10、撃退
下町の裏路地で母親と対峙する。
若い頃はきれいだったのだろうと感じさせる女だ。
私とはちっとも似ていないと、私は思う。
そう思いたいだけなのかもしれないけれど。
髪は濃い茶色。目は薄緑。
もっと化粧を薄くすれば、まだ見れるのに。
そんなことよりこんな所に長居して、何かの拍子に借りた本が汚れないか心配だ。
私は意識せずに歩きだろうとしていたらしい。
「無視することはないだろう! 探したんだよ」
腕を引くつもりだったのか、伸ばされた手が薄い結界に弾かれる。
あ、汚物なんだ。
汚れ除けの魔法陣ってそういう効果のものだから。
思ったら、くすりと笑えた。
「何か用ですか?」
まっすぐ目を見て問いかける。
あなたのことなんてなんとも思ってないわ。
話しかけられたから、礼儀として応えただけ。
私にとっては路傍の石と同じ。
「用って…あんた急にいなくなって。心配するじゃないか。さぁ、家に帰ろう」
懇願するような声は、完全に外野を意識したもの。
「お言葉ですが、私の帰る場所は孤児院です。母親に育児放棄をされて死にかけましたので。
五年もの間、私の母親は私に顔を見せず、声もかけず、一日に一度、水桶に一杯の水と硬く小さな丸パンを一つ、戸口に置いていくだけ。
その間、部屋の掃除も、衣服の洗濯も一度もしてくれなかったので、私はゴミ溜めで、自分の脂と垢にまみれてやせ細っていくばかり。
言葉もろくに話せず、まともに考えることもできず、そのせいで誰かに助けを求めることもできなかった。
あなたはその母親だと言うのですか?
幸いなことに、私は五年も顔を見ず、声も聞いていないので、あなたが私の母親かどうか判断することができません。
母親だと名乗るあなたと、わからないと答えるしかない私とではいつまでたっても話は平行線でしょうから、いま周りでお聞きの皆さんに決めていただくというのはどうでしょう?
どうですか、皆さん。
さきほどから私たちの話を聞いておいでですよね。
はたしてこの女は、私の母親でしょうか?
近所にお住まいの方々に確認していただければわかることですが、私は次の新年で十二歳になります。
教会に保護され、孤児院で面倒をみていただいているおかげで、このように言葉を話すことができるようになり、健康になりましたが、五年の間ろくに食べられなかったせいで、いまだこのなりです。
彼女は子供のために部屋を借り、パンと水を与えていたというでしょう。
しかし、それだけでは子供は育ちません。
そのようなこともわからない人間が、私であれ、他の子供にであれ、親を名乗ることが許されるでしょうか。
みなさん、どう思われますか?」
タニタ司祭様をはじめ、子供たちや、お世話に来てくださる人たち。教会を訪れる信者の方々と話すうちに、私の声帯はよみがえり、さらに鍛えられている。
張り上げなくてもしっかり通る声。落ち着いて聞こえる話し方は、人の賛同を得やすい。
「ひどい! よくも母親だなんて言えるな!」
「探してたって? あの子かわいいから、なんかの金づるにでもする気じゃないのかい?」
「あんな派手な化粧をして。きっと、亭主の他に男でもいるんだろうよ」
立て板に水の私の演説に唖然としていた母親だけど。
周囲の非難の声で我に返ると、私の頬を叩こうとした。
結界に弾かれたけど。
「なんて女だ! あんな小さな子供を」
「あれで十二になるだなんて。どれだけおなかをすかせたらああなるんだい! うちだって貧乏だけどね。自分が食べなくたって、子供には食べさせるもんだろうが」
「人でなし!」
「売女!」
「あ。あれってよく見れば、クリーンのアニフィールじゃないかい?」
「あの!? 子供の薬代が必要だってお涙ちょうだいで料金ぼってたっていう?」
「よそに男つくって、ろくに家に帰らなかったって聞いたんだが」
「じゃあ、さっきの話はやっぱり…」
あ、逃げた。あっはっはっ!
高笑いしたいのをぐっと堪え、にっこり可愛らしい笑顔を心掛ける。
「みなさん! お味方、ありがとうございました。私マリアンナは、教会や心あるやさしい方々に支えられて、孤児院で力強く生きてまいります! ご清聴ありがとうございましたぁ!」
がんばれよー!の声に手をふり、一礼して踵を返す。
取り囲むような群衆はよく見ればそれほど多くはなくて、すぐに道をあけてくれた。




