戦闘開始
次第に敵の乗組員の姿が肉眼によってはっきり見えてくるようになりました。そして砲手や狙撃手が射程を確認するための試射を行います。この段になると、いよいよ緊張を張り詰められ、艦内は静寂に包まれていきます。
その後は戦闘員ではない私でさえも、喉が焼け付くように空気が乾いていくのを感じました。いつもなら気持ちよいと思える潮風すらも、肌に粘つくような感じを受けて、不快なものに変わりました。目の前に暗い幕が落とされていくような何とも憂鬱な雰囲気でした。
しかし、突如とした砲撃音が響き渡り、それを霧散させました。海側にいたキーツ艦隊が攻撃を仕掛け、戦闘を開始したのです。いつかのエウーロ大州連合軍のように足並みが乱れてしまったのでしょうか。いいえ、違います。ヴェルレーヌ艦隊の目と注意がエリーゼとエランのいる陸側にいかないように、引きつけにかかったのです。
それを合図として、今度はエリーゼの軍楽隊が楽器を打ち鳴らし始めました。耳に入ってきたのは、アウェリアの国歌「ルール・アウェリア」です。勇壮なる弦楽に始まり、重ねられるリズムによって次第に力強い打楽器が加わっていく旋律は、アウェリア国民にとって馴染み深いもの。
勿論、奇襲を前提とした作戦ですから、艦内といえど、ことさら大きな音は出せませんでしたが、その慣れ親しんだ「ルール・アウェリア」のおかげが、アウェリアの崇高な敢闘精神が湧き起こるのを、多くの水兵、海兵たちは感じることができていました。
そしてそんな彼らの上には獅子をかたどったアウェリアの国旗に、その獅子が駆ける姿の燕尾形軍艦旗が、暗闇に負けず燦然とはためいていました。前檣前支索、前檣中檣支索、後檣索具装置、斜桁先端と至るところにつけられています。
これには味方識別という意味もありましたが、他にもたくさんと旗をつける理由はありました。それは士気低下を防ぐためです。
戦闘が始まっては、敵の砲撃によりたやすく檣は折られてしまいます。旗を降ろすのは降伏の合図という意味合いもあり、旗が一つだけとあっては、早々に降伏という誤情報を敵味方に送ってしまうこととなりかねません。
戦闘が始まってすぐに味方の艦が降伏したとあっては、大きく士気が低下するのは当然のことでした。しかし何よりも戦場に国旗をたなびかすことによって、アウェリアという国家を守るという義務を皆に思い出させ、アウェリア国民としての勇気を得るために必要なものだったのかもしれません。
事実、旗が大海原にひしめき合っている姿を見て、水兵や海兵の皆から恐怖が削ぎ落とされていくのを、私は確認することができました。そしてそれらによって皆の精神が高まったのを機に、イェイツ艦長の口から命令が下されました。
「各自、砲につけ!」
その言葉と共に砲手たちは慌ただしく大砲の前に並び立ちます。
「狙え、各砲を構えろ!」
続けて発せられるイェイツ艦長の声によって、砲手たちが一斉に砲口をガウル・アリュートス連合艦隊に向け、発射体制をとります。
「初弾の落下を確認して、照準せよ!」
掌砲長のもと、敵との彼我距離を算出され、砲の角度と火薬の量が砲手たちに伝えられます。そして全員の照準が終わると、ただちに掌砲長はイェイツ艦長へ報告。攻撃の準備が整えられたことを伝えました。それに対してイェイツ艦長は厳かに頷き、時計を確認してから最後の命令を発します。
「攻撃開始!」
時刻は一〇時三〇分。その瞬間、雷鳴轟くような音と共にエランとエリーゼの砲から合計四トンにも及ぶ鉄塊が吐き出されました。
アウェリア海軍は精鋭。その練度が高い水兵たちが照準した弾は正確に連合艦隊の一隻に吸い込まれていきました。
勿論、海側にいたキーツ艦隊も同時に攻撃を加えます。両側から行われた片舷斉射により敵艦の一隻を大破させ、もう一隻も大砲二一門を使用不能にし、前檣、主檣を折ったことが確認されました。
キーツ艦隊の奇襲は成功。ヴェルレーヌ艦隊の虚を完全に突き、痛撃を与えました。
キーツ艦隊は更に攻勢をかけるべく片舷斉射を行い、艦隊をヴェルレーヌ艦隊の列線に沿って北東から南西端に徐々に移動させていきます。これによって一隻一隻を確実に仕留めていくのが、「慧眼」のキーツ提督の考えです。
しかし、そう簡単に終わるほど戦いは優しくはありません。それが「烈火」のヴェルレーヌ提督率いる艦隊なら尚更です。
ヴェルレーヌ艦隊はエリーゼの攻撃に僅かに怯むことなく、反撃の斉射を行ってきたのです。その凄絶な反撃により、エリーゼには瞬く間に負傷者が生み出されていきました。
ですが、それでも我がアウェリアのキーツ艦隊の方が有利なままでした。キーツ艦隊はヴェルレーヌ艦隊を挟み撃ちにしていたのです。
挟撃は陸上においても有効な攻撃方法の一つとして考えられています。その理由として敵の退路を塞ぐこと、またそれによる敵の士気低下などが挙げられますが、海上においては陸とは違った更なる利点が挙げられます。
それは砲撃の連射の鈍化でした。一つの砲について言えば、五分以内に三度発射できれば、健闘していると言えました。しかし、このような早い砲撃のペースは、長い時間維持することは不可能なことでした。
砲の重量は三トンほどもあり、操作するには少なくとも六人の要員が必要でした。片舷からだけで発射している場合は、逆の側の砲手が手伝い、作業を軽減させることが出来ましたが、それでも一発撃つごとに兵士の疲労は酷くなります。
そこに負傷者の退場を考えると、必然的に砲撃の準備が鈍り、発射スピードも落ちてくるものでした。それは片舷だけでも、ハッキリとした形で表れます。挟撃により、両舷で砲を撃つことを強いられているヴェルレーヌ艦隊のことは、最早言うまでもありませんでした。
挟撃の他にも、キーツ艦隊が優位に立った理由はあります。キーツ艦隊は主錨の艦尾錨、補助の艦首錨及び艦体を太索で結び、これを適宜伸縮して舷側の向きを自由に変えることによって、より濃密な攻撃を可能としていました。
それに対してヴェルレーヌ艦隊は通常の艦首投錨だから、艦尾が風で振れ回り、射撃方向も安定しません。勿論、アマルナ湾に吹くのは微風のみ。それによる顕著な差はすぐには現れません。
しかし日の出を迎える頃には、ヴェルレーヌ艦隊は一隻、一隻と着実に数を減らしていき、残った艦による布陣も崩れていきました。開始早々、キーツ艦隊から戦いの趨勢を決したかのような安堵の声が聞こえ始めました。




