ハリケーンの爪痕
嵐が過ぎ去り、ようやく天気に落ちつきが見られてきますと、早速救助活動が行われることになりました。ありったけのボートが出され、周辺海域をくまなく探ります。もっとも、この救助活動は絶望視されていたものでした。
嵐の規模は甚大なもので、それこそ艦に乗っている私たちですら、生きているのが不思議と思えるくらいなものだったのです。
しかし、少しでも生きている可能性があるのなら、アウェリア海軍は仲間を見捨てたりはしません。その後の三日間は救助に充てられました。そのおかげか、当初予想されていた数よりも多くの人を助けることに成功しました。
とはいえ、全員が無事だったというわけではありません。助けられたのは行方不明となった中のほんの一握り。その中でさえ、楽観や安心をできるほどの姿をした人など一人もいませんでした。
それも当然のことでしょう。海に落ちた人々はすべからく疲労困憊にありました。彼らは木の切れ端に掴まり、波にさらわれないよう一日中必死に足を動かしていたのです。
それも水も食べ物も取らずに、です。彼らは救助隊に見つかった時、死んだようにグッタリとしていました。
嵐の夜に端倪すべからず姿を見せてくれたエリアス様ですが、救助された人々の世話をしながら、いつものように顔面を蒼白にして黙々と働いていました。時々、胃を押さえながら呻いている姿は頼りないままです。
しかし、そんなエリアス様に投げかけられる視線の変化に私は気がつきました。以前あった蔑視とは違い、そこには幾らかの好奇や尊敬が混ざっていたのです。それが嵐の晩に見せたエリアス様に由来することは明らかなことでした。
そしてそんな視線を送る人の中には、エリアス様のメイドたる私もいました。嵐において、確かにエリアス様は、私の足元で卑屈に振る舞い、船に酔っていたのです。そのエリアス様が突如として、変貌を遂げたとあっては、疑問に思わないほうがおかしいというもの。
ホレイショー様のご子息であらせられることを考慮に入れれば、ああいった事態の帰結は当然なことなのですが、それでも急激な変化には、やはり私でも戸惑うものがありました。
幾らかエリアス様のお仕事の手が空いたのを見計らって、私は思い切ってエリアス様に訊ねてみました。何故いきなりあのように変わられたのですか、何がエリアス様をあのような行動に駆り立てたのですか、と。
しかしエリアス様の答えは素っ気ないもので、依然と人との距離を感じさせるものでした。もっとも後年になってエリアス様はこの時を思い返すことがあり、偶々その場にいた私は図らずもその故を知ることができました。
◇ ◇ ◇
「自分の無力さに嘆いていた。父親に比べて、自分がどれだけ情けないことかなんていうのは、息子である私が一番良く知っていた。
だから、そんなちっぽけな存在なんか役に立つどころか、人の邪魔になると思っていた。
主席海尉を降任されたことだって怒るより、かえって当然なことだって受け入れることができた。
その後の嫌がらせのように押し付けられる仕事だって、自分にはお似合いのことだと思えた。
寧ろ、ようやく肩の荷を降ろした気にさえなれた。楽しく、とまではいかないけれど、それまでよりは遥かにマシな気分でいられた。
だけど嵐に遭った時、そしてセリアの言葉を聞いた時、本当にこれでいいのかって思ったんだ。
このまま何もせずに死んで、自分は自分に納得できるのか、このまま不甲斐ない姿のまま誰の役に立つこともなく命を終わらせて、自分を誇れるのかって。
そうして周囲を見渡してみたら、嵐によって、今にもぶつかりそうなエランによって、皆が呆然としているのが目に入った。何ともマヌケな姿だった。
自分もこのような顔をして、いや、もっと酷い顔をして死んでゆくのか? そんなのはごめんだった。そう思った。
次の瞬間には私は叫んでいたよ。エリーゼを動かすように、喉がはちきれんばかりの声でな。私を動かしたのは、勇気というより自分への嫌悪感だった。
自分を映した鏡のような連中を見て、たまらなく嫌に思えたんだ。あんな風になってたまるかって。
勿論、そういったことは褒められることかどうかというのは分からない。だけど、私はそうして動くことによって、自分を幾らか誇れるようになった。他人よりは勇気があるんだって思えるようになった」
◇ ◇ ◇
エリアス様は月のよく出た晩、お酒に酔って幾らか気分が良くなった時、私に語ってくださいました。私が目に焼き付けたエリアス様の勇姿の源泉に、そんなものがあったというのは、幾らか落胆を感じました。
私はホレイショー様のようにもっと崇高な理念や高潔たる信念によって動いていると思っていただけに、そういった失望感はひとしおでした。
ですが、それを知らなかった当時の私は当然エリアス様の未来に希望を持ちました。エリアス様はホレイショー様ようになれるのだ、と。
そしてそれは私のみならず、他の多くの水兵たちが共通に感じ始めたことなのでした。私はその瑞兆を自分の肌で確かに感じることができました。
エリアス様に期待をかけ過ぎるあまり、私は幾らか夢を見ていたのでしょうか。いえ、違います。
後年になって、私が感じたことは、やはり正しかったのだと気づかされました。それはウルフ士官候補生が家族に宛てた手紙の中に記されています。
◇ ◇ ◇
親愛なるお父さん、お母さん、お元気でしょうか。僕は何とか元気にやっています。ところで、お父さんたちはニーソン提督のことをご存知でしょうか。勿論、知らないはずがありませんよね。
僕が何故こんなことを書くかといえば、僕が乗っている艦にニーソン提督の息子のエリアス・ニーソンがいたからです。だけど、残念なことに彼にはニーソン提督の血は受け継がれても、その才能からは見放されていたようでした。
船には酔うし、協調性はないで、おおよそ船乗りとしては落第でした。だけど、それもハリケーンに遭った日に見事に覆されました。
嵐の中、僚艦エランにぶつかりそうになった時、エリアス・ニーソンは恐怖に挫けることなく、果敢に皆に声をかけ、水兵としての勇気を皆に思い起こさせていました。その姿はまるで噂に伝え聞く、「常勝」のニーソン提督のようでした。
おかげで僕たちの乗るエリーゼはエランとの衝突に回避することが成功したのです。彼がいなかったら、きっと僕はエリーゼやエランの乗組員と共にあそこで死んでいたことでしょう。
だって、彼が声をかけるまで皆は迫り来るエランに腰を抜かしていただけなのですから。
◇ ◇ ◇
勿論、エリアス様を嘲る目が全て払拭されたとは言えませんでした。状況が以前より好ましくなったことは確かでしたが、エリアス様への憎悪をより強く抱く人も現れたのです。
それはあろうことか、ダン主席海尉でした。それというのもエリーゼからマヌケにも放り出された一人に彼がいたのです。あのような晩に海に落ちるようなことは誰でもありえますし、殊更それが物笑いの種になるということはありません。
しかしそれが一般水兵ではなく、主席海尉となっては、どうあっても良い評価へは繋がらないことでした。ダン海尉も周りのそういった視線に気がついたのでしょう。
そのせいか、自分とは逆の評価を得ることになったエリアス様に決して穏やかとはいえない眼差しを向けるのでした。
ですが、残念なことにエリアス様にはダン海尉との仲を直す時間は持てませんでした。ここで二人が手を取り合うことがあったのなら、アウェリアの歴史が変わるとまでは言えないものでも、アウェリアの辿る道のりはもっと平坦なものであったかもしれません。しかし不幸なことに、運命はその時を必要としなかったのです。




