11、やさしき貴族
「いや、じつに見事な演説だったよ、お嬢さん」
シンプルな黒塗りの箱馬車。
窓から顔をのぞかせて、拍手を送ってくれた人がいる。
一見、地味にあつらえられた馬車だけど、その塗りの光沢といい、ちらりとのぞく内装といい、とても高級そう。
つながれた馬の尻の張りも良く、御者までキリッとしている。
その主人の身なりは言うに及ばず。
緩くウェーブの掛かった黒髪に、赤茶色の目。
肌はうっすらと日焼けして、前世風に言うなら、ちょい悪そうなイケオジ。
なのにとても品がある。
こういう人が怒ったら、さぞや恐いことだろう。
「お褒めいただき光栄です、閣下」
私はマナー講師に「花丸です」をいただいたカーテシーを披露する。
「ほう」
感嘆の声まで渋い。
「足を止めさせて悪かった。もう行ってよい、と言いたいところだが…ふむ」
鋭い視線がちらりと動く。
「孤児院に住んでいると言っていたな。そこまで送ろう。いや、私は決して怪しい者ではない」
ええ、それはもう。
でも、私みたいな小娘がなんと答えればいいのやら。
否定したところでびびっているだけだと思われるだろう。
そうですねと上から目線なんてありえない。
そもそも、答えること自体してよいのか迷ってしまう案件だ。
送るのはぜひ、送ってもらいたいのだけど。
母親が戻ってきたら厄介だし、これだけの出会い、このまま終わらせるなんてもったいない。
「閣下がおっしゃるとよけいに怪しいです」
すっと馬車から降りてきたのは、服装からして執事。
まだ若いけれど、いかにも仕事ができそうな金髪の青年だ。
青い目を細めてやさしく笑いかけてくる。
この人、絶対妹がいそう。しかも猫っ可愛がりしている。
「尊い御名でありますので、この界隈では名乗られません。しかし、確かな身分であることは神に誓って本当です」
「はい。私のような者にも、漂う気品でそれはわかります」
蛇ににらまれた蛙の気分です。
「それでもレディに対して名乗らぬは、こちらの非礼。馬車に乗るのがご不安であれば、私が徒歩にてお送りいたします。いかがいたしますか? レディ」
「閣下に対して失礼でないのであれば、最初にお声がけいただいた通り、馬車にてお送りいただきたく存じます。また、あなた様のお気遣いにも感謝申し上げます」
「主人の命です。失礼になど当たりませんよ。私のことまでお気にかけてくださるとは、やさしい方ですね。さぁ、お手をどうぞ」
片手でスカートの裾を持ち上げて馬車に乗り込むと、主人自らエスコートを引き継いで、向かいの席に誘導してくれる。
「ありがとうございます、閣下」
「うむ。気にするな」
機嫌良さそうに笑っているけど、あきらかに上級貴族だ。
ささいなことでも失礼になりそうで、脇の下にじわりと汗をかく。
やる気スイッチが入った証拠でもあるのだけど。
次いで乗り込んできた執事は、当然のように主人の隣に座る。
ああ、お客様扱いしてもらってるのね、私。
私が正式な貴族であれば、私の隣には同性のコンパニオンが座るのだろう。
子供ということでセーフだろうか。
いや、それ以前に平民だ。
でも、だったら貴族と同席などありえないだろう。
なめらかに走り出した馬車同様、あちらが言葉につまることなどない。
「自由に話して構わないよ、お嬢さん」
ありがたいけど、無茶ぶりだ。
「ありがとうございます、閣下」
表面上はニコニコ笑って話している、自分を褒めたい。
いざ、口からでまかせオートモード!
「さっそくお尋ねしますが、この馬車にはいくつ揺れない工夫がなされているのですか?」
「これは驚いた!」
うれしそうに膝を打つ男。
「この馬車の価値がわかるかね」
「はい。いえ、すべてとまではとても言えませんが。見た目だけではなく、たぶん車軸受けや台車、椅子の下にも何らかの仕掛けがあるのではないかと。外からの見た目より、内が広いようにも感じますし」
「うむ。その通りだ。しかし、すぐに答えを教えてしまってはつまらない。賢いお嬢さんの推理をぜひ聞きたいね」
おう、また無理難題を。馬車の揺れが前世の高級車並みに抑えられているから、適当なことを言っただけなのに。
しかし、先程ぱっとひらめいたのは、自分が抱えた課題のこと。
「閣下、少し話を脱線させてかまいませんでしょうか」
「うむ。寄り道をしようというのだな? よいぞ」
「閣下が携わられることはまずないと思いますが、洗濯物の話をいたします」
「洗濯物。衣類が多そうだな」
「はい。衣類やシーツ、場合によっては毛布なども洗います。洗えば水をしぼって干します。濡れて重い間はまだよいのですが、乾いて軽くなったり、風が強い日などはせっかく洗って干した洗濯物が物干しロープから落ちて、汚れてしまいます。洗い直しです。がっかりします」
私情が滲んだのがおかしかったらしい。
「いや、私も戦場で経験があるのだよ。こやつが、私を庇って腕に怪我をしてしまってね。生まれてはじめて自分の下着を洗った。洗いが足りないの、搾り方が甘いの、もっと皺を伸ばせのとうるさくてうるさくて。あれは大変なものだ。うむ」
「ずいぶんと昔のことを何かというと持ち出されます。あの時の私は今以上に未熟で、閣下のお世話ができない自分に忸怩たる思いでですね。ええ、言い訳でしかありませんが」
「まあ、おほほっ!」
軽妙な主従の掛け合いに笑いが止まらない。
「やっと笑ったか。それでよい」
「はい、ほほほっ」
「話の腰を折ってしまったな。続けてくれ」
「はい。そこでその大変なことをくり返さないために、洗濯ばさみというものがあるのですが」




