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絹雲  作者: 藤倉楠之
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原稿チェック

 十一月の終わりの文化祭を前に、部内の空気はピリピリと張りつめてきていた。


 部誌は校内の印刷機を使わせてもらって大型のホッチキスで止める簡易製本なので、デジタルでの原稿締切は本番二週間前だ。そこから手分けして印刷、製本を行い、それと平行して短歌・俳句を含む詩と、二ページ以内のショートショートの、パネル展示の準備も進める。


 逆算すると、最終締め切りの前二週間、つまり十月終わりから十一月半ば近くまでが、掲載予定作品の原稿チェック期間だった。この段階では部室に掲載予定作品のプリントアウトを置き、各自時間がとれるときに、誤字、脱字と明らかな文法上の間違いを、他人の原稿も読んで赤を入れ、指摘する 。ひとつのプリントアウトを複数の人間が確認し、そこに書き込むことで、指摘の重複や矛盾を防ぐのだ。大幅改稿になってしまうと締め切りに間に合わなくなるため、構成や表現についての指摘はこの段階ではしないのがルールだった。それまでのミーティングでの発表機会で、その辺の大きい問題については議論が済んでいる、と見なされていたせいもある。


 部室にはコアメンバーが入れ替わり立ち替わり出入りする時期ではあったが、もうこの段階で大きなもめ事にはならないはず、だったのだが。


 そんな原稿チェックの締め切りが近づいてきていた中の、ある、よく晴れた日の放課後だった。


 その日は、部室に近づくにつれ、どことなく不穏な気配がどんどん強くなっていった。嫌な予感がした。最後の廊下の角を曲がったとき、はっきりと言い争う声、というか、一方的な怒号が聞こえて、私は走った。


 部室のドアを開けると、私の同級生、感覚的な表現とオノマトペを多用したコミカルな小説作品を好んで書く市村と、彼女――鈴本先輩がテーブルをはさんでにらみあっていた。立ちはだかったの市村の手には、筒状に丸めた、部誌のチェック用原稿が握りしめられている。鈴本先輩は、机の向こう側の椅子に座って背もたれに斜めに身体を預け、足を組んでいた。


 周囲は当惑し、少し距離を保って事態の成り行きを見ていた。


 一触即発の事態に、私はともかく市村のほうに声をかけた。


「どうした、市村。まずその原稿を置けよ」


「どうしたもこうしたもねえよ!」


 市村は、必要以上に振りかぶって、ばんと、原稿をテーブルに叩きつけた。その激しい音に、遠巻きにしていた女子部員から小さく息を飲むような悲鳴があがった。だが、鈴本先輩は微動だにしなかった。


 あれは全員分の原稿だ。力任せに握りつぶされてしわくちゃになっているページもある。入れてもらった朱をまだデータに反映できていない部員が大半のはずなのに、ひどい扱い方だ。私は内心、苦々しく思いながらも、市村に話しかけた。


「原稿のことか」


「今は原稿チェックだろう。構造的な部分まで口出しするのはルール違反のはずだ」


 市村は一旦は手を離した原稿をまた鷲掴みにして、乱暴にページをめくった。


 該当のページを見つけたらしく、開いてぐいと私の鼻先に突きつけてよこした。


 近すぎて読めない。


「貸してくれ」


 受け取って目を通すと、そのページは細かい字でぎっしり書き込みがしてあった。市村の言うとおり、文法上の軽微な間違いというよりは、かなり内容に踏み込んだ指摘だった。筆跡は、部員の誰もが見間違えようがない、正確に字形も大きさも整った、通称〈鈴本フォント〉。


 私は鈴本先輩に視線を向けた。いくら先輩が手厳しい批評家でも、今まで、原稿チェックの段階でこんな事件は起こしてこなかった。遅刻や課題の締め切り破りといった生活上の少々の行儀の悪さはのぞいて、校則や部のルールを守るという意味では、彼女ほど潔癖な人間を私は見たことがなかったと言っていい。


 彼女は無表情のまま口を開いた。


「それは、ミーティングでの議論を経た原稿ではない。タイトルが同じだけで、主題も登場人物もすべて違う」


 私は驚いて、手に持ったままだった原稿に再び目を落とした。私自身、ミーティングには毎回参加していたが、原稿チェックは市村の分まで進んでいなかったのだ。数段落読むうちに、先輩が指摘していたことがわかってきた。確かに全く違う。このタイトルでミーティングにかけられた原稿はエッセイだったはずが、今や小説になっている。モチーフも全く変わっている。


「うるさい! おまえに何がわかる」


 市村は吠えた。


「いつもいつも批評家気取りで人の作品を腐しやがって。賞を取ったかなんだか知らねえが、おまえのその人を見下した態度も、お高く止まったクソみたいな作品とやらも、俺は最初から気にくわなかったんだよ。偉そうにふんぞりかえって、おまえの書いたものなんか、ほんの一部の気取った連中が内輪で傷のなめあいをして持ち上げてるだけだ。売れもしねえ読まれもしねえ純文学とやらの何が偉い。ちやほやされていい気になってる勘違い女め」


 鈴本先輩は一歩も引かなかった。もたれ掛かっていた椅子の背もたれから身を起こし、立ち上がると、机を回り込んで市村の正面に立った。部員が足りないラグビー部からしょっちゅう助っ人を頼まれるほどの筋肉質で大柄な体格に恵まれた市村の前に立つと、繊細で華奢な骨格の鈴本先輩は、まるで大人に反抗する子どものようなサイズ感だった。だが、その気迫は明らかに、市村より上だった。彼女はまっすぐに市村を見上げて言った。切れ長でもともと黒目がちの印象的な目は、怒りによってさらにその瞳の色を濃くしていた。


「おまえのやっていることは部のルールに明らかに違反している。ミーティングで意見交換し、議論を経た作品しか、部の名前を冠した冊子に掲載することは許されない。ミーティングには仮面作品を提出し、裏で用意した別原稿をおめおめと部誌に掲載させようとするのは、きちんとルールを守っている他の部員への侮辱だ。これを許せば何でもありだろう。だからせめて、校正用原稿でも、私は議論の機会と見なしてコメントしたまでだ」


「侮辱だと! おまえがその言葉を使うのか」


 市村は激高して彼女の制服の胸ぐらをつかんだ。


「よせ、市村!」


 私の制止など全く耳に入っていないように、市村は怒りに赤黒く変色した顔で怒鳴り続けた。


「毎度毎度、ミーティングで、あらゆる原稿を侮辱し続けてきたおまえが。おまえなんぞにチェックしてもらう必要はないんだよ。俺は書きたいように書く」


「書きたいように書くのは当たり前だろう」


 彼女は口の片端だけをつり上げた。市村とは対照的に、元々抜けるように色白のその顔には何の色も浮かばず、その目は全く笑っていなかった。


「どの指摘を受け入れて、どんな作品に仕上げるかは、結局、著者の責任であり自由だ。私の人格が気にくわないなら、私のコメントに納得がいかなければ、ただ無視すればいい。ほとんどみんながやっていることだ。そうしたところで今さらお前に何の遠慮やデメリットがあるというんだ。作品はけしてよくなりはしないが、それだけのことだ」


「てめえ、言わせておけばいい気になりやがって……!」


 市村は怒りに我を忘れたように、彼女の胸ぐらを左手でつかんだまま、空いた右手を拳に握り、振りかざした。私の身体は無意識のうちに動いていた。


「やめろ、市村!」


 振り上げられた市村の右腕を、ひじをつかんで制止し、とっさに自分の身体を市村と彼女の間に割り込ませた。


「離せ! 邪魔するな、荘介」


「お前こそ手を離すんだ。頭を冷やせ!」


 喧嘩なんかまるで経験がない。夢中で彼女を背中にかばいながら、どうしていいかもわからず、遮二無二市村の体を押した。


 市村自身、振り上げた拳をどうするか、はっきりとは考えていなかったのかもしれない。私の剣幕にたじろいだように、鈴本先輩の制服の襟元をつかんでいた左手がゆるんだ。私が右手で、市村の左腕を叩いたタイミングで、鈴本先輩はなんとか身体を後ろに引いて拘束から逃れた。同時に激しく数度、咳き込む。


「手を出してみろ。お前停学だぞ。文芸部員なら腕力じゃなくて筆にものを言わせろよ!」


 もともと市村も、体つきこそしっかりしているが、普段は暴力に訴えるタイプでは全くない。私が声を荒げると、茫然としたように、一歩下がった。


 その脇を、彼女は昂然と頭をあげてすり抜け、静かな足取りで廊下に出ていった。


「副部長」


 怯えて、国語科備品ロッカーの陰に固まっていた二人の一年女子が、半べその声をあげた。全ては私が自分のリュックサックを降ろすひまもない、ほんの数分の間の出来事だった。


「高野さん、上村さん、三Cにいって、部長を呼んできて。もうホームルームも終わってていい頃だ。市村、その原稿の件は、部長に正直に申告して、判断を任せろ」


 長机の脇に置きっぱなしになっていた彼女のスポーツバッグをつかむと、私は部室を飛び出した。


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