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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

滅びの国の狼は月に焦がれる

作者: 森瀬よみ


「ねぇ、どうあっても私を選んではくれないのね?」


寂しそうな顔で彼女は微笑んだ。


頷いた。決定は覆らない。誓約は絶対だ。

生を許される代わりに与えられたその鎖は、もがけばもがくほどに心臓に深く突き刺さった。骨の髄まで逆らうことが許されないと覚えこまされた。自由に考えることすら最近ではもう難しくなってしまったくらいなのだから。


守るべき者がいた。でも、それが誰なのか分からない。


月の美しい夜だった。頭上に開けられた小さな窓の向こうで燦然と輝く月。

白銀の光を浴びた彼女の滑らかな肌が淡い雪のように消えてしまいそうで。


たまらず手が伸びる。


だが無粋な鉄の棒に遮られその手が彼女に届くことはなかった。


空を掴んだその先に、その名前に相応しい真っ白な髪が揺れる。

数多の男を虜にしてきた笑みを浮かべて、彼女は歌うように告げた。


「ならば私を殺しなさい。そうすればアイツは死ぬわ。そういう魔術(どく)を仕込んだの」


まさか、と目を凝らしその体の奥底を見つめる。

心臓によく見慣れた術式が、自分の知っているものより遥かに濃く刻まれているのが見えた。


「どうして、って?決まってるじゃない。あなたを自由にするためよ。そのために私はここまでやってきたの。こうなることは初めから分かってた。だからこれが最後の仕上げなの」


彼女はきゅっと胸のあたりを握りしめた。少し前に見た時、その腕はもう少ししっかりしていなかったか。頬に落ちる影はあんなに濃かったろうか。


「そんな顔しないでよ。別に善意だけじゃないんだから。こうすれば永遠にあなたは私のことを忘れなくなるでしょう?」


それはむしろ己自身に言い聞かせているようだった。



――――――――――滅びの国の狼は月に焦がれる



今日は晴れの日。建国以来一番の祝事が開かれようとした。

断頭台に登る小さな背中を見下ろして、酷薄な笑みを浮かべた男は満足そうに口に弧を描いた。


今日は晴れの日、稀代の悪女、シュネー・フォン・アサルトハイム伯爵令嬢の処刑日だ。


男――エドガルドは≪拡散≫の魔術が刻まれた王笏を手に持つとバルコニーから堂々とした足取りで姿を表した。


「聞け!民よ!」


キンッと辺りいっぺんにその声は響き渡った。


「余はエドガルド、この国の新たな王である!」


歓声。


「余の即位に際して一つ、大きな慶事を執り行うこととなった!」


再び歓声。


「皆にももう見えておろう、そこの女は余の父、前王マリスガルドを誘惑し、国の忠臣であった大臣たちとその家族を一人残らず陥れ、最後には父を毒殺した極悪非道の化け物である!そして余の正式な婚約者でもあった女だ!」


阿鼻叫喚の悲鳴。


「余は決してこの者を赦すことはできぬ!まずはここで婚約の破棄を宣言する。そして血で血を洗う争いに、この者の首を捧げ、終わりとすることを宣言する」


最大級の歓声。


エドガルドの思う通りに民たちは反応を返した。

よく躾けられた従順なペットに、手綱を一手に握った飼い主はご満悦だった。


大仰な手振りでエドガルドは横に控える男に一振りの剣を手渡す。


その顔は嗜虐に満ちていた。生意気で言うことを聞かない女。そいつにやっと引導を渡してやることができる。


エドガルドの犬が大層お気に入りのようだったから最後くらいは慈悲を見せてやることにする。

うっとりとした笑みを浮かべながら絡みつくような声で命令を下した。


「ヴォルフ、この剣であの女の首を落とせ。痛みを与えるため刃は潰してあるから少々力がいるが……お前ならばなんのことはないだろう」

「はい」


エドガルドは隣で膝をついていた男に一振りの剣をほうった。鉄で打った切れ味の悪いなまくらである。そんなものでも国賊の首を落とすには十分すぎるほどだ。


「お前には散々手下どもを殺されたな、シュネー。だがお前の命運もようやく尽きたようだ」


どかりと玉座に腰を下ろす。肘をつき歪んだ笑顔で憎い女の最期を盛大に祝うべくグラスに血の如く真っ赤なワインを注いだ。


数年前、この国に最後の神託が下った。シュネー・フォン・アサルトハイムがこの国の行く末を決めるだろうという何とも馬鹿馬鹿しい内容だ。

それと同時に一匹の神獣がシュネーの元に顕現した。


あの女は腐りきったこの国の唯一の良心だった。神から与えられた力で懸命に国を立て直そうとする姿が滑稽で、その心をへし折ることができたらどんなに胸がすくだろうかと、直々に婚約者にしてやった。


最初に、あれが可愛がっていた犬を奪った。絶対に逆らうことのできない誓約を立てさせて、その心臓に刻み込んだ。もし破れば失うのは自分の命ばかりではない。大切な主人を守るため、犬は物言わぬ奴隷になった。


次にあれの両親を殺した。美しい雪の降る晩のことだ。娘を解放してくれと土下座して頼み込む伯爵夫妻の首を手ずから落とした。汚らわしい血に濡れた絨毯はあれに始末させた。


それから、それからだ。

あの女の黄色い瞳は腐った果実のように濁りきっていた。

それはどんな年代物のワインより芳醇で甘美な味がした。



次に会う時、あの女は自分の側近の首を持ってにっこりとほほ笑んでいた。

側近が自分を無理矢理に襲おうとしたのだと言った。


何人もの男たちがあれの手によって次から次へと殺されていった。腐りきった城にまともな人間なんて残っていない。

それを知ってか、誰も彼もがあれの餌食になった。


「本当に、お前は大した女だよ」


たくさんの老獪な男どもをはめて、その一族郎党まで根絶やしにした。


だがお前に俺は殺せない。

エドガルドは一息にグラスの中身を煽った。



そんな姿を横目にヴォルフは剣を持ったままバルコニーから身を乗り出した。

重力に従って体が地面へ吸い寄せられる。

追突の直前、不意に体が空で止まって音も立てずに着地する。


寄せ集まった民衆が割れるようにして断頭台までの道をまっすぐに開く。


ヴォルフは剣を持ったまま、操り人形のようにそこを歩いた。事実ヴォルフにはもう考える頭は残されていない。


誰も彼もが今か今かとその時を待ち望んでいる。

血に飢えた民たちは娯楽のために、何人もをこの処刑台へ送ってきた。

善なるものも、悪なるものも、等しくこの断頭台は裁いてきたのだ。


この国をとりまく狂気の全てが、今この場に集結していた。


やがてヴォルフは彼女の前に立った。


彼女がまとったぼろきれのような囚人服はもうほとんど衣服の体をなさないくらいに破かれ、その美しい肌にはたくさんの傷や醜いあざがある。


その名の由来にもなった初雪のごとき白い髪は無残にも荒々しく切り落とされ、わずかにその細い肩に落ちるくらいの長さになっていた。

やせた身体、こけた頬、かつて国一番と謳われた美貌は見る影もない。


しかしそれでも、その身に宿す何人たりも汚すことのできない気高さだけは微塵も損なわれていなかった。


ヴォルフだけの月が、静謐な美しさをまとって、訪れる死を安らかにひたすらに待ち構えていた。


「「「殺せ!!」」」

「「「魔女を殺せーーーっ!」」」

「「「国を傾けた悪女には死を!!」」」


耳障りな喧騒に今すぐに耳をふさいでしまいたい。


この耳はそんなものを聞くために大きく伸びたわけではない。どんなに小さくとも自分を呼ぶ最愛の声を聞き逃さないために生まれた耳なのに。


ぎっと歯を食いしばると剝き出しになった犬歯がますますヴォルフを獣に変えていく。


獣が見せた本性にますます民衆は盛り上がる。その殺意の行く末が自分たちではないことを分かっているから悲しみに喉を鳴らす狼の姿を笑っていられる。


全身が鉛のように重たい。でもやらなくてはいけない。決定は覆せない。


ズシリと重たい剣を頭上高く振り上げる。


今日一番の歓声が上がった。誰もが今か今かとその時を待ちわびている。

手が震えた。足が震えた。噛み締めた唇から鉄錆のような味がした。


誓約は絶対だ。


ふと黄金の瞳がヴォルフを見上げた。夜空に浮かぶまん丸の月のような目がヴォルフの目をまっすぐに射抜いていた。


声にならない声を確かにこの耳は拾い上げた。


「殺しなさい」


刹那―――全身から全ての力が抜け落ちた。


ガランッと激しい音をたててなまくらの剣が地面に叩きつけられる。


『誓約は絶対だ』


何度も聞いた忌々しい声がヴォルフの脳内に響き渡る。

だがそれ以上の怒りがヴォルフの体の奥底からこみ上げていた。



どうして、どうしてだ?どうして絶対なんだ?何故おれがこんなもの(・・・・・)を守らなくてはいけない。こんな、人間の決めたものをどうしておれが。


ヴォルフが守るべき月は今もこうして己を守ろうとしてくれているというのに――――!



どれだけ思考を縛っても、身体の奥底から叫びをあげる心だけは止めることができない。


強く握りしめた手のひらからは血がにじんでいた。

視界が真っ赤に染まる。ボタッと地面に吸い込まれた涙は深紅に染まっていた。


「おいっ!ヴォルフ!!何をしている!?」


様子がおかしいことに気が付いたのかエドガルドが玉座から立ち上がり、ヴォルフを追い立てる。そんなものは本当の主人を見つけた今、ヴォルフの耳には入ってこなかった。


「これは使いたくなかったが……いたし方あるまい」


傲慢なエドガルドの顔にはわずかばかりの焦りがにじむが、まだ余裕が見て取れる。誓約はまだ完全には破られていない。妖しい光がエドガルドの持つ王笏からあふれる。


「余に従わんか!この家畜が!!」

「あぐっ…!っうぅ……」


ヴォルフにかけられた≪服従の首輪≫が音を立てて起動される。瞬間、今まで味わったことのない激痛が全身を駆け巡る。相反する二つの力がヴォルフの体の中を蹂躙した。


それでも。


「ころ、せない…!殺させない……っ!!そんなものは、認めることができない!!」


己を縛り付ける屈辱の証に両手を伸ばした。触れたところから炎が上がってヴォルフの全身を覆いつくす。


「ダメっ!」


シュネーの口から悲鳴が漏れる。足枷に繋がれた足では一歩も前に進むことができないというのに、彼女はヴォルフに向かって棒のような足を動かそうとした。

しかし力ない体ではびくともしなかった。倒れこむようにシュネーはヴォルフに覆いかぶさる。


「あっ……うっ!」


ヴォルフを取り巻く炎がシュネーにも広がった。

二人の姿が揺らぐ炎に溶け、何も見えなくなる。



民衆は固唾をのんでそのさまを見ていた。ただの首切りショーだと思ってきたのに。

今、なにかが変わろうとしている。何かが起ころうとしている。


彼らはそんな予感に襲われていた。


一人、エドガルドだけがバルコニーで大きな嗤い声を上げた。


「なんて素晴らしい日だ!!厄介者が二人も消えた!!アハハハハ、何が神の獣だ、何が神に愛された娘だ!所詮俺に負けるクズではないか!!」


エドガルドは勝利を確信していた。間違いなくこの場の支配者は己であると。



その慢心が今、崩れ落ちる。


二人がいるところを中心に突風が吹き抜けた。ゴオッとうなりを上げて力の奔流が、ほとばしる光の飛沫となってその場を覆いつくした。


光の中でシュネーは白銀の毛並みの狼を見た。

昔、夢に見た美しい狼。シュネーに力を与えてくれた。


でも、その力をシュネーは生かし切ることができなかった。中途半端にふるったから、悪魔に奪われてしまった。


だから彼を開放するのはシュネーの役目。そう思っていた。でも。


「嗚呼、あなたはやっぱり私を選んでくれるのね……」


そっとその柔らかな毛並みに頬を寄せる。

もう間違えない。与えられた力は正しく使われなくてはならない。


――――――――滅ぼしましょう


狼の耳元で謳うようにシュネーは告げた。



二人を中心に広がる光の奔流はこの国全てに広がっていた。準備は整った。後は術式を起動するだけだ。


「月狼と縁を結んだか…くそっ!忌々しいっ!!おい、シュネー!貴様意識があるのならその犬をどうにかしろ!!国を滅ぼす気か!?」


エドガルドが絶叫する。その目には紛れもない恐怖が浮かんでいた。


シュネーが行使するのは光の処刑。そこで裁かれるのは悪意ある者だけだ。

だから女神のように美しい顔で彼女は微笑んだ。


「違うわ。この国を生き返らすの。でもそこにあなたはいらない。さよなら、エドガルド」

「待てっ―――」


狼の遠吠えが聞こえた。遠く離れた水平線の彼方まで、その咆哮は響き渡った。

術式が起動する。


荒れ狂う力の渦の中でシュネーは穏やかな顔をして眠りについた。



全てが終わって魔女は目を開く。国を食らいつくした光はとうに消え、あたりは闇に染まっている。


傍らには自分だけの狼が己を守るようにして横たわっていた。


シュネーは立ち上がりきょろきょろとあたりを見回す。空に煌々と輝く月が二人を照らしていた。


「やっぱり」


その声に反応して狼がのそりと頭を持ち上げる。甘えるように耳を伏せた狼の鼻先をこすりながらシュネーは残念そうな声で呟いた。


「誰も残らないのね」



太陽はまだ上らない。




息抜きに好き勝手に書きました。割と重めかなと思ったので深夜に投稿です。

もう少し詳しくシュネーの側から書いた短編を書こうか迷っています。

よろしければ毎日連載している『悪役令嬢の様子がおかしい』も覗いてみて下さい。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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