文化祭
部の活動日ではなかったが、私は翌日、放課後に市村をつかまえてその後の顛末を尋ねた。
彼女と別れてすぐ、電車の中から桝田部長にメッセージアプリで連絡していたが、部長からは短く礼の返答が来ただけだったのだ。何度か昇降口のあたりを通るとき、それとなく三年生の下駄箱を見たが、彼女は登校していないようだった。
「あの後、どうなったんだ」
「部長にもきっちり絞られたよ。差し替えて別の原稿を掲載させようなんて一年生に示しがつかん、ましてや暴力沙汰なんか論外だって。本当にどうかしてたんだ。あれから、高野さんも上村さんも怯えて全然目を合わせてくれないんだよ。まずいことしたなあ」
「あの原稿はどうすることになった?」
市村は体裁悪そうに頭をかいた。
「エッセイに戻すことになった。もうあまり日数もないけど、明日、原稿を差し込んで、グループメッセでみんなに謝って、チェックしてもらうよ」
「納得してるのか」
「正直、本命は小説の方だったんだ。でも、エッセイも、書いてみたらそれはそれで面白かったところもあって、それをずいぶんあら探しされたような格好になったもんだから、頭に血が上ったままになってたというか。その腹いせでもないけど意地になってて、小説の方を、こっちが本命だ、これでどうだ、みたいなノリで出しちゃったんだよなあ」
だから、今ではエッセイのほうもそれなりに気に入っているから、それでいいんだ、という。市村はすっかりしょげ返った様子で、おずおずと尋ねてきた。
「そっちはどうだったのか、聞いてもいいか。もう、鈴本先輩には許してもらえないかもしれないと思ってはいるんだ」
「別に、ショックでぶっ倒れそうだとかそんな様子はなかった。いつも通りだったよ」
彼女が市村の暴力に対して平然とした様子だったのは確かだが、いつも通りと言うには余りにかけ離れた量と内容の会話を交わした。でも、そのことを他の誰か、例えば部長や市村に言う気はしなかった。それはささやかな私の意地だったのかもしれない。でも、これだけは言ってやろうと思っていたことを一つだけ伝えた。
「鈴本先輩は、エッセイはよかったとはっきり言っていた」
市村は顔色を変えた。驚きの向こう側に、わずかに嬉しそうな色がのぞいた。
やっぱり、市村は鈴本ファンなのだ。
「本当か!? 下手な慰めならいらんぞ。嘘はすぐにばれるからな」
私は、あらかじめ用意していた彼女のメモを、市村に渡した。
「こんなことで嘘をついて何の得があるんだ。そのフォントを偽造するくらいなら数学の課題をやるよ。だいたい、今日の締め切りに二ページ間に合わなかったもんだから、このあと居残りなんだ」
何とか終わらせようと思っていたのに、寝落ちしてしまい、朝、気がついたときにはもう遅刻ぎりぎりの時間だったのである。数学教師からは、文系だからって数学なめんな、と散々叱られた。
私の言うことには生返事で、市村は食い入るようにルーズリーフに並んだ細いボールペンの字に見入っていた。
「おい、見ろよ……! 鈴本先輩、オレのエッセイの書き出しがよかったって」
「だから、ほめてたって言っただろう」
「ほめられたのなんか初めてだ。これ、家宝にするよ! サインなんかよりよっぽど貴重だぞ。おまえ、よくあの鈴本先輩にこんなの書いてもらえたな。恩に着るよ。一生感謝する」
「おまえは何につけても大げさなんだよ。今度会ったときに、ちゃんと非礼を謝れよ」
市村は、恋文をもらった乙女のようにルーズリーフを両手で胸元に押しつけると、うんうんと何度もうなずいた。
「じゃあ、明日原稿出せるように、先輩のアドバイスちゃんと受け止めろ」
私がきびすを返すと、市村は慌てた。
「荘介どこへ行くんだ。このメモ一緒に見てくれるんじゃないのか」
「数学の居残り! 原稿の修正は一人でやれよ」
全く、私の話は耳に入っていなかったらしい。
イライラして大股で教室に向かいながら考えた。私は『コメントする水準以下』で体のいい荷物持ち兼お世話係、市村はルーズリーフ両面にアドバイスびっしり。人生とは、不条理である。男の嫉妬はみっともないというけれど、腹が立つものは立つ。
だが、その後、一週間が過ぎても二週間が経っても、彼女は学校に姿を現さなかった。
『来週、ちょっと東京に行く用があって』
あのときそう言っていたけれど、まさかこんなに来ないとは思っていなかった。
市村はかわいそうなくらい落ち込み、憔悴した。
「俺がひどいことをいったり、暴力をちらつかせたりしたからじゃないか」
それはないと思う、と、なだめはしたものの、私とて、ではなぜ彼女が登校しないのか、という問いへの答えを持っているわけではない。
市村が勝手に頼みの綱にしていた文化祭の前日になっても、彼女は来なかった。
私も不安になった。文化祭の当日は、副部長だから、と口実を付けて、文芸部の展示が行われている教室を離れなかった。自分のクラスの出し物にはほとんど関与せず、シフトも半ば強引に運動部の人間に頼んで代わってもらった。ラグビー部の筋肉喫茶への助っ人を頼み込まれて断れなかった市村も、そのシフトとクラスの出店の当番以外はずっと文芸部の教室にいた。だが、文化祭の期間中も、彼女は一度も姿を現さなかった。
文芸部の展示は、地味な内容なりに熱心に見てくれる客が足を運んでくれた。展示も部誌も好評で、例年通りのペースで部誌は売れた。売上が部の活動費になるのだ。喜んでいいはずなのに、まるで実感がわかなかった。
私と市村が特別周囲から浮いていたわけではない。あれだけ彼女を邪険にしていた他の部員たち、あるいは怖がって近寄ろうとしなかった部員たちも、みな一様に、言いようのないすわりの悪さと喪失感を覚えているようだった。
桝田部長だけが、静かで落ち着いたいつもの態度を崩さなかった。














