幽霊(2/4)
お悩み相談室。
それは時には友人関係、時には色恋沙汰、あるいは部活動──etc.青春を生きる生徒のために空き教室を活用して今年から設立された悩める仔羊のための談話室。
しかし建前を横に置いてありのままに言うならば、そこは六畳一間の細長いスペースに使い古しの備品を集めて特別教室としての形だけを整えた元物置部屋だった──というのが一か月前にその設置を押し付けられた助手の本音である。
部屋の中央には向かい合わせの机と、囲うように三脚の椅子。
依頼人はおどおどとしながらも誘われるがまま入室すると、そのまま窓側に座る助手と向かい合わせになる扉側の席を「どうぞ」と勧められ、それを見てウツロイは当然のように依頼人の隣に椅子を置いて優雅に腰かけた。
隣の教師が色目を使うせいか、初めての相談室のせいか。体を縮こめて見事に萎縮する依頼人を横目にウツロイは事情を語りだす。
「そろそろ君も寂しがっている頃だろうと思ってふらふらっと来てみればこの子が扉の前でうろうろ彷徨っていたものでね。誰もつばも首輪も付けていなかったもんだからついつい可愛くて拾ってしまった、という訳さ」
「く、首輪……?」
依頼人はぴくりと肩を震わせると、至近距離から浴びる熱視線に顔を紅潮させた。その反応は確かに拾ったばかりの子犬そのものだったが、
「ちょっと」と、咎めるような口調の助手。
流石に「犬じゃないんですから」とは本人を前にして言えなかったが、ウツロイから滲み出る異様な空気に口を出さずにはいられなかった。
「おいおいまだ手を出してないだろう?」
「まだ、ですか」
「おお怖い怖い。冗談だよ、冗談」
そう言ってウツロイは両手を上げて降参のポーズ。ようやく依頼人から目を外すと今度は半目で睨む助手をくつくつと笑い出した。
悪戯好きの教師に溜息。
とはいえ助手にもそれが理解できない訳でもない。
肩に流れるのは天の川の如く濡羽色の髪。
羽織るカーディガンの下から伸びる透き通った白い肌。
そして何よりも幼い印象の顔立ちに並んだ幸薄そうな垂れ目。
率直にその感想を言葉にするなら、彼女は人間離れして可愛かった。恐らく彼女に懇願されれば誰もが首を縦に振って下僕になり、彼女のために尽くすことが本望になり得るだろう、と。
ならばウツロイがおかしくなるのも道理なのかもしれない。
「いやしかしノーマルだろうとなんだろうと関係なしとは、罪深い限りだよ……ふふ」
「え、っと……?」
「無視してやってください」
「は、はあ」
もっともこれのネジがどこか飛んでいるのは元々だが、と助手は内心付け加える。
「それにしても君みたいな綺麗な子を一目見ればこの私が忘れるはずがないのだけれど」
それには助手も思わず首肯。
「元々、体が弱くて。寮に入れさせて貰っているのに、ほとんど休んでて」
「というと遠方から?」
「本当はそんなに遠く、は、ないんですけど……やっぱり体力的に、通学が──」
美人薄命。何とも不憫な話である。
更には変態教師にいじられている事実に同情しつつ、助手は本題を切り出す。
「まずは自己紹介から」
「あ、はい。一年〇組、出席番号一番、雨野あずさ、です。雨野は、雨霰の『雨』に、野晒しの『野』。あずさは、平仮名で『あずさ』です。部活はまだ決めれてなくて、たぶん……帰宅部」
最後は自信なさげに、尻すぼみになりながら雨野は答える。
と、ウツロイは口元に手を当てながら首を傾げた。コツコツとリズムを靴で刻みながら、
「雨野、あずさ…………聞いた事がない名前だね」
「へえ……珍しいですね」
「この学校の女子生徒の名前は全員把握しているつもりなのだけれど、恐らくは今まで私の授業を一度も受けた事がないんだろうさ。一年生なら全てのクラスを担当しているからね」
「す、すみません。私、先生の事も知らなくて……」
雨野は申し訳なさにいたたまれなくなり、小さな肩をより縮めた。
「いやいやお互いの事はこれを機会に少しずつ知っていけばいい話さ。なるほどねえ雨野くんの美貌が私の記憶にないのもつまりはそういう訳だ。そうだなんなら今から君の部屋に行ってここじゃあできないもっと具体的な相談に乗ってあげるのも私としてはやぶさかではないのだが、いかがだろうか?」
読んで字の如く、甘言である。
言いつつウツロイはすすすと女性的な身体を雨野へと寄せて、
「ええ、っと、その……」
何を想像したのか、雨野は困ったように顔を熟れた林檎へと上気させた。
それを好機と見たのか、ウツロイは凛々しくも口の端をだらしなく緩めながら雨野の肩に手を回そうと、
「先生」
本日二度目のお咎め。流石にうんざりとした顔色で。
するとウツロイは意外にもあっさり、やれやれと息を吐いて元のポジションに身を引いた。
「君は存外嫉妬深いタイプなんだねえ。そんなに私の事を思ってくれているとは──」
「いい加減話が進まないので黙っててくださいっ」
すんなり大人しくしてくれたかと思えばまた助手弄りに戻るウツロイに、少女はぴしゃり。
その反応がまた面白いようで、くつくつと笑う女教師。
奇妙な掛け合いにも関わらず不思議とそれが微笑ましい日常のようで、雨野は尊いものを見守るように目元を緩めては仄かに微笑んだ。
「それで、依頼の内容ですが」
「えっ? あっ、はい、ええと──」
と、見入ってしまった事に気付いて雨野は慌てて意識を戻して、
「なんというか、その、あまりにも非科学的で、私もまだどうなんだろうって思ってて、正直言ってお二人に信じてもらえるか分からないんですけど……」
そう念入りに前置きをしてから雨野は決心すると最後の言葉を絞り出した。
「出るんです……その、幽霊が…………」
……。
…………。
………………。
「…………………………はい?」