慟哭
私は喜悦満面に甲板をスキップしました。エリアス様は一般水兵にまで身を落とされてしまいましたが、それに至った理由は、決して恥ずべきことではなかったのです。エリアス様は、艦内の規律と艦長の統制力の維持のために、自己犠牲という尊いお心で、そのおん身を捧げたのです。
私はエリアス様の高尚なる精神の在り方に、安堵を覚えるのでした。やはりエリアス様は、ホレイショー様の血を引いているのだ、と。しかし、私がそれを伝えると、エリアス様は途端に機嫌を悪くされるのでした。
「俺に話しかけるな」
「私はエリアス様が大変誇らしいのです」
「そうか、それならもう俺の側にいる必要はないな。今までありがとう。そして、さようなら」
「そう照れることもありません。エリアス様も自信を持っていただいて結構なことなのです」
「……時に眼鏡を買ったほうが良いんじゃないか。それともその耳にピアスでもあけてやろうか。歳の割に随分と視力が悪いようだしな。俺は照れているんじゃなくて、嫌がっているんだ、心の底からな。ちなみにピアスをあけると、視力が良くなるというのは、船乗りの間じゃ常識だ。どうだ、勉強になったか?」
「私は目から鱗が落ちました」
「おい、話を聞いているのか? ひょっとして耳まで悪いのか? それとも馬鹿なのか?」
「そして私はエリアス様のこれからに希望を持てるようになりました。やはりエリアス様はホレイショー様の血を引いていたのです」
私はエリアス様の後ろにようやっとホレイショー様の面影を確かな形で見ることができました。私はその事実に目頭が熱くなるのを抑えることができませんでした。
一方で私のエリアス様への評価は初めて会った時と比べて良くなりましたが、他方で水兵たちの評価は下がりました。海尉の任を自ら降りたことにより、それは何の能力も裏づけされていなかった人選なのだと、周囲のものに思わせてしまったのです。
エリアス様に当たる風は一層酷くなりました。必要以上の仕事を押し付け、それを上手くできないと、盛んに野次を飛ばす。
加えて、海尉の権限を失ったことにより、一人部屋である仕官部屋から追い出され、何人もの兵たちが詰め込まれる居住区に移されることになりました。
エリアス様は始終彼らから悪意に晒され続けるのでした。そして日ごとにエリアス様が憔悴していくのが、私の目にも見て取れました。
私はそんなエリアス様が心配になり、どうにか力になれないかと思案しました。しかし私がエリアス様に幾ら声をかけたとしても、返ってくるのは素っ気無い言葉ばかり。
しかも私がエリアス様の側によると、周りからエリアス様を貶めるような卑猥な声が余計に多くなるのです。私はそんなことをする水兵たちを文字どおり黙らせてやろうとサーベルを取り出しましたが、それは結果的にエリアス様を傷つけるだけに終わってしまいました。
「俺は女になんか守ってもらいたくない!」エリアス様は私の肩を掴んで、痛ましいほどの力のこもった声を私にかけてくるのでした。
後になって聞いたことによりますと、私という存在はエリアス様をからかうにあたって格好の材料となっていたようです。子どもと一緒の部屋にいる、子どもと一緒に寝ている、子どもに守られている。
そういった類の内容の言葉が、私といることによってエリアス様にぶつけられ、傷ついていったのです。私はこういった状況を何とか改善できないかと、イェイツ艦長に相談しました。
「それが本当なら、許せないことだ。私たちはこれからのアウェリアの運命を背に負っているのだ。チームワークを乱すようなことはしたくない」
イェイツ艦長は私の報告を受け取ると、責任ある言葉を放ってくれました。そしてすぐさまその責を果たすべく、迅速に行動に移しました。
しかし、イェイツ艦長のしたことは、結果的に意味を成しえませんでした。勿論、私はイェイツ艦長が全く頼りないということを言いたいのではありません。ただ私の予想以上にイェイツ艦長は影響力がなかったというだけです。
「ニーソン海尉は降格したとはいえ、エリーゼの水兵であり、我々の仲間だ。決してそれを忘れることなく、他の水兵同様に仲良くやってもらいたい」
イェイツ艦長は総員呼集で皆を集めると、エリアス様を前に呼び出し、その肩を抱き寄せ、このようなことを仰いました。それがエリアス様の励みになったかは分かりません。但し、皆の前に出たエリアス様は大変いづらそうにしてらっしゃいました。
そしてそんなエリアス様の不安を表すかのようにイェイツ艦長のお言葉は皆に浸透しませんでした。それだけならまだ良かったかもしれませんが、もしかしたらイェイツ艦長のしたことは却って火に油を注ぐようなことだったのかもしれません。
確かに皆がエリアス様を非難するような場面は、私の目に直接映らなくなりました。しかしそれでも日を追うごとにエリアス様のお身体に傷が増え、それと共にやつれていくご様子。それを見るに、エリアス様に吹き荒む風が止んだとは決して言えないものでした。
当のエリアス様はそれらに対して抗議らしい抗議はしていませんでした。船酔いでお顔を蒼白にしながらも、どんな仕事も疎かにもせず、範となるようなほど真面目にこなしていくのです。
それを目にして、私も自分の仕事を放り出すわけにいきません。私はエリアス様に仕えるメイドなのです。私はエリアス様のために、と一人一人水兵を呼び出し、エリアス様と仲良くするように丁寧にお願いしました。
勿論、誰もがすぐに首を縦に振ったわけではありませんでしたが、私の心意気が伝わると皆は感涙さえ見せて頷いてくれます。私はサーベルを鞘に納めながら、エリアス様の未来に思いを馳せました。
このままいけば、いずれエリアス様を敵視する方はいなくなる。それは確かなこととして私の中にありましたし、遠くないうちに実現するだろうと私は思っていました。
ですが、そんな私の思惑を崩すかのように運命はエリアス様に試練を課したのです。キーツ艦隊は未曾有のハリケーンに襲われたのでした。




