命より大切なもの
※グロ要素があります。
「そうですか。では医務室へ運びます」
私はイェイツ艦長を無視して告げました。そして私はすぐさま自分の倍はあろうかという身体を持つイェイツ艦長を両の手で担ぎ上げました。
ですが、私のしていることは、命令に服さない私の勝手な行動に過ぎません。イェイツ艦長はそんな事態に納得できるはずもなく、残った腕を振り回しながら、喚きたてました。
「放せ! 放したまえ! 私はここにいる!」
「医務室へ行ったら、放します。それに艦の指揮など、どこででもできるでしょう」
「ここでなければならないんだ!」
「そうですか。では、手当てしたら、またここに戻ってきてください」
今でこそ艦長の存在が、どれだけ兵の士気に関わるかは、私の経験からも分かります。ですが、その時の私にはそんなことより肝要に思われることがありました。私はその判断に従って、イェイツ艦長を胸の前に抱えあげ、医務室へ足を向けるのでした。
あれほど気を張っていたイェイツ艦長ですが、甲板から離れると、途端に身体から精気が抜け落ちていったように悄然となりました。よく見れば、顔からも血の色が抜け、何とも危うい状態を私の前に晒してくれていました。医務室に辿り着く頃には、イェイツ艦長は最早死体と言ってもいいほど力なき様でした。
エリーゼ付きのジョセフ・ジョンソン軍医はイェイツ艦長の容態を確認すると、顔を歪めました。しかし、それも一瞬のこと。髪の色が全て白くなるまで医者として勤め上げたジョンソン軍医は、その経験を裏打ちするように、次の瞬間には治療に取り掛かっていました。
治療といっても、当時のそれは今とは比べようがないほど低水準なものです。麻酔はない、輸血もない、おまけにメスは消毒せずに何人にも使いまわす。今では当たり前のこととなった技術ですら確立されていない時代だったのです。
戦傷者にとって生きるか、死ぬかなど、運と本人の力次第でした。ですから、ろくな医療技術の持っていない軍医のすることなど一つでした。
「切るか」ジョンソン軍医は、しわがれた声で極めて淡白に告げました。
「切る? 何を切る気だ?」イェイツ艦長はカッと目を見開き、訊ねます。
「決まっている。艦長の左足だ。これだけ木片が突き刺さっていては他にしようがない」
「私はもう右腕を失っているんだ。どうにか他の方法で頼む」
「そんなことを言っていたら、艦長、あんたは死んでしまうよ」
「それなら死んでもいい。だからどうか私を艦尾楼に戻してくれ。私は戦場で誇らしく死にたいのだ」
「それが艦長の仕事だというのは分かる。だが、負傷者を少しでも助けるというのが、軍医である私の仕事だ。医務室へきた以上は、私に従ってもらう」
「私は自分の意志でここに来たわけじゃない」
「そうかい。では始めるぞ、艦長」
そう言ったジョンソン軍医に火で炙ったメスが渡されました。メスを熱するというのはホレイショー様が考案なさったことでした。
何でも冷たいメスで神経を切り裂くのは、とても苦痛なこと。自信の右腕と引き換えにそのことを痛感したホレイショー様は、以後切断手術は熱したメスでするように海軍本部に陳情致しました。
そのおかげか、神経切断の痛みで悶絶する数はエウーロ大戦以前よりは少なくなりました。しかし、それでも麻酔なし敢行するのですから、どうしても痛みは伴います。
私はメスから逃れようと暴れ回るイェイツ艦長の身体をガッチリと押さえ込みました。宛がわれたメスは容易くイェイツ艦長の肌の中に入り込み、何とかそれを押しのけようとする筋繊維の抵抗を難なく破り、神経へと到達。そして次の瞬間、イェイツ艦長の苦悶に満ちた絶叫が船倉に響くのでした。
それによってイェイツ艦長が気絶したのは誠に僥倖だったのでしょう。左足の神経は一本だけではないのですから。そして骨の周りの筋肉と神経全てを切ったのを確認すると、いよいよノコギリの出番です。
血と脂に塗れたそれは、メスと同様に使い込まれたものです。当時は、ばい菌などといった言葉すら存在していない世界でしたが、それに目を向けると身体の奥底から這いずり出るような悪寒を、誰にも覚えさせました。しかし職人気質というのでしょうか、ジョンソン軍医は、その使い慣れた道具に絶大な信頼を向けているのでした。
ノコギリで骨を切り、足の切断が何とか完了すると、その後は骨をヤスリで削り、余った皮を引っ張って、縫合する。残った右腕も同様に処置をして終わりです。
「まあ、後は艦長の気力次第だな」ジョンソン軍医は血まみれの手を、これまた血まみれの服の裾で拭き、それから手で額の汗を拭いながら、術後の感想を述べました。「しかし、セリアの嬢ちゃんは中々の胆力だな。普通の女の子なら、こういう時は嫌になるくらい取り乱すか、気絶するかなんだがな。いや、セリアの嬢ちゃんは見込みがあるよ。どうだい、助手としてここで働いてみないかい?」
「いえ、お誘いは嬉しく思いますが、私には私の仕事があります。それにイェイツ艦長のことを報告しなければならないので」
「そうかい。そりゃ残念だ」
ジョンソン軍医は残念そうな素振りを大して見せず、ラム酒を一杯呷ると、すぐさま次の患者に取り掛かりました。
私がイェイツ艦長のことを報告に行きますと、甲板は酷い有り様でした。至るところは血が流れ、崩れ落ちた索具が辺りに散らばっています。私が席を外したのは、ほんの一時間ばかり。それだけでエリーゼは無残な姿に変わり果てたのです。
そこに救いがあるとすれば、意気軒昂に叫ぶ兵たちの姿でしょう。彼らはイェイツ艦長がいなくなった後も立派にアウェリア海軍としての矜持を見せてくれたのです。
しかし、敵は「烈火」のヴェルレーヌ艦隊所属クサラとサクソの二隻。どうしても英気を挫いてしまう人も出てくるのでした。それだけなら構いはしないのですが、その中にあろうことか主席海尉のジョージ・ダンがいたのが、事態をややこしくしていました。
彼はイェイツ艦長が気絶した知らせを聞くと、艦長に代わって自分にエリーゼの指揮権があると言い出したのです。その発言自体は全うなものでした。
艦長の次に位が高いのは副艦長であり、その任に就くのが主席海尉である彼だったのですから。しかしその次の言葉によって、ダン海尉は甲板にいた皆を呆然とさせました。
「旗を全て降ろせ! 降伏だ! エランも降伏してしまったんだ! エリーゼだけでは持ちこたえられはしない! いいか! エリーゼはガウルに降伏だ!」
その言葉に反応ができた兵は一人もいませんでした。エリーゼは確かに傷つき、砲門は幾つも使用不能となり、戦闘能力は低下しました。またエリーゼに逃げ場はなく、救援も望めず、敗色は濃厚となっています。
しかし、エリーゼにはまだ戦う力が残っているのも事実でした。そして沖合いに立ち込める砲煙を見るに、いまだキーツ艦隊旗艦ロータスをはじめとした僚艦は戦闘状態。降伏するにしても、残った砲門で少しでも敵に痛撃を加えるのがアウェリア海軍に属するエリーゼの務めなのではないか。
そう思ったからこそ、イェイツ艦長はあれ程の怪我を負っても気力を折らずにいたのですし、隷下の兵たちもそれに応え、奮戦していたのです。そこにいきなり冷や水をかけられては、兵たちが動揺して、手を止めてしまうのは当然のことでした。
「サー、しかしダン海尉」ローリー海尉が皆の声を代弁します。「我々にはまだ戦うことができます。このまま降伏してしまっては敵にしろ、味方にしろ、笑いの的です」
「それがどうした! 死んで終わるよりかは遥かにマシだ!」
「サー、この戦いの勝敗はアウェリアの未来を決めるものです。場合のよって我々の降伏によって、アウェリアの立場が悪くなる可能性があるのではないかと愚考します」
「そんなのは杞憂だ! エリーゼがいなくなったところで簡単に負けるほどアウェリアは柔じゃない! 心配することはない!」
「サー、そのエリーゼがアウェリアの海軍です。こんな簡単に降伏してしまっては、それこそアウェリアの脆弱さを内外に示すのではないでしょうか?」
「うるさい! お前は馬鹿か! 負傷艦一隻がどれほど戦局に影響を与えられる! 俺は艦長の代理として、お前らの命を守る義務があるんだ!」
部下の命を守る。その崇高ともいえる言葉を発するダン海尉でしたが、傍目からでは随分と滑稽なものでした。尊重すべき命を持つ部下を悪し様に怒鳴りつける姿からでは、とてもではないですが、ダン海尉からは皆を守るという誠実さが伝わってこなかったのです。
勿論、その分必死になっているということでも理解はできますが、落ち着きを失った彼の姿では、部下からの信頼も勝ち取ることはできませんでした。とはいえ、軍人たるもの、上官の言葉を無視することはできません。
「さあ、旗を降ろせ! 降伏だ!」
再び放たれたダン海尉の言葉に皆が動こうとした瞬間、私は思わず口を開きました。今こそが、イェイツ艦長を見て、私の胸に浮かび上がった案を実行するに相応しい時だと悟ったのです。
「お待ちください!」
戦場であるはずのない女性の声が甲板に木霊します。普通なら砲声にかき消され、水兵や海兵たちに一顧だにされないはずの女性の声に皆が耳を傾けたのは、私の日頃の行いによる人徳のおかけでしょうか。
「な、何だ! ここは戦場だ! 女の出る幕はないぞ!」場を支配せんとダン海尉は声を張り上げます。
「いいえ、あります!」
「ああん!?」
「何故ならダン海尉、あなた様にはイェイツ艦長の代理に立ち、その権限を行使する立場にないからです!」
「俺は主席海尉だ! いちいちガキの戯言に付き合っている暇はない! さっさと船倉にでも戻っていろ! お前らも構うな! さっさと旗を降ろせ!」
「主席海尉はエリアス・ニーソン様です! 間違ってもダン次席海尉ではありません!」私は言下にダン海尉の言葉を遮りました。
ダン海尉をはじめ、皆が怪訝な表情で私を見つめます。それも当然のことでしょう。私は誰に憚ることなく平然と嘘を吐いていたのですから。
なるほど確かに私にとって、エリアス様のお命は大切なものでした。私の窮状を救ってくれたホレイショー様のご子息であるなら、それは至当のこと。エリアス様を死の淵からお救いすれば、それはホレイショー様への立派な恩返しとなることでしょう。
ですが、降伏という選択肢は私の中から瞬く間に除外されました。この世には命よりも大切なものがあったのです。




