いやな人 2
彼女は、プレゼン予定として事前に提示された作品を意地が悪いとも言えるほど細かく読み込み、プリントアウトした原稿の全ページにことごとく途方もない質と量のチェックを入れ、ミーティングで指摘した。
些細な文法上の誤りを大量にチェックしたり(そのほとんどは本人の不勉強だと私もうなずかざるをえないものではあったが)、先行する類似テーマの小説や詩歌を縦横無尽に挙げ、影響の受けすぎで単なる受け売りにしかなっていない、とか、逆に読んでいないのが分かる、掘り下げが浅い、と評したり。
心の準備がないまま彼女の批評をくらった部員が、公開処刑と表現したこともある、厳しいものだった。
私にとって印象深かったのは、たとえば、私たちが一年生でまだ入部して間もなかった頃のミーティングでのこんな一幕である。
「西山さんの作品だが、意見は?」
三年生の斎藤部長が一堂に問いかけた。この日一番の長編で、一年生の西山さんが入学前からこつこつと書いて、完結させた力作だった。鈴本先輩が挙手して、淡々と言った。
「文法上の問題点について、一つ一つ指摘していると時間の無駄だ。数が多すぎる」
西山さんの顔から血の気が引いて、蒼白になったのが、少し離れた席から見守っていた私にもわかった。
「私が気がついたところだけ、簡単にメモしておいた。後で見てくれ」
鈴本先輩がちらりと西山さんの方向にむけた原稿のプリントアウトにはびっしり細かい字で何か書き込まれているようだった。
「それよりも構成上の問題点が気になったな。これは推理小説として提示されているが、間違いないか」
「はい」
震える声で西山さんが応じた。鈴本先輩はただでさえ小柄な体からは想像できないほどの圧倒感を発する人である。自分の作品について言及され、声を出して返事ができただけでも、西山さんには気骨があったと言えるだろう。
「では、この犯人と目される人物の行動に、時間・空間上の齟齬が多すぎる。例えばこの、第八章でこの人物が深夜、主人公の友人たちの目の前に現れるシーンと、第十章で彼女自身の部屋の窓が叩かれ、花首をむしられたバラが置かれるシーンだが、これは、前後関係を読む限り、どちらも同じ土曜日の夜でないとつじつまが合わない。だが、この人物は設定上運転免許はなく、時間的にも公共の交通機関を使えない以上、三十キロ以上離れた両地点に、ほんの一時間程度のタイムラグで姿を現すのは無理があるのではないか。特に複数犯を暗示する描写も、免許はなくとも運転ができるという描写もない以上、瞬間移動だの時空のねじれだのを取り入れないと話が成立しない。そういった特殊条件であればなおのこと、読者に先に何らかの描写が提示されているべきではないか」
蒼白だった西山さんの顔はどんどん紅潮していった。その西山さんの様子を全く意に介することなく、鈴本先輩は次々に、物語の論理的矛盾を指摘していく。穴があったら入りたいというようにうつむいた彼女に、鈴本先輩は介錯を下すように次の一言で結論づけた。
「推理小説であれば、登場人物の動きを可視化して齟齬のないようにプロットをきっちり組んでから描くべきではないかな。雰囲気にプロットが引きずられて破綻している」
鈴本先輩は目の前においていた原稿をバサリと伏せた。彼女の指摘はもうこれで終わり、という明確な合図にそれは見えた。涙ぐんだ西山さんに、場の空気は凍りついた。原稿用紙にして百枚を超える力作だったのだ。それをこうも一刀両断にされては、西山さんのショックも、他の部員の戸惑いも無理もないことのように思えた。
私はその時、もったいない、と思ったのを覚えている。もちろん、アマチュアの処女作として、色々改善すべき部分はあるにせよ、西山さんの作品は面白かった。
「他にコメントのあるものは」
斎藤部長が淡々と声を掛けた。疲れたような表情だった。後から思えば、こうした光景に、斎藤部長やそのほかの二、三年生部員はもう慣れっこだったのである。
私は思わず手を挙げていた。指名されて立つ。
「これは、私は推理小説としてより、一種の恋愛小説として読めば、独特の暗い雰囲気が引き立つと思います。不気味なストーカーにつきまとわれつつ、その人物に不可思議な愛着を示す主人公の幻想と現実がシームレスに入り交じって展開するサイコサスペンス、ダークロマンスとして十分成立するのではないでしょうか」
私の目にも破綻していると感じられた最終章の謎解き部分を思い切ってカットすれば、だが。その部分は、鈴本先輩が痛烈に批判した直後だったので、私は敢えて言及しなかった。
「緊迫感のある情景描写と、主人公の矛盾した心情の描写については、工夫が凝らされていて私はすごく引き込まれました。このキャラクターには魅力があると思います」
だが、西山さんは座ったままうつむいて、私の言葉を聞いている風でもなかった。よほどショックが大きかったのだろう。私はどことない無力感を感じながら座り直した。
「他には」
数人の二年生が、ここが面白かった、とシーンをあげてほめたり、ここのキャラクターの反応がこうでは、主人公の片思いの相手として好感度が下がるのではないか、といった本筋には関係ないマイナーな指摘を遠慮がちにしていた。
そうした少数の意見が尽きたところで、斎藤部長が議事を進めた。
「次に移ります。須磨さんの作品だが」