決意
エリアス様は、父であるホレイショー・ニーソン様のご長子として首都のウォルポールでお生まれになりました。母であるエマニエル・ハミルトン様とホレイショー様はご成婚してはおらず、誠に不幸なことながら、エリアス様のご誕生は万人から祝福された形とはなりませんでした。
しかしホレイショー様とエマニエル様は、心の底からエリアス様を愛していたように思われます。事実、お二人はエリアス様に対して、できる限りの遺産をお残しになりました。またエリアス様がお生まれになった時は、ホレイショー様とエマニエル様は、「天使がこの地に遣わされた」と、感動を示したと聞いています。
ですが、その愛すべき息子エリアス様を残して、ホレイショー様はシスルスウェイト海戦でお亡くなりになられました。その後間もなくエマニエル様も病に伏せられ、六ヶ月の忍耐も空しく、ホレイショー様の後を追うかのように神の御許へと旅立たれました。
多くの人がご存知かと思いますが、ホレイショー様はアウェリア海軍の提督で「常勝」を二つ名とした英雄です。そしてホレイショー様は当時専横を振るい、アウェリアを含むエウーロ大州を手中に収めんとしていたガウル帝国皇帝ユーゴー一世を打ち破ったお方です。
そのような偉大な人物の血脈を継ぐものが蔑ろにされるはずもなく、エリアス様は将来を嘱望されて、ホレイショー様と近しくあった海軍大将にしてノストラム海艦隊司令官のハーディー卿に引き取られることになりました。それは両親を失ったエリアス様にとって、地獄に垂らされた蜘蛛の糸だったことでしょう。少なくとも多くの人はそう考えはずです。これでエリアス・ニーソンの未来に心配はない、と。
しかし、エリアス様はご自分の境遇を大変憎んでおりました。父親のようになれ、ホレイショーのようになれ。それを合言葉のように育てられたエリアス様は、ことあるごとにご自分とお父上を比べられてきました。それによってエリアス様が周囲の期待に沿うような結果を残していれば、何も問題はなかったのかもしれません。ですが、その頃のエリアス様は後の俊英と言われる才気を、どこにも感じさせない凡庸な子どもでした。
最初はハーディー卿もはじめ、エリアス様の周りにいた方々は鷹揚に構えていました。子どもだから仕方ない、大器は晩成するものだ、と。しかし、いつまで経っても地に伏したままの姿でいるエリアス様に、やがてハーディー卿たちのお顔は諦観の色に染まっていきました。期待の目は失望に、励ましの声は溜息に、そして愛情は無関心に。幼いエリアス様がそれに嫌気が差したのは、当然のことでした。
そんなある日のことです。エリアス様は子どもながらに一つの決意をすることにしました。エリアス様は一つの家族の在り方に公然と抗議活動を行ったのです。それは即ち、家出。エリアス様はハーディー卿へのお礼の手紙を残し、ホレイショー様の残した財産を手に逐電なさいました。それを知ったハーディー卿は、その時怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ安堵の息を漏らしただけと聞いています。
エリアス様に何かお考えのあったことかは知りませんが、おそらくは感情的なものだったのでしょう。その後の行動に何ら計画的なものは感じません。しかし、それによってエリアス様は何かしらの教訓を得たのであれば、高くはない買い物だったかもしれません。例え全財産をそれによって失ったとしても。
エリアス様がハーディー卿のお屋敷を出た後、最初に行ったことは投資でした。対象は東方貿易に行われる船舶の積荷の保険です。海上貿易においては、陸上に比べて積荷に問題が生じてしまう可能性が高いものでした。
当時は蒸気機関もなく、風を頼りとした帆船が主でしたから、それも道理。航行は天候に左右されますし、嵐にでも遭えば積荷を届けるというのは絶望的なものでした。それに海賊に襲われてしまうという危険性もありましたから、エリアス様がなさろうとしていたことは、多分に投機的なものがありました。
もしそれが上手くいけばエリアス様を見下げ果てた方たち相手にとても良い見返しとなったでしょうが、現実はそう簡単にはいきませんでした。エリアス様はそれによって半分以上の財産を、僅か数ヶ月でなくしてしまったのです。
それで以後、堅実なお金の運用を学べば良かったのですが、何故か損失を補うために掛け金の高いサイコロやトランプといったギャンブルに手を出し、あれよあれよという間に一文無しになりました。その一連の様を見て世間の評価は、英雄ホレイショーの息子は出来損ないということに落着いたしました。
貧窮に喘ぐエリアス様に救いの手を差し伸べたのは、コリングウッド卿でした。コリングウッド卿はホレイショー様の無二の親友でした。その親友の息子が危機的状況にあるというのでは、コリングウッド卿に同情の念が湧き起こるもの自然なことだったと思います。
とはいえ、伯爵の位をもつコリングウッド卿自らエリアス様のところへ赴くわけにはいきませんでした。既に浮浪者寸前にまで身を落としたエリアス様のもとへ直接行ったとあっては、コリングウッド卿の面目の失墜になりかねません。
そうして誰がエリアス様を訪ねるべきか、とコリングウッド卿が頭を悩ましているところに手を挙げたのが私でした。私は戦災によって行き場をなくしていたところを、ホレイショー様に助けられたという大恩がありました。またコリングウッド卿の下でメイドとして働けるようにしてくださったのもホレイショー様でした。
既にホレイショー様は亡くなられ、恩を返せる機会をなくしていました私にとって、これはまさに神が与えた機会――慈悲に思えました。路頭に迷いつつあるエリアス様をお救いすれば、ホレイショー様もお喜びになられるはず。優しきホレイショー様に報いるためにはこれしかない、と私は一つの決意を胸に浮かべました。




