エリアス負傷
エランが猛攻を受けている間、イェイツ艦長は共倒れを防ぐべく、錨をあげてエランと結んでいた太索を解くように、また横合いに並んでいた艦だけでも潰そうと砲手たちに命令を下しました。
左舷の方向にいるのは、敵の救援が来るまでエランと共に攻撃を加えていた艦でした。檣は既に二つ折れ、残った大砲からの砲撃も散発的なもの。
憂患の種を無くすためにも、その艦に攻撃すること悪くはありません。事実、エランからも左舷方向に砲撃が加えられていました。このままなら撃沈、もしくは降伏は間もないものだろう。誰もがそう思いました。
しかし、地に伏せていたガウルが空へと雄飛した今、ただの敗北を彼らは許しませんでした。その艦、三等級戦列艦ブレークは折れた翼で以って徐々にエリーゼに近づいてきたのです。
エリーゼは懸命に砲弾を撃ち込み、近づけさせまいとしますが、敵はめげずに接近。そしていよいよ白兵戦かと海兵隊が剣を抜いたところで、敵は檣にあった軍艦旗を降ろし、降伏しました。
私はてっきり玉砕覚悟で乗り込んでくるのかと思っていましたから、急な降伏に随分と面食らってしまいました。しかし、エリーゼの艦首を押さえるようなブレークの位置取りは、降伏して尚、勝利への布石となるものだったのです。その証拠に、エリアス様は降伏した艦の場所を確認するやいなや、露骨に舌を鳴らしました。
「どうしたのですか?」と、私はエリアス様に訊ねました。
降伏という明らかな敵戦力の低下は、それこそ今の状態にあっては喜ぶべきこと。それ故に私にはエリアス様の態度に疑問を覚えました。
「あー、ものすごく家に帰りたい」
「何を情けないことを仰っているのですか」
「あー、そうだな。これでは敵艦が壁となって家に帰れない。しかも相手は降伏をした。攻撃して押し退けることも、脅迫することもできない。全くもって嫌な手だ。エリーゼの動きが制限された」
エリアス様の危惧を肯定するかのようにイェイツ艦長の怒号が艦尾甲板にて轟くのでした。
「何故だ! 何故動かん!」
エリアス様の命にて、私は物陰から艦長の動きをつぶさに観察します。すると、艦長の隣にいたダン海尉も、いきり立つようにして口を大きく開けました。
「サー、それが、艦が負傷してまともに操艦できないとのこと。乗組員のほとんども脱出して、残っているのは艦長とそれに従う僅かな士官のみだけです」
「降伏した艦は我々に従わなければならない。それがルールだ。これではエランを助けにいけないではないか」
「サー、それだったら、降伏した艦に向けて威嚇射撃を行ってみてはどうでしょうか? どうせ操艦不能というのも乗組員のほとんどが脱出したというのも嘘でしょう。何、二、三発ぶち込んでやれば、こちらの言うことを聞きますよ、イェイツ艦長」
「貴様は馬鹿か! それは威嚇射撃ではないだろう! そもそも降伏した艦に攻撃するなどルール違反だ!」
「戦場にルールもクソもないでしょう! このままじゃエランはおろかエリーゼまでやられちまう。それでもいいんですか?」
そういった会話がなされている間にも、エランは痛烈な砲撃を受けており、次々と轟音と崩落音が聞こえ、それに並んでエランの檣は倒れ、船殻に穴を開けていくのでした。時折聞こえてくる悲鳴も、まるでエリーゼの行動の遅れを呪う怨嗟の声のように思われます。
これがエリーゼの次の姿だと思ったのか、ダン海尉は必死に自分の意見を通そうとしていました。しかしイェイツ艦長にも考えはあります。
ここで降伏した艦を攻撃したとあっては、卑劣なものという謗りを受け、敵に疑いようのない大義名分を与えてしまいます。そして敵の士気向上は著しいものとなり、より苛烈な攻勢が待ち受けていることでしょう。それにこちらが降伏しても、相手がそれを許さないのではという可能性も浮上してきてしまいます。
イェイツ艦長はダン海尉にそれらをまくし立てました。戦場の、しかも劣勢となったそれの空気に当てられたのか、イェイツ艦長には余裕はなく、声の一つ一つに周囲の空気を萎縮させるような重たい怒気と悲壮さを交えていました。
「それでも死ぬよりもマシだ! イェイツ艦長!」
イェイツ艦長の言葉を聞いても、ダン海尉の主張は変わりませんでした。二人はお互いの意見を譲らず、争いはいつまでも続くように思われました。
しかし急遽新しい報告がイェイツ艦長に舞い込んできたのです。その内容は誰もが予想して然るべきもの。即ち、エランの降伏でした。
砲門の少ない艦首からでは敵艦に十分に抗しきれるはずもなく、エランは無残にも軍艦旗、国旗を降ろしてしまったのです。
これで残るはエリーゼ一隻。勿論、沖合いに抜ければ、いまだ健在のキーツ艦隊は残っていますが、エリーゼは負傷艦、おまけに敵艦と僚艦に囲まれた現在、そこへ逃げるのは事実上不可能。またキーツ艦隊も他のヴェルレーヌ艦隊を相手にしていることを考えれば、救援を願うのは無理なことでした。
つまるところ、エリーゼだけでガウル海軍「烈火」のヴェルレーヌ艦隊二等級戦列艦クサラとサクソの二隻を相手にしなければならなかったのです。いよいよエリーゼに残された時間は少なくなってきました。
イェイツ艦長は部下の報告を受け取ると、すぐさまそういった状態を悟り、顔一杯に渋面を作り出しました。もっとも目の前に部下がいることに気がつくと、不安を与えないためか、すぐに顔の表情を元に戻しました。
しかし、それでも状況は好転しません。残された選択肢に逃げるというのはなく、あるのは戦うか、降伏するかだけ。普通に考えれば、徒に被害を避けるべく、こういった状況では降伏を選ぶのかも知れません。
それは今までの海戦の歴史からいってもありふれたことで、例えイェイツ艦長がここで降伏したとしても、別段責められることではありません。事実、ガウルやイスペルニアでは敵艦に囲まれて降伏する艦は多かったと聞きます。
しかし、このエリーゼに乗るのは、誇り高きアウェリア海軍の精神を胸に収めたコナン・イェイツ艦長。彼は迷わず声を上げ、戦うことを選び取りました。
「帆を張れ! 降伏した敵艦の艦尾を回り、反撃の態勢を整えるのだ! 急げ! 早くしろ! エリーゼも敵艦に首根っこを掴まれたら、おしまいだ!」
艦長の命令のもとに、エリーゼは迅速に動き出します。これにより、一対二という甚だ不利な状況ではありましたが、僚艦のエランよりは大分マシな状況を作ることができました。エランは艦首を向けて対応せねばならなかったのに対し、エリーゼは大砲を並んだ舷側を相手に向けることができたのですから。
とはいえ、私の不安は尽きませんでした。先程まで優勢だった状況が風向き一つで、あっというに間に劣勢に覆されたのです。私の不安を煽る風は大海を割る嵐のように強烈なものでした。
私はイェイツ艦長が命令を発すると同時にすぐさまエリアス様のもとへ駆けつけました。エリーゼで吹き荒ぶ狂風は私の心を責め立てるかのように前に押し出したのです。このままではエリアス様は死んでしまうのではないか、と。
確かに戦場に立っている以上、死は常より身近にあるもの。そういった認識は私の中にもありました。しかし、私はどこか楽観していたというのも事実でした。
「常勝」を冠するホレイショー様の血を引くエリアス様なら、どんな苦境に陥ろうと、耐え抜いて、勝ち抜いて当たり前。エリアス様が辿る道が途中で潰えるなど夢にも思っていなかったのです。
しかし、こうも簡単に状況がひっくり返される戦いを実際に目の当たりにすると、私の考えもどこか抜けたものがあるように感じられてきたのです。
私が主人であるエリアス様を見つけたのは、左舷の砲甲板でした。そしてエリアス様を目に留めた瞬間、自分が抱いたのは杞憂ではなかったと悟りました。
エリアス様は木片が突き刺さった右足を抱えながら、床に倒れていたのです。その右足からはおびただしく血が流れ、エリアスの足を赤く染めていきました。
私はそれによって自分の頭の中が真っ白になっていくのを感じました。いつもの私ならそこで溜息を吐き、エリアス様を叱ったかもしれません。そんな様で情けなくないのですか、恥ずかしくないのですか、と。
しかし私の中にそんな文句など思い浮かんできませんでした。痛切なまでに迫る死の影が、私から全ての思考を奪ったのです。
「エリアス様、エリアス様!」
私はエリアス様の名前を何度も叫びました。できることなら、エリアス様の手をとり、一刻も早くここから逃げ出したい。しかし、ここは船上にして戦場。どこにも逃げ場などなかったのです。
私はようやくエリアス様をここに連れてきたことを後悔し始めました。しかし時は既に遅く、ヴェルレーヌ艦隊の砲撃が再びエリーゼに襲い始めたのでした。




