16、ハノース大公
まだ、そちらはどんな様子か見たことも聞いたこともないのだけれど。
王様のおわす城を皇居とすれば、こちらは新宿御苑といったところだろうか。
様式はスコットランドの古城に近い。
先程からちらちらと視線を感じるけれど、私、十分驚いていますよ。
感動もしてます。
純粋に美しいし、一気に人口密度が下がって空気がきれいなのもありがたい。
でも、ここでおのぼりさんよろしく、ぱかっと口を開けたままにしたりしたら、淑女教育を受けられるよう手配してくださったレディ・アーサーに申し訳が立たない。
私は控えめに、この城の主に微笑みかける。
馬車の中ではずっと、これまでに私が習った魔法陣について説明させられていて、相手の名前もまだ知らない。
でも、あえて聞かないことを喜ばれているような気がするので、放っておくことにする。
よくフィクションでは車回しから玄関まで、使用人がずらりと並ぶシーンがあるけれど。
見るたびに馬鹿みたいだと思う。
本来、使用人は影に徹するもの。
忍者のように居るのか居ないのかわからず、でもあらゆる用事は済まされているのが理想。
せいぜいすべてを統括している家令が出迎えれば済むもの。ほら、こんな風に。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「あれはとんだ外れであった。別によい拾いものをした」
「さようでございますか」
ついセバスチャンと呼びたくなる初老の紳士。
「シシーと同列に遇せ」
「かしこまりました」
まさに主人。こちらを一瞥しただけありがたい。
特に何も言わず執事を従え去っていくのを淑女の礼で見送る。
あれが本来の姿。あまりにも格が違う。
向こう様からすれば、犬猫を拾ったくらいの感覚だろう。
じゃれつく時を間違えてはいけない。
「どうぞこちらへ、お嬢様」
私は無言で案内に従う。拾い主にならって会釈もしない。
シシーとは誰か。
セバス(仮)は顔色一つ変えなかったけれど。
粗末な身なりの少女を、主人が愛称で呼ぶ人物と同等にあつかえという。
お嬢様は、こちらでは貴族の令嬢に対する敬称だ。
少なくとも私はここでそのように振る舞ってよいらしい。
また、そうしなくてはいけないのだろう。
「こちらがお嬢様のお部屋になります。不足がありましたら、何なりとお申し付けください」
突然、連れてこられた私。
案内されたのは客間だと思われる。
調度品は少女が好みそうなパステルカラーの色調で、部屋全体がやさしい雰囲気に満ちている。
「あなたのことはなんと?」
「クリスチャンとお呼びください」
微妙におしい。
「私は、マリアンナです。これからどうぞよろしく」
「はい。マリアンナお嬢様」
「さっそくですけど。ここで暮らしていく上で早急に知っておくべきこと、あいさつするべき方がいたら教えてほしいの。あなたが忙しければ、それができる者を紹介してちょうだい」
クリスチャンが考え込んだのは瞬きほどの間。
「マリアンナお嬢様がよろしければの話でございますが。旦那様は外出から戻られますと湯あみをなさいます。
ふんだんに湯を沸かしますので、こちらにも湯船と湯をお運びすることが可能です。ご用意に一時間ほどいただくことになりますので、その間に、お針の得意なメイドを呼び、取り急ぎ必要な着替えの用意などされてはどうかと。
午後のお茶の時間までに、さきほどご要望がございました点についてまとめ、僭越ながら私がご説明させていただこうと思います。
また、マリアンナお嬢様の専属となるメイドもご用意させていただきます。いかがでしょうか?」
いかがもなにも完璧です。
「では、そのように」
「かしこまりました」
さんさんと陽光の差し込む居間に一人残され、天を仰ぐ。
薄緑の縁取りの中、描かれているのは妖精だろうか。見事な天井だ。
猫が縄張りをチェックするように、すべての扉を開け、引き出しの中をのぞく。
クローゼットはすでに一つの部屋だ。
ほかに天蓋付きの大きなベッドが置かれた寝室がある。
微かにノックの音が響いてくる。
「どうぞ。お入りなさい」
寝室のドアから顔をのぞかせると、三十代前後と思われるほっそりとしたメイドが、台車を押して入ってくるところだった。
くわしい話は聞いていなかったのか、私の身なりに軽く目を見張る。
ええ。身ぎれいにはしていたつもりだけど、ここではちょっと恥ずかしいわね。
自分のこれまでの精一杯だから恥じるつもりはないけれど。
「あなたが私の着替えを用意してくれるのかしら?」
「はい。急ぎ普段着と寝巻を仕立てるように言われてきたのですが」
その腕に自信を持っているのだろう。
やるべきことが決まれば迷わないといった、潔さのようなものを感じる。
「そちらの布から選べるのかしら」
「はい。なるべく手触りのよいものを選んでみたのですが。お気に召さなければ、すぐにほかのものをお持ちいたします」
この髪の色は、合わせる色を選ぶからなぁ。
そのへんは伝わっていたらしく、ライムグリーンやレモンイエローなどすでに私が思い描いていたものが用意されている。
「いえ、気に入ったわ」
寝巻は白一択。
デザインは上品にとお願いした。たぶん、一着目の着替えによけいな装飾をつけている時間はない。
とにかくスピード重視。
採寸に協力的な私に、メイドはどことなくほっとした様子だ。
「またすぐおつくりすることになるでしょうね。その時もお声がけいただけるとうれしいです」
手を動かしていると、だんだん口も滑らかになるらしい。
自分の子供たちの背がぐんぐん伸びるので、毎日裾伸ばしをするようだとか。
こちらのようにふんだんに布を用意できるわけではないから工夫が必要だとか。
美容室やエステサロンで施術を受けている時と同じで、それを楽しく感じる人もいれば、うるさく思う人もいる。
私は自分の体調と相手次第。
今日ははじめての場所で、双方だんまりで、半裸で体のサイズを測られなくてよかったと思う。
「では、少々お待ちくださいね」
来た時より軽い足取りで台車を押して去っていく。
衣裳部屋から出ると、居間に小さな湯船が設置され、湯気の立つ桶を持ったメイドが行き来しているところだった。
「…まったく昼間っからいい気なもんだよ」
赤ら顔の女が吐き捨てるように言う。
おう。いるものだね、どこにでも。
そのまま何事もなかったかのように出ていこうとする女。もう一人のメイドも知らぬふりをしている。
本来、貴族のお嬢様は下々の言うことなんて聞こえない。そういうふりをするのだろう。
私も覚えがある。わざわざ下に降りて、同じ土俵に立つのはプライドが許さなかった。
でも、そうしたらこの憤懣やる方ない思いはどうすればいいの?
我慢は体によくない。
「お待ちなさい」
まあ、舐めてる相手に従うわけがないわね。
私は、びくりと肩を揺らしたもう一人のメイドに顎をしゃくってみせる。
「その女を私の前につれてきなさい。ほら、すぐ動く! 一、二…」
「は、はいっ!」
幸い彼女はのっぽなだけではなく、腕力もあるらしい。
ぽっちゃり気味の同僚の腕をつかみ、部屋の中に引き戻した。
「な、なんでしょう」
何を言ったか尋ねて否定させるなんて無駄なことはしない。
「名前は?」
「…セネカです。私はブローです」
黙ったままの同僚に、のっぽのブローがびくびくとした様子で口を開く。
にらむものではないのよ?
彼女は、なるべくあなたが叱られないようにと願っているのだから。
「セネカ。自分が誰に仕えているのか答えなさい。この城の主の名前くらいわかっているわよね?」
私は知らないけど。
「ハ、ハノース大公です」
「セネカ! 閣下、忘れてる」
「ハノース大公閣下です!」
「私をここに連れてきたのが誰か答えなさい」
「え、えー……ハノース大公…閣下?」
私はゆっくり瞬きをして見せる。
私のみすぼらしい身なりを見て舐めてかかったのだろうが。
これだけの部屋を与えられている時点で、それがどういうことか気付けと言いたい。
「は…え…っ」
ずうずうしい女かと思いきや、顔を蒼白にしてガタガタ震え出したので、こちらの気持ちまで白けてしまう。
徹底的に叩いてやろうと思ったのに。
大きくため息を吐きたい。行儀が悪いからしないけど。
「わかるわ。予定外の仕事が入ると面倒に思うのよね?」
「は、はい!」
またもブローが答えている。どこかの漫才コンビのような風情に笑ってしまいそう。
「でも、どの道やらなければならないのが仕事です。立場上避けられないのだから、どうせなら気持ちよくすごせるようにお互い努力しましょう。行ってよいわよ」
我ながら甘いと思うけれど、まあいい。
今度同じようなことをしたら容赦しないから。
「は、はい! 失礼しましたー…ほら、いくよっ!」
セネカも二度ほど頭を上下させていた。最後はブローに引きずられていったけど。
私、そんなに怖かった?
いえいえ、恐いのはハノース大公閣下だ。
私はいまだ細すぎる腕を見下ろしてため息をつく。
控えめなノックの音。
「どうぞ。お入りになって」
「失礼します。マリアンナお嬢様の専属メイドを仰せつかりました、ターニャと申します。さっそくですが、ご入浴のお手伝いをさせていただきます」
ターニャは上級メイド、いわゆる侍女だった。先程の二人とはレベルが違う。
当然のように欠点など見当たらず、私はやっと一息つくことができた。




