制服と性別(2/?)
「えっと、一年○組の出席番号一番、逢沢悠希。委員会は放送委員で、趣味は音楽鑑賞。好きなジャンルはインスト──って、同じクラスなんだからもう知ってるよね」
あははと苦笑交じりに逢沢はソプラノボイスでそう名乗った。
そんな風に言われてはまだ名前も知りませんとは白状できず、「ええ、まあ、一応」と彼女は言葉を濁した。
その心情を知ってか知らずか。ウツロイは不愛想な表情を覗き込んで、
「おいおいクラスメイトの名前くらい当然だろう。もし知らなかったとしたらこの子は入学してから今までクラスで一人何をしてたって言うんだい?」
「当然です。アイザワ君ですよアイザワ君」
と、わざとらしい辛口コメントのウツロイの視線から逃げながら、聞いたばかりの名前を繰り返した。
一見して小学生高学年に見間違える程の小柄な生徒。その所為で制服も体に合ったサイズがなく、丈を詰めてもぶかぶかの詰襟を着る様は一層子供らしさを引き立てていた。
背も学年で恐らく一番低く、出席番号も一番。その個性のおかげで助手でも逢沢の顔は一応覚えていた。
逆にもしも彼が一見して極普通の生徒であれば、学校に忍び込んだ子供のいたずらだと勘違いしていたのかもしれない。
そんな助手の表情から何を読み取ったのか、
「ええっと……うん。改めてよろしくね、助手さん」
逢沢は微妙な表情から気を取り直してあどけない笑顔を浮かべた。
友好的な姿勢。しかし、その呼び方がいけなかった。
「ち・が・い・ま・すっ!」
と助手は途端に食って掛かった。
「ええっ!? な、なにが……?」
「助手じゃ、ないです」
彼女にとって『助手』とは、『ウツロイに押し付けられた相談室の対応全般を引き受ける雑用係』という不名誉な称号。いかに義務感で相談室に顔を出していても、あの偏屈で変態な女教師の仲間だという認識は断固として受け付けないつもりだ。
意外そうに逢沢は童顔をきょとんとさせて、
「えっと、みんな、そう呼んでるけど…………」
予想外の言葉に助手はきっと目つきを険しくした。
「みんなって、誰ですか」
「クラスの……みんな、だけど…………」
絶句。
今になって知った驚愕の事実に助手は地蔵の如く固まった。
しかし逢沢もまた困惑した。何故なら助手という呼び名はとうに定着していて、今更の話を掘り返して当人が驚いているのだ。どう話したものか戸惑う以外他なかった。
すると、静かに笑い声が聞こえだした。
くつくつと押し殺したような声の発生源はウツロイ。
「君はもうちょっとクラスメイトと交流すべきじゃあないかい?」
ごもっとも。
だが「余計なお世話ですっ」と傷口をより深く抉られた助手は憤慨し「それで、相談内容は?」と逢沢に向けて不躾な物言いで強引に話題を変えた。
だがそれこそが相談室の本業。
助手にちょっかいを出すウツロイはともかく、そのために来た逢沢は慌ててかしこまった。 恥ずかしそうに体をもじもじとさせる逢沢。
だがしばらくして、意を決したのか深く息を吸い込んで、
「鳴無先輩がぼくの事をどう思っているのか調べてくださいっ……!」
頬を紅潮させて一気に言い切った。
恋愛相談。
それは助手にしてみれば意外だった。
見た目そのままに子供っぽい印象の逢沢がそんなことを言うとは露ほども想像しなかった。
「ええっと……」
しかしこの手の話題には助手は自信がない。
どう反応するべきかと隣を見上げると、ウツロイは感嘆の声を漏らしていた。
「『鳴無先輩』というのは……二年の『鳴無なお』くんのことかね?」
助手は寡聞にして知らない名前だが、そこは流石教師と言った所だろう。
「はい……。その、同じ放送委員で……」
「確認するのは『鳴無なおくんが君の事を好きかどうか』で、いいのかい?」
羞恥で湯気まで上がりそうな勢いで耳まで赤くしながら、こくんと僅かに頷いた。
成程成程、とウツロイ。
そんな真剣な二人のやり取りを黙って見守っていると助手はふと、
「何企んでるんですか」
ウツロイがその後に見せた意味深な笑みに嫌な予感を感じたのだ。
怪訝そうに尋ねる彼女に、
「いぃや。なにも」
さっきまでの表情が嘘のようにケロリと涼しい顔。
助手にとってウツロイはまだ出会って半年もない付き合いだ。その間に彼女への信用は落ちる所まで落ちたのだが、どれだけ変人だったとしても人の恋路を邪魔し嘲笑うような野暮な人間ではないと思っている。
ともすれば、何か良からぬことを──と考えるのは必然だった。
並々ならぬ怪しさに、じぃっと視線を突き刺し続けるとやがてウツロイは勿体ぶりながら口を開いた。
「ただ──」
「ただ?」
「今回の依頼は中々面白い話になりそうだなあと、思ってね」
これ以上ないくらいにきな臭い台詞だ。
「先生が面白いと言って、私が面白かった覚えがありませんが」
「それは見解の相違という奴だろう。君が面白くない目に合うと逆に私が面白いのだよ」
そうウツロイが冷笑すると助手は反射的に「むっ」と頬を膨らました。まるで揶揄う大人と揶揄われる子供だ。
それで、と助手。
「その先輩は、どういう人ですか?」
半ば八つ当たりのように体を小さくする逢沢へ問う。
「えっ……と。クールで、かっこよくて、面白くて。ぼくのせいで機材トラブルが起きても庇ってくれて、最後まで丁寧にやり方教えてくれて。そそっかしい駄目な後輩にも優しい面倒見のいい先輩です。えへへ……」
一層顔を上気させて幸せそうに惚気るのだった。
その姿にどこか感心しつつ、助手は不思議と胸が暖かくなるのを感じた。
薄い胸に手を当てて首を傾げている彼女を横目に、
「さて」とウツロイ。
「はっ、はいっ」
「君が精一杯勇気を出して話してくれたこの相談、しかと受け賜わった。その恋が無事成就するように誠心誠意頑張らせて貰うよ」
そう言って大仰に約束すると、助手の小さな肩を片手で軽く叩いた。
ぽん、と。
「この子がね」
「……はい?」
助手が怪訝な声を上げるのと同時、
「ありがとうございますっ!」
逢沢はぱあっと満面の笑みを咲かせて机越しに助手の両手を掴み取った。
「ちょっと。押し付けないでください」
対照的に露骨に顔をしかめる助手。
「いいじゃないか別に。どうせ暇だろう?」
「なんですか、どうせって」
相談室絡みで度々面倒ごとを押し付けられている身としては許せるものではなかった。
「お願いします、もうぼくには助手さんしか頼れないんですっ!」
「いえ、だから、私は助手じゃなくて」
「若い内から楽を覚えると立派な大人に成れないよ」
「先生はそもそも立派じゃ」
「助手さんが受けてくれないとぼくの初恋が終わってしまうんですぅ!」
「いや、だから」
「君も私を見習ってテキパキバリバリ私のために働き給えよ、助手くん」
「あの」
「そんなこと言わずに助手さん! どうかお願いします助手さん!」
矢継早に左右から連投される突っ込みどころ満載の台詞に、
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
指摘許容量超過。
二人掛かりで畳みかけられ助手はあえなく撃沈。
熱暴走から思考停止に至り、机に突っ伏すことになった。
「そういう訳だから、君は安心して吉報を待ちたまえ」
「はいっ、お願いします」
ぷすぷすと煙を上げる助手を尻目にウツロイは逢沢を追い出した。
ほどなくして、助手は長い溜息とともに精根尽き果てた様子で机にだらしなくもたれかかる。
「これが我が校の、いじめの実態ですか」
「くくくっ、純朴な逢沢くんが一緒になって君の説得にかかってくれたのは想定外だったけれどね。もしも恨むなら普段からクラスメイトと親睦を深めなかった自分を恨んでくれたまえ」
「もうそんな元気もないです」
「もしあったら?」
「向こう脛を蹴ります」
あの弁慶ですら痛みに泣くという人間の急所だ。何を言っても右から左で響きやしないこの偏屈にも少しは効くかもしれない。
「いやはや悪ふざけが過ぎたね、すまない悪かったよ」
「白々しいです」
「悪いと思っているのは本当の話さ。この私にだって痛覚くらいはある。かの有名な武蔵坊弁慶でも痛がるという急所を突かれるのは御免被る」
この通りと両手を上げてお手上げ。
「そうですか」
適当に相槌を打ちつつも意外と通じるかもしれないと頭の片隅に入れる助手だった。
「それにしても惜しかったなぁ……」
おもむろに両手を組んで腕を伸ばし息を吐くと、ウツロイはしみじみと呟きだした。
「何がですか?」
うんと頷くと妙に真剣な表情で、
「もしもあの子に想い人がいなかったら、ちょっと摘まみ食いしたかったなあと思ってね」
「どんだけ雑食なんですかっ」
夕日で赤く染まる校舎に助手の声が小さく響き渡って、その日の活動は解散となった。