最後の挨拶
文芸部の活動は、文化祭で大きな区切りを迎える。受験勉強に差し障りがないよう、原則的に、部誌への投稿作品は一学期のうちに希望する三年生分を議論する。夏休み明けから活動の中心は次第に二年生と一年生にシフトし、三年生は部活ではアドバイザー的な立場になって、軸足を受験勉強に移していくが、文化祭直後のミーティングで、次年度の部長と副部長が選出されて内定し、部の運営がいよいよ全面的に委譲されることになるのだ。
コアメンバーが全員揃う、その重要なミーティングの日、私は順当というべきか、来年度の部長に任命された。順当というのは、一年生副部長を引き受けた時点で、よほどのことがない限りは部長まで務めるのが部の慣例だったからだ。同じ二年から新たに選出される副部長は、市村に決まった。トラブルはあったが、文化祭で真剣に取り組んだのが功を奏して、信頼を回復した格好だった。
一年生から選出された副部長は高野さん。おっとりした雰囲気のムードメーカーだが、英語に堪能で、英米の未訳小説を原文で読みこなす才女である。文芸部の活動に翻訳も加えたいと熱く語るパイオニア精神の持ち主でもある。仲良しの上村さんは、書き始めると意外や意外、はちゃめちゃコメディが得意なぶっ飛んだセンスの持ち主だが、普段はおとなしくてしっかり者で礼儀正しく、先生の覚えもめでたい。高野さんを上村さんが後方支援して、ちゃんと補佐してくれる、安定した布陣になるだろう。
ミーティングの最後に、桝田部長は挨拶のため、部員の前に立った。
部長は、穏やかな口調で文化祭の成功を祝い、部員の協力に感謝し、来年度に向けてますます積極的に活動するよう励ました。その、心はこもっているが形通りの挨拶の後で、彼は一つ大きな深呼吸をして、おもむろに切り出した。
「ここで、みんなに一つ重要な報告をしなくてはならない。三年生部員として、これまでずっとみんなと一緒に活動してきた鈴本絹野だが」
場に緊張が走った。ミーティング用にいつも使わせてもらっている二年B組の教室内は、水を打ったように静まりかえった。
「十二月一日付けで、東京の高校に転出することになった。本人と家庭の事情ということで、それ以上の理由は説明できないが、メッセージを預かった。ここで活動したことを誇りに思い、部員みんなに感謝している、挨拶もなく去ることになって申し訳ない、と伝えてほしいと言付かっている」
一瞬の空白があった。その後、口々に、驚きや残念な気持ちを表明する部員たちの声で、教室はざわめきに包まれた。その中を、桝田先輩はそれ以上何も語らず、ただ、ミーティングの終了と解散を伝えて自席に戻った。
一年生の女の子たち、今まで三年生とは距離を置いていた面々が桝田先輩を取り巻いて、もっと情報を引き出そうとしていたが、桝田先輩は黙って首を横に振るだけだった。彼女たちは、鈴本先輩の悪口には参加しておらず、部室にも原稿チェック以外はほとんど顔を出していなかった。おそらく、いろんな意味で近寄りがたかったのだろう。
何も語らない桝田先輩にあきらめ顔で、ほとんどの部員が教室を出てから、先輩は少し離れて見ていた私と市村に声をかけた。
「渡井、市村。話がある。少し残れ。他のメンバーはすまないが外してくれるか」
先輩の声には有無をいわせない圧力があった。二、三人残っていた部員がドアを閉めて立ち去り、三人だけになったところで、先輩は静かに言った。
「鈴本から、二人に伝言だ。転出の挨拶をできなくて申し訳なかったと、特に二人に伝えてほしいと。
特に市村。おまえのしたことのせいでは全くないから気にするな、と言っていた。むしろ、きついことを言ってすまなかったとわびてくれと言っていたよ」
桝田先輩は、いつもかけている銀縁のメガネのつるに少しふれた。
「オレからも、すまなかった。オレの力不足で、市村のことはフォローし切れていなかったし、渡井にはずいぶん迷惑をかけた。ミーティングの時も、それ以外でも、ずいぶん鈴本を助けてくれただろう」
助けたつもりはなかったので、困惑した。率直にそう言うと、桝田先輩は苦笑した。
「それならそれでいい」
市村は呆然としていたが、やっと言うべきことを思いついたように、口を開いた。
「じゃあ、鈴本先輩はもうここには来ないんですか。荷物とかは?」
「今度、親御さんが取りにくるそうだ。鈴本自身が登校することはおそらくもうない」
「嘘でしょう?」
市村は悲鳴のような声を上げた。
「許されないことをしたのは俺の方なんだ。鈴本先輩に謝られるのも、桝田先輩に謝られるのも違う。謝らないでください。謝らなければいけないのは俺の方なのに」
市村はそのまま、言葉を失ったようにうつむいた。奥歯をかみしめ、拳を握りしめて、何かを必死でこらえ、やり過ごしていた。私はそんな市村から、桝田先輩に視線を移した。
「鈴本先輩からの伝言は、それだけですか」
「ああ」
私個人には、言うことは何もないということか。私の中にも、嵐のような感情が一瞬巻き起こった。だが、それを表に出すことは私の意地が許さなかった。
「ありがとうございました。部長、一年間、お疲れさまでした」
「こちらこそ、ありがとう。わからないことがあれば何でも相談に乗るから、連絡してくれ」
そう言って私を見返した桝田先輩の眼差しが、かすかにうなずいたように見えた。私の心中に去来した穏やかならぬ思いを察し、共有されたような気がして、私はたじろいだ。
この人は何をどこまで知っているのだろうか。
私は無言で頭を下げると、泣きそうな市村を促して教室を出た。














