出会い
私は荷物を纏めると、早速エリアス様の家へ向かいました。家といっても、ほとんど物置小屋みたいなものでした。石造りの壁は汚れるにまかせたままで、その周りにはゴミやら何やらが散らかっており、異臭を放っている。
その全く手入れのない風貌は、自然と家主の自堕落さを感じさせました。外観からして、とても人間の住むところだとは思えません。
しかし家の中に入ってみると、存外それもマシなものと思えるようになりました。エリアス様の家の中は更に混沌を極めていたのです。
両手を広げれば二つの壁にくっついてしまうほどの小さな部屋の床には、サイコロやらトランプは雑然と散らばっており、その床は腐っているのか、黒く変色していました。更に税金対策なのか、窓も一つしかなく、それも裏通りに面しているという始末です。それでは部屋の空気を変えるのも一苦労というものでしょう。
私はエリアス様の部屋に入った途端、むせ返るようなすっぱいに臭いに吐き気を覚えました。思わず踵を返したくなるほどです。
ですが、エリアス様はホレイショー様のご子息で、ホレイショー様は私を窮地から救ってくれたお方です。ここで背を向けては卑怯者の謗りを免れられません。私は決然とエリアス様の部屋の奥へ足を向けました。
肝心のエリアス様といえば、その魔女の釜もかくやという部屋の中で呑気に寝息をかいておられました。その事実に驚きもしながら、私は初めて目にするエリアス様の相貌を確認しました。肩まで伸びた目の覚めるような金色の髪の毛、そして整然と鼻筋の通ったお顔は、確かに麗容なホレイショー様を感じさせました。
だけど、決定的にまでその魅力を損なわせていたのが、その杜撰なご自身の管理の様子でした。本来ならば美しいはずのエリアス様の髪の毛は櫛を通していないためか、無様に絡み合い、跳ね上がっていました。
また肩には白いフケが落ちていて、余計にずぼらさを感じさせます。お顔も目やにはついていますし、不摂生な生活ゆえか、肌も荒れており、どうしても汚いという印象を受けてしまいます。幾らホレイショー様の面影を残しているからといって、私はそんなエリアス様を見て喜びを感じるのは無理なことでした。
とはいえ、そんなことで私の仕事を投げ出すわけにいきません。また何よりその程度のことでホレイショー様への感謝の想いが、消えて無くなるわけがありません。私はエリアス様の肩を揺すり、起こすことにしました。
「エリアス様、もう昼前です。起きてください」
「んー、あと五分」エリアス様が寝ぼけながら呟きます。
私はエリアス様の言葉通り五分後に起こすことにしました。しかし、それでもエリアス様の姿と言葉は変わらずじまいでした。これが小鳥のさえずる爽やかな朝でしたら、私も耳を傾けないわけでもありません。
ですが、時刻はお昼に差しかかろうとしていたのです。このまま意味もなく惰眠を貪らせて、限りある貴重な時間を失わせては、エリアス様のためになりません。私はエリアス様のためにという崇高な義務感を胸に、バケツ一杯の水を汲んでくると、エリアス様の顔に思い切りぶっかけました。
私の献身のおかげか、そこでようやくエリアス様はお目覚めになられました。しかし、私がそこにいることに理解が及ばなかったのでしょう。エリアス様はベッドの上で濡れたお顔と共に呆然と私を見上げていました。
「エリアス・ニーソン様でございますか?」と、私は確認のために訊ねました。
「は?」と、エリアス様は依然と状況をつかめない様子でお訊ねになります。
「失礼ながら、エリアス・ニーソン様でございますか?」
「ああ、そうだけど……というか、何で濡れているんだ?」
「はじめまして、私は今日からエリアス様のお側で仕えさせて頂くことになりましたセリア・ロングフェローと申します。以後お見知りおきを」
「は? というか、何?」エリアス様は、また間抜けな声を発しになりました。
今日ではどんな戦況にあっても冷静さ失わずに、常に英断を下してきたと言われるエリアス様も、当時にあってはその片鱗さえ見せてもらえませんでした。
ですが日々の困窮によって、エリアス様には落ち着いて判断を下せる精神的余裕はありませんでしたし、また良案を思い浮かべられるほど多様な経験もつんでいらっしゃいませんでしたから、無理からぬことかもしれません。
それに何より当時の私は僅か十二歳。そんな子どもがいきなり自分の家に押しかけてきて、あのようなことを言えば、誰であれ戸惑ってしまうでしょう。
しかし、あの時の私にとってエリアス様のご様子は到底許せるようなものではありませんでした。私を救ってくれたホレイショー様のご子息がルンペンみたいな生活を送り、醜態を惜しげもなくさらけ出していたのです。
ホレイショー様の影をエリアス様に見出そうとしていた私には、やはり辛いものがありました。私は心の中でやおら溜息をつき、紹介状を差し出しました。
紹介状とは職業に就くにあたって、前の職場の責任者が認めた人物証明書のことです。そこには私の名前、能力、勤務態度、それに今までの経歴が記されていました。しかし、エリアス様はそれを受け取っても、お顔には理解の光は灯されませんでした。
「セリア・ロングフェローか。それで一体何なんだ、お前は?」エリアス様はいぶかしげに訊ねてきます。
「エリアス様、女性にそのようなお顔を向けるのが、貴方様の礼儀なのでしょうか? だとしたら、エリアス様にいまだ決まった人がいないということにも納得ができます」
私が抱いた失望は、エリアス様を前にありありとした形となって外へ出てしまいました。すぐに私自身、無作法な振る舞いだと気がつきましたが、その頃には私の言葉は全て口から吐き出された後でした。そしてそれを耳にしたエリアス様の表情は引き締まり、格別な言葉を私に返してくれました。
「お前の言う礼儀とは、勝手に人様の家に入り込み、あまつさえ寝室に侵入して、その家主を驚かすことなのか? なるほど、ご立派なことだ。今度は是非王族や貴族の家でやってもらいたいものだな。そうすれば感謝の雨あられ。その暁には無事に神の御許へ辿り着けるだろうな」
私たちはそのまま黙ってお互いにらみ合いました。二人の印象は至って最悪なものでした。それでもホレイショー様へのご恩とコリングウッド卿のからのお言葉がありましたから、私はエリアス様への失望の色をひたすら隠し、謝ることにしました。
「確かに他人の家に勝手に入ることは、礼儀にもとる行為でしょうね。申し訳ありませんでした」
「はっ! これだから教育のなっていない人間は嫌なんだよ! ちゃんと分をわきまえろ!」
私が謝罪をいれると、エリアス様は胸をのけぞらせました。幸いなことに無教養を誇示するような悪罵は飛んできませんでしたが、その態度にはいただけないものがあります。私は僭越ながら再び口を開くことにしました。
「私は既に三度ほどお手紙で今日の来意を告げました。その中にご都合が悪いようでしたら、是非遠慮なさらずにお知らせくださいとの旨も書いておりしました。しかし残念ながら、それについての返答はありませんでした。そして実際にエリアス様のお宅を訪れても何の反応もありません。私の胸にエリアス様の身に、もしかしたら、という不安が湧き起こってもしょうがないとは思いませんか? それに日は昇り、時間はとうに昼を迎えています。そんな紳士とも間違っても言えない怠惰な生活を送る輩に一体どれだけの礼儀を尽くせばいいのか、是非エリアス様のお考えを聞かせ頂きたいところです」
エリアス様にも少なからずの矜持が残っていたのでしょう。それを言われると、エリアス様は反論しませんでした。しかし、あろうことか別の言葉でもって私を責めてきたのです。




