反乱の終わり
「ニーソン海尉!」
「エリアス様!」
イェイツ艦長と私の声が同時に響き渡ります。しかし、そんな私たちを無視して、ダン海尉の哄笑が始まりました。
「ハハハハハハハッ! 聞いたか、皆? エリアスは俺たちの申し出を受け入れるってよ。情けねえなあ。ちょっと脅したぐらいで、これだ。良かったな、皆。早いところ、こいつが降りてくれてよ。こんな臆病者が主席海尉じゃ、勝てる戦いも勝てなくなっちまう」
ダン海尉の言葉が終わると、笑い声は甲板のみならず、艦内中に伝播していくようでした。
「それでイェイツ艦長はどうするよ?」ダン海尉は再び問いかけます。
「私は死んでも貴様らの言いなりにはならん!」
「死んでも、か。この状況じゃ、冗談にもならないぜ、艦長」
「冗談など言っているつもりはない。アウェリア国民の神聖なる義務を忘れた下賎な奴らの言葉に従うくらいなら死んだ方がマシだ!」
「その義務っていうのは一体何だ? まさか部下を徒に虐げることか、それとも船酔いする海尉と一緒に戦うことか?」
「ふざけたことをぬかすな! これから戦闘に入るかもしれないのだぞ! 私たちを生み、育んでくれた母なるアウェリアを守ることこそ、アウェリア国民の神聖なる義務! それを忘れ、こんなマネをしてる奴が何を言う!」
「だからこそ、だからこそだ、イェイツ艦長。エリアスは言わずもがな。そして部下を蔑ろにするに人間の指揮になんて従いたくない。俺だって、ここにいる他の奴らだって、国のために死ぬのは構わない。だが、無駄死にはごめんだ。部下を顧みない指揮と無能な仲間に足をひっぱられて死ぬのは我慢がならねえ。俺の言っていることが分かるか?」
「ダン! 好き勝手言いおって!」
イェイツ艦長が悔しさに顔を歪ませて叫びます。そしてそれを見て、ダン海尉が愉快そうに表情をほころばせました。それまで上の立場にいて、力を振るっていた人間が、今では自分を見上げて、無力さに苦しんでいる。そういった立場の逆転は、虐げられた人にとって、さぞ愉快な出来事だったのでしょう。
「それでどうするんだ、イェイツ艦長?」
ダン海尉の最後通牒とも言える質問。それに答えたのはイェイツ艦長ではなく、意外にも今まで静観を決め込んでいたエリアス様でした。
「待ってください、ダン海尉」
「何だ、エリアスか。出来損ないは黙っていろ。俺はお前になんか、聞いちゃいねぇ。それともクズには言葉すら通じねえか」
「いえ、この件に関係のある話です」
「何?」ダン海尉は面倒くさそうに顔をエリアス様に向けました。
「ダン海尉らはイェイツ艦長が下した処罰に不満を抱いているようですが、その責は私にあります。厳しい罰を下すように提言したのは、私です。そしてそれを無理強いしたのも私です。イェイツ艦長は最後まで私の言葉に渋っていました」
「ニーソン海尉、何を言っている?」
エリアス様の告白に、すかさずイェイツ艦長の疑問が聞こえてきました。イェイツ艦長の声の調子から察するに、エリアス様は嘘を言っているのが私には気づかされました。
しかし、嘘だとするなら、何故エリアス様がそのようなことを仰るのか、私にはさっぱり分かりませんでした。エリアス様の思惑を量りかねた私は、大人しく場の様子を見守ることにしました。
「それじゃあ、何か。全てはエリアスのせいか? 俺たちが散々な目に会ってきたのは、全部エリアスのせいだっていうのか?」
ダン海尉は確認を取るような質問を発しながらも、既にその声には揺るぎない敵意が込められていました。その浅黒いザラザラの肌の顔を、これ見よがしにエリアス様に近づけ、威嚇していたのです。
「はい」と、エリアス様は頷きます。
その瞬間、周囲の空気が一変したのを、私は肌で感じ取りました。今までは艦長といった重責の立場の相手でしたから、多くの水兵は反乱を起こしこそはすれ、それなりの節度を持っているようでした。暴力は振るいませんでしたし、最終的な判断は艦長に任せていました。
しかし、憎むべき相手が船酔いする海尉に代わると、彼らの中にあった憎悪に火が灯るのでした。私はこれからの展開に不安を感じつつ、万が一の時のために、いつでもサーベルを抜けるようにしときました。こんな事でエリアス様の命を散らせてしまっては、私自身ホレイショー様に会わせる顔がございません。
「なるほど。それなら、まあ、事態は簡単に落ち着くな」ダン海尉は噛み締めるように、ゆっくりと言葉を口にしました。「これからイェイツ艦長と一緒にキーツ提督のところに行く手間も省けるってもんだ。要はエリアスさえ、いなくなればいいんだからな」
「はい」
エリアス様が肯定の意を示しますと、ダン海尉は荒海によって十分に鍛えられたその腕で、思い切りエリアス様を殴り飛ばしました。その勢いに負けたエリアス様は、たちまち甲板に転がり、口から血を流します。
こういった結末は予想されて然るべきものでした。ですが、私はそれを目にした瞬間、甲板を揺るがす雷鳴の如き踏み込み音と共にサーベルの鯉口を切りました。
ダン海尉によるホレイショー様のご子息に対しての蛮行。それは許されざるべきものであり、故にダン海尉はその報いを受けて当然のものでした。
さすがに殺すということは、その時の私も考えていませんでしたが、ある程度の見せしめになるような深い傷を負わそうとは頭に浮かべていました。
エリアス様の愚かとも言える行動によって、ダン海尉を筆頭に憎しみに火がつけられてしまったのです。そしてその火に、エリアス様は惜しげもなく薪をくべてしまったのです。
その火が乗組員全員に移ってしまっては、それこそ消すのは不可能なこと。故に火がまだ小さいうちに水をかけてやることは必要だったのです。
そしてその水には、ダン海尉の血こそが相応しいと私は判断しました。しかし、私の足は一歩踏み込んだところで、またしてもそれ以上先に進むことはありませんでした。
「よせ!」
エリアス様の声が暴風のような勢いでもって、私を止めにきたのです。私は制止の声を上げるエリアス様を思わず睨んでしまいました。このまま事を放っておいたら、エリアス様の更なる血が求められるかもしれないのです。
それが敵と勇敢に戦った結果というのならまだしも、味方とのいざこざというのでは、目も当てられません。故に何としてもそれを防ぐ必要があったのです。
「何を、です?」私はエリアス様に訊ねました。
「お前のしようとしていることを、だ」
「何故ですか?」
「必要ないからだ」エリアス様は二つの質問に即答します。
正直、私にはエリアス様の意図が掴みかねる状態でした。果たして、エリアス様はどういった結果を望んでいるのか。先行きに不安はありましたが、今の私とエリアス様とのやりとりで、どうやらダン海尉らに水を差した様子。
彼らの目には怒りといった感情はなく、代わりに私とエリアス様の行動に対する疑問がひしめいていました。これなら暴力という形でエリアス様に向かうことはない。それを悟った私は一歩後ろに下がり、再び状況を見守ることにしました。
「あー、そういうわけだ、イェイツ艦長」ダン海尉は静まり返った甲板で一人声を上げました。「この出来損ないの海尉を、その任から降ろしてくれ。そうでなければ、俺たちはアウェリア海軍の義務を果たすことはできないんでな」
イェイツ艦長は簡単に返事をしませんでした。反乱者の言うとおりになること、そしてエリアス様に全ての責任をなげうつこと。そのことにアウェリアの国民として、またアウェリア海軍の艦長としての誇りが、お許しになられなかったのでしょう。
しかし、イェイツ艦長には戦いにおいて、艦の運用を滞りなく果たす義務があります。そうでなければ、如何に老練なキーツ提督といえども、まともな艦隊運用はできず、戦果に翳りを生み出してしまいます。そしてその結果、この戦いに負けて、アウェリアの地に野蛮なガウル軍の足を踏ませてしまうことにもなりかねません。
イェイツ艦長は苦渋に満ちたお顔でエリアス様をご覧になられました。すると、イェイツ艦長の視線に気がついたエリアス様は、静かに首を縦に振りました。それを見たイェイツ艦長は数十秒ほど目を閉じ、やがて決然とした声をエリーゼに轟かせました。
「ニーソン海尉を主席海尉から降任! また海尉としての全ての権限を剥奪する!」
エリーゼに歓声が響き渡りました。




