その発案者が私だと聞いたらしい。
感謝と尊敬?
セネカは相変わらず己の心に正直で、いらぬぼやきが多い。
そういう性格なのだとわかってからはあまり気にならなくなった。
あまりひどい時は、虎の威を借って脅しつける。
私自身は洗濯などしなくてすむようになったけれど。
せっかくなので文具や装飾として便利に可愛く使っている。
大公閣下とはだいたい日に二回会う。
閣下のための汚れ除けの魔法陣に魔力を込めるためだ。
平民はたいてい、手のひら大の木の板をウエストに挟んでいるものだけど。
閣下は白金のペンダントトップに魔法陣を彫らせたものを二組持っている。
以前目にした指輪同様、凄腕の彫金師に彫らせたのですって。
錬金術師より細かな細工ができるなんて、どんな超絶技巧かと思うけど。
そういえば前世では、お米にお経を書く人もいた。
そのためにスペアを持っているのだろうから、執事に持たせてもよいところ、必ず私を呼んで魔力を充填させる。
顔を見て、声を掛けてくださる。
居候の身としては、直訴の機会があるというのは大変ありがたい。
宿代としても格安だ。
「温泉とやらの源泉は見つかりそうか?」
「そのように努力しております。ですが、まだ敷地の半分も調査できておりませんので」
もとは井戸掘り用らしいのだけど。
ダウジングの魔法陣を一部描きかえて試している。
ある旅行記の記述からすると、地球同様この地は丸い。
地震や火山のない地域でも温泉を掘ることができるはずだ。
あきらかに風呂好きの閣下も、かなり期待しているご様子。
「足りないものはないか?」
化石海水でも見つけられたら、採掘技術者や大量の人夫を頼むとして。
庇護下に入った日。風呂から上がったら靴職人が来ていた。
専用の木型をつくるのだと詳細に私の足のサイズを測り、間に合わせにとぴったり足に合う靴を三足置いていった。
ドレスも着々と増えている。
最低限必要らしい宝飾品もいただいた。
運動用のズボンだけは、濃い色の布を求めて自分で縫った。
いわゆるアラジンパンツ。
デコルテのみならず半乳をさらしておいて、足を見せるのははしたないと言う貴婦人たち。
乗馬服もドレス型だ。
これだけだぼっとしていれば、同じでも抵抗は少ないはず。
それでも波風立てたいわけではないから、自室でヨガをするにとどめていたところ。
耳聡い大公閣下に、大人用のものを用意させられた。
どなたかにプレゼントするらしい。
身分の高い方のようだから、そこから新しいモードになることを期待したい。
日常生活で不足はない。
それでも私は、細々としたものをねだるようにしている。
こういうところがシシーはよけいに気に食わないのだろう。
月に一度か二度、偶然顔を合わせ、同じくらいの頻度でディナーを共にすれば、普通に大事にされていることになるらしい。
おねだりが許されるのは幼児期まで。特にシシーと大公閣下の関係性では、礼儀正しく接しなければならないだろう。
もっとも私はこちらの世界の一般家庭も、貴族がどう家族と接するものなのかも知らない。
あくまで前世での自身の経験と小説や映画を参考に、使用人たちの態度から類推したことも足していく。
あれはあれで価値があるのがシシー。
でも、あくまでたくさんいる孫のうちの一人。
私には私にしかない利用価値がある。
だからといって調子に乗らないように自らを戒めているし、マナーも学び続けている。
それを虚しいとは思わない。
おかげでいまここでこうしていられる。
長所は伸ばす。欠点は補う。
そのために必要なものを伝えれば、執事を通してすべて手配してくださる。
すべてが良い結果に結びつくわけではないけれど。
大公閣下は、まず挑戦する姿勢を良しとする。怠惰は憎む。
わりと砕けた様子も見せてくださるけれど、急にさっと冷めたように素っ気なくなるのにも慣れた。
この辺のタイミングは、彼の執事以外は測りかねているようで、シシーなどはおろおろして失敗することが多い。
確かに熱しやすく冷めやすい性格ではあるけれど、よく観察していればわかること。
大公閣下にとっては、ご自分の両親でさえも遠い存在であるように見える。
姉弟や祖父母ともなればなおさらだ。
それはある種の、たとえば貴族、またそれに準ずる地位にある親子関係ではそう珍しいものではないのだろう。
私が見るに、閣下にとっての真の母親の位置には、家令のクリスチャンがいる。
あくまで精神的なものだから、この際性別は関係ないだろう。
母は子に一見かいがいしく痒いところに手が届くように仕えているが、子はよほど厳しくしつけられたとみえて、母に相対し特にほかに第三者がいる場合、いちばん大公閣下然として振る舞う。
授業参観時の子供か。
もしくは父の取引相手や、遠い親戚に紹介された時の自分を見ているよう。
規模はまるで違うけれど。
なにしろ自分の生まれ育ち、おかしな癖、ほかの者には隠しおおせた失敗もすべて把握されているのだ。
誰よりも頼りにし、愛情すら抱いているけれど、襟を正さずにはいられない。
「マリアンナ嬢はお帰りだ」
それを理解してからは閣下のオン・オフにスムーズに合わせ、内心ほほえましく思う余裕ができた。
もちろんそれ以前も表面的には問題ないように、常に従う姿勢をとっていたけれど。
おかげさまでクリスチャンにも合格点をもらえている…と思う。
当然ながら彼は、どれだけ愛情を注ごうとも閣下の母親ではないし、家令である自分に誇りを持っていて、主人が毅然と命令を下すことを望んでいるのだから。




