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廃棄世界に祝福を。  作者: 蒼月 かなた
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幕間 告げる言葉・後編 <後の話> ユリアスと幽霊

 「さて―― 少し話をしようか」


 寝息を立てるリゼの頬を撫でてから、 俺は前を向いた。 

 笑顔を浮かべて言ったのに、 場の空気が凍ったのは俺の目の色が紅く染まったからか。 自分が誰であったのかを自覚したお陰で、 少しずつではあるが魔族としての自分と折り合いがつけられるようになって来たと思う。 

 大分記憶が戻った今なら分かる。 ゼフィルの意識は緩やかに、 ユリアスに統合されていくだろう―― かつて記憶を取り戻した過去の俺達・・がそうであったように。

 それはゼフィルが消失すると言う事では無い。 俺は、 俺で―― ユリアスのままで―― ゼフィルでもある存在に変わるだけだ。 少し位は性格は変わるかもしれないが、 周囲に違和感を感じされるものでは無い筈だった。 だから、 今…… 目の色を変えて見せたのはワザとだな。 コレで何の話をしたいのか位は察してくれるだろう。

 しかしヴァイノスの顔色が悪いな……。 リゼと二人きりになれないように殺気を当ててたからまぁ―― その所為だとは思うんだが。


 「ワザと寝かせたの? 」


 呆れた様子でルカルドが言えば、 耐えきれなくなったらしいマイアスが苦悩の表情を浮かべてテーブルに顔を伏せた。


 「―― うぅ―― リゼ―― ごめん―― 」


 苦悩していた理由は簡単だ。 俺がリゼに盛る薬を寄こせと強請ねだったからだな。 マイアスには悪い事をしたとは思うが、 リゼにバレないように話をするのなら必要な事だったので大目に見て欲しい。

 事情を知らない連中の目が、 苦悶するマイアスに集中する。 どうしたのかと聞こうとするエイノルトを手で制して俺は口を開いた。


 「初めに言っておくと、 まぁ―― ちょっとリゼに聞かせたく無い話をするから、 マイアスに次の日に残らない薬を貰った―― 怒るなよ? 」


 「怒るだろ! 普通―― 」


 マイアスの事を怒るなと言ったつもりだったんだが、 ヴァイノスには「俺を怒るな」 と言ったように聞こえたらしい。 俺が今言ったのはマイアスの事だと言えば「そんなの当たり前じゃない」 とリカルドが。 どうせ威圧する位の事はしたんでしょ―― と言われ思わず目を逸らす。


 「しょうがないだろう。 リゼの情報収集能力は中々のものだしな。 リゼに気取られずにお前達だけに話すのには、 これが一番良いと判断した。 まぁ、 許せ」


 「…… 団長が一番謝らないといけない相手はリゼだと思うんだけど…… 」


 困った顔をしたガルヴにそう言われると、 流石の俺の良心が少し痛んだ。 善意の塊である人間に曇りの無い目でそう言われるのは、 キツイものはあるがまぁ―― しょうがない。


 「そうだな。 俺達に謝るよりはリゼに謝った方が良いんじゃないか? 」


 エイノルトにも重ねてそう言われて、 俺はもう苦笑する事しか出来なかった。 

 

 「確かにな。 明日気が付いたら謝っておく。 まぁ、 薬を盛ったって言い方は出来ないが―― 俺の酒を間違えて飲ませたと謝っておくさ」


 皆が納得した訳では無いのは分かったが、 それ以上を求められないと理解したのだろう。 リゼを眠らせた件でこの後も文句を言われる事はなさそうだった。


 「それで? そこまでして私達に話したい事って何だったの? 」


 しばしの沈黙の後―― 口火を切ったのはルカルドだった。 俺は少し姿勢を正して、 皆の顔を見た。 この世界のことわりとして人は死して輪廻の輪へ還ると信じられているとはいえ…… 「前世は魔族だった」 と―― 「リゼと夫婦だった」 と言うのには少し勇気がいった。

 何故なら、 輪廻を信じていたとしても皆が過去世の記憶を持つ訳では無い―― そういった事を研究している人種もいるが、 記憶を持った転生者は数が少ないと聞く。 こいつ等の事だから、 妄想の類だと笑われる事は無いだろうが―― それでも信じて貰えるだろうかと言う気持ちもあったのだ。


 「まずは、 俺の変化の説明と―― そうだな…… 正直どうなるか分からないが―― リゼに変化があった時―― もしくはリゼが何かに苦悩していたら、 助けてやって欲しいって事を…… だな―― それには、 その、 まぁ…… ややこしい俺達の事情ってヤツを説明しとくべきだろう? 」


 歯切れの悪い言い出しだった自覚はある。 現に何の事だとばかりに皆の顔に浮かんだのは困惑だったしな。 それでもリゼの事を想うのならば、 団員かぞくのような彼等に状況を説明しておくべきだと俺は思った訳だ。


 「後は―― 牽制したかったのもある。 流石にウチの団員を殺せないしな」


 「―― 鬼だろあんた―― 」


 俺がにこやかに笑って言ったら、 顔色の悪いヴァイノスが地の底から這い出す様な低い声で俺を睨んだ。 どうやら「殺せない」 の意味を正確に理解したらしい。


 「ははは。 自分が死ぬ幻でも見たか? 悪いな。 明日は邪魔しない―― 俺の話を聞いた後なら。 まぁ、 やり過ぎたとは思ってる。 悪いなヴァイノス―― まだちょっと制御が出来なかったんだ」


 制御できなかったのは嘘じゃない。 

 ヴァイノスの告白現場なんぞを見せられて、 正直ゼフィルが『よし、 殺そう』 みたいになってたからな。 それを押さえて幻だけで済ませたのだから感謝して欲しい。 お陰で物凄く疲れたしな。

 何の話か理解できていない連中に、 俺がヴァイノスに殺気を当ててリゼと話す隙を与えなかったという話をしたら、 エライ同情がヴァイノスに集まった。


 「そんな責めるように見るな。 俺にだって色々と事情ってものがあるんだ――…… まぁ…… 無駄話をしていてもしょうがないからハッキリ言うが、 リゼは俺の伴侶の生まれ変わりだ。 昔―― 俺が俺になる前―― 魔族だった頃の俺の―― 」


 いつまでもグダグダと肝心の部分を話さないでいる訳にもいかないので、 思いきって俺はそう話した。

 マイアスとヴァイノスがポカンと口を開けてこちらを見た。 エイノルトとルカルドは怪訝そうだ。 ガルヴの目は凪いでいて、 そこにはただ俺の話の続きを促すような気配があった。


 「その頃のリゼもゲーティア―― クラレス家の娘だった。 召喚の血が一時絶えたと思われた事があるのは知ってるな? その絶えたと思われた時期に生き残ったのがリゼだ。 その後、 黒の賢者によって連れて来られた娘がクラレスの家を復興させた―― その娘が、 俺とリゼの子になる」


 夫婦であった事を伝えるよりも、 娘の話をする方がどこか気恥ずかしかった。 ティアラ―― セトに委ねるしか無かった娘―― 出来ればもう少し傍に居てやりたかった。 けれどそれは遠い遠い―― 過去むかしの話だ。 


 「はぁ?! 」


 ヴァイノスが叫ぶように声を上げた。 他は驚いてはいるものの、 沈黙を守っている。 いや寧ろ声が出ないのかもしれないが……。


 「俺の昔の名はゼフィル―― リゼの昔の名はアリア―― と…… 」


 「――……っ 」


 アリアの名を出した瞬間―― ヴァイノスの目から涙が零れて驚いた。 当人も驚いたようだったが、 ルカルドが慌ててお絞りをヴァイノスに渡す。


 「えっ? ちょっと、 ヴァイ―― 泣くほどショックだった訳?? 」


 ヴァイノスは自分の意志に反して零れる涙に混乱したような声を出す―― 最初は言葉にならない声で、 戸惑い―― 苛立ちを露わにした。 どうやら、 止めどなく流れ落ちるそれは、 まったく制御が出来ないようだ。


 「違う―― 分からねぇ―― くそ―― 勝手に出て来る」


 グゥう―― と泣くのを堪えて呻く姿に、 何かを感じて俺はヴァイノスの方を見た。 俺の名には反応しなかった―― 反応したのはアリアの名にだ。 ならヴァイノスはアリアを―― まさか知っているのか?

 その瞬間、 脳裏に弾ける声があった。 魂の奥深く―― ゼフィルであった頃に聞いた声だ。


 『アリア―― アリア―― ありあ―― 』


 済まない、 済まないと男が泣く。 埃の積もった石の城―― 人の気配のない崩れた城で。

 あっという間に俺は記憶の波の中の住人になった。 薄暗い城の中をティアラを肩車しながら進んで行くのだ――。


 『領主館の―― 湖月城こすいじょうにある私の部屋にね、 家族の肖像画があったのだけれど―― 大きかったから持って来れなかったの』


 それが心残り―― そう言ったアリアに『いつか一緒に取りに行けば良い』 と約束したのはアリアが死ぬ少し前。 その約束を果たそうと、 幼い娘を連れて彼女の故郷へ一度だけ足を向けた。

 領主の館と言うには随分と大きな城―― 湖面に浮かぶように建てられたソレは、 かつての領主が自分こそがこの国の王として相応しいと、 言い切った心の現れであったかもしれない。

 肖像画はアリアの昔話に出てきたその場所にあった。 椅子に座る貴婦人とその横で微笑む少女―― 貴婦人は妊娠しているようで、 大きくなった腹を優しげな顔で撫でているようにも見えた。 後ろに立つ紳士の腕には幼い娘がいてニコニコと笑っている。 

 幸福な家族の肖像―― この絵が描かれた後にアリアの両親は事故で死んだ。 お腹の子は男の子であったらしい。 その話をするアリアがあまりにも寂しそうだったので、 そっと抱きしめたのがふいに思い出される。

 肖像画は確かに大きなものであったが、 老いたとは言え、 魔族である自分にとっては紙よりも軽い。 ティアラにしっかり掴まっているように告げて、 絵を外し歩き出した時だった。


 『かあしゃま―― 』


 『うん? どうしたティアラ』


 『かあしゃまを よんでるこえ、 するよ?』


 ティアラに言われて耳を澄ませば、 今まで聞こえなかった筈なのに―― 微かに聞こえる呼び声―― 『アリア―― アリア―― ありあ―― 』 誰も居ない筈のこの場所で身を切られる程の慟哭に満ちた声が聞こえた。

 妻の名に無視する事も出来ず―― 俺のアリアを呼ぶのが誰なのかと言う事も気になって、 そのまま声の主を探して歩いた。

 声の主が居たのは、 玉座としか言いようのない椅子が置いてある広間―― その玉座の前で陽炎のように揺らめく、 折れた剣を持った男が立っていた。 

 咽び泣く―― そうとしか言えない様子で……。


 『ティアラ』


 『う? おとーしゃ、 なぁに』


 『―― お父さんじゃ無い―― 何度も言うが、 俺はお前の祖父ちゃんだよ…… まぁ、 それは置いといて、 だ。 お母さんから貰った精霊の誰かを呼べるか? 』


 今すぐ死ぬ事は無いにしても、 寿命が近い為に俺の外見は老人のようで…… コレが父親だと言うのはティアラがあまりにも憐れだろうと、 ずっと祖父だと教えてきた。 けれど、 ティアラは時々俺を「父」 と呼ぶ事があった。 それを訂正してやりながら、 俺はティアラに精霊を呼ぶ事ができるかと聞く。

 陽炎のような男が所謂、 幽霊というヤツで、 透けてる癖にやけにリアルに血染めになっている所を見れば、 碌な死に方をしたのでは無いと予想がついたからだ。 

 幼い娘にこれを見せるのは刺激が強すぎる。 今はまだ劣化版での召喚しかできなくとも精霊は精霊。 俺が幽霊と話す間、 子守位はできると考えたのだ。


 『てぃーできうよ! れんちゅうちたの!! 』


 舌足らずな娘は自分の名前をまだちゃんと言えずに「てぃー」 になっていたけれど、 ティアラは目をキラキラさせて召喚の呪文を唱えた。

 母親を目の前で亡くした事は幼いティアラの心に傷を残した。 けれど、 その傷がティアラの力の成長に繋がったと言える。

 自分一人でも召喚が出来るように…… 拙くとも、 かつてアリアが教えた事を思い出しながらティアラは練習を重ねたのだ。 

 それは、 自分が精霊達を召喚出来ていれば…… 大好きな母親が死なずに済んだかもしれない―― という思いから来ているのは気付いていた。 

 もちろん、 ティアラの所為では無いと言い聞かせたけれども、 ティアラの悲しみを紛らわすものとして召喚の練習は許したのだ。 

 ポフっ―― と小さく煙を立てて現れたのは小さな精霊が二体。 まだティアラの力が安定していない為に、 アリアが召喚していた時に比べれば手の平で捻り潰せそうな小ささである。


 『大地と水の―― か。 急に呼び出させて悪いな―― アレと話して来る…… 暫く子守を頼みたい』


 『かまいませんわ。 主と共にいられる事は私達としても嬉しい事ですし』


 そう話すのは水を司る小さな白い蛇―― 大地の精霊の方は短足の灰色の熊だ。 もっともコロコロとした赤ちゃん熊にしか見えないが。

 コレが本来は色白の美人と大男だったと言っても誰も信じはしないだろう。 

 俺は精霊達にティアラを任せると幽霊の方へと歩を進めた。 予想通りと言うべきか、 この幽霊は袈裟がけに切られて殺されたらしい。 致命傷となった大きな傷はソレだが更に執拗に身体を刺されたようだった。 殺した相手の執念にゾッとする。


 『守れない―― もう―― アリア―― ありあ―― 済まない―― 』


 『それは、 俺の妻のアリアの事か―― 』


 咽び泣く男が、 ポカンとした顔で俺を見た。 初めて俺の存在に気がついたらしい。 例えるなら認識の知覚外にいた者が、 声を掛けるという行為で認識出来るようになったかのようだった。

 そんな幽霊に困惑した顔で『俺が―― 見えるのでしょうか―― 』 と呟かれる。


 『まぁ、 見えてるな。 だから話しかけている』


 『―― 妻と…… 言いましたか? 』


 呆けたように言う幽霊に俺は頷くと言葉を続けた。


 『この城にいたアリアが複数いるので無ければ』


 幽霊なのだから、 もっとずっと昔の人間であったかもしれないという考えも浮かんだが、 不思議とそれは無いように思えた。

 アリアに年の近い弟や兄は居ない。 ならばアリアの名を呼び咽び泣くこの男は、 彼女の事を好きだったのだろうと踏んで、 大人げ無くも「妻」 だと言った。 

 死んでもなお、 アリアを呼び続ける男に少しだけ苛々とした気持ちになったのもある。


 『聞かせて下さい―― 彼女はこの場所から逃げられましたか』


 それが一番の気がかりか―― まるで噛みつかんばかりの勢いで幽霊に問われ、 俺は再び頷いた。


 『あぁ。 ついでにお前を殺したのがベヘルツォークだったのなら、 ソイツは俺が殺したぞ』


 幽霊の手に握られた折れた剣が音を立てて落ちた。 落ちた傍から―― 殺された無念の一つが解消されたかのように大気に溶けて消えて行く――。 泣き笑いのような顔をして、 幽霊が震える唇を開く。

 暫く―― そうですか、 あぁ―― そうですか…… と囁いた後、 幽霊は俺の目を見つめた。


 『俺は、 彼女を守る事が出来ませんでした…… アリアは今、 幸せでいますか―― 』


 その言葉に、 俺の胸は引き裂かれそうに痛んだ。 自分の傍にアリアが居ない事を突き付けられたからだった。

 ティアラが居なければ、 それこそ俺はアリアの後を追っただろう。 半身を亡くして正気で居られたのは、 母を恋しがって泣くティアラを抱きしめていたからだ。 アリアが残した幼い娘を生かす事で、 俺もまた生きる事が出来たと言える。

 

 『アリアは―― 彼女は…… 娘を庇って死んだ。 守れなかったのは俺もだな』


 苦い砂を噛むように、 その言葉だけを吐きだした。

 あの日から、 何度も思う。 墓参りなんて今日で無くとも良いと―― もっと強く引きとめていれば良かったと―― いっそ、 無理を押しても俺が着いて行けば良かったと。 

 例えその場で俺が死んだとしても、 アリアとティアラを守れるのならその方がずっと良い。 いっそ、 この幽霊が俺の事を罵って責めてはくれないかと、 自嘲気味にそんな事を思った。


 『そう―― なのですか…… あぁ―― なら、 アリアは死ぬまで幸せでしたか……? 』 


 幽霊はボタボタと大粒の涙を零した。 デカイ図体をしている癖に、 随分と涙もろい男のようだ。 感情を素直に表す男が煩わしく、 そして妬ましかった。


 『どうだろうな。 少なくとも俺は幸せだった。 アリアが死んだ後―― 時折気配を感じる事がある―― もし、 輪廻の輪に還らず傍にいてくれているのなら、 少なくとも俺と娘を愛していたんだと思うぞ。 寧ろお前―― 幽霊なんだからアリアが俺とティアラの傍に居るかどうか分からないのか? 』


 『どうでしょう―― 正直、 幽霊といっても位相が違えば姿も声も聞こえませんからね』


 位相? と聞き返せば、 例えるのなら波長が合う位置にいなければ互いの姿は確認できないのだと言う。 壁に隔たれた隣室、 或いは階層の違う部屋のようなものだと男は言った。

 逆に少しでも合えば、 姿だけ見えたり声だけ聞こえたりする事もあるようだった。 それでもこちらの声が届くのかと言われれば―― それは相手の幽霊の精神状態次第で、 この城に多くいる幽霊は殺された時の感情のまま怒りに支配されていたり、 恐慌状態に陥っていたりして話ができる状態では無いのだとか。

 

 『なら何故―― 』


 『貴方もまた―― 心の中でアリアを呼んでいたからだと思いますよ? 』


 幽霊の言葉に俺は言葉を詰まらせた。 アリアの気配は感じる―― けれど彼女は俺の前に姿を現す事は無かった。 ティアラの前にもだ。

 だから俺は毎日アリアを呼んだ。 この男のように「アリア―― アリア―― ありあ―― 何処だ? 頼むから姿を見せてくれ」 と。


 『どうせなら、 お前じゃ無くアリアに出て来て欲しかった』


 『それは―― お互い様でしょうね。 彼女が幸福であったのなら、 アリアを失って悲しむ俺達とは違う位相に居るのでしょう……』 


 幽霊の言葉にそう言うものかと溜息が出た。 なら、 当分幽霊のアリアに会える事は無さそうだ。 何故ならアリアを失って俺の心は大量の血を流していたから……。


 『あの、 少し伺いたいのですが…… あそこで遊んでいる子はアリアの―― 』


 そう言って、 幽霊が視線を向けた先―― 精霊達に遊んで貰っているティアラを見る。 たどたどしく歩く俺とアリアの娘―― アリアに良く似た娘を。 

 俺が幽霊に頷いてやると、 『そうですか…… 』 とさも感慨深そうに―― 何処か懐かしそうに呟いた。


 『すぐに分かりました。 あの子はアリアの幼い時にそっくりだ』


 『可愛いだろう―― お前さんの声に最初に気がついたのはあの子だよ』


 互いに名乗りもしない、 ただ「アリア」 と言う共通点でのみ俺と会話をしてきた幽霊の…… その青白い顔に初めて喜びが浮かんだ。


 『貴方が羨ましい。 俺はアリアに伝えたい事も伝えられずに死にました―― 彼女の手を取って逃げる選択が出来たのなら…… 』


 或いはティアラは幽霊の子供であったかもしれない―― おそらくは、 そう言いたかったのだろう。 ―― 飲み込まれた言葉を俺は詮索しなかった。 それはあり得ない事であったし、 幽霊もそれを理解しているのが分かったからだ。


 『―― いえ、 言ってもどうしようも無い事ですね…… ふふ。 輪廻の円環に戻り―― いつかアリアと再び巡り合えたのなら、 次はちゃんと想いを伝えられるでしょうか』

 

 『―― アリアは未来永劫俺の妻だ』


 キラキラと光って円環に還りかけてるらしい魂の―― 来世での夢を壊すのも大概大人気無いとは思ったが、 そこだけは譲れない真実である。 

 唸るようにそう言えば、 どういう事かと問われたので『魂の伴侶』 の話をした。


 『―― ちょっと強欲すぎやしませんか? と言うか、 想いを伝える位の事は許して下さい』


 魔族は横暴だ―― と言われて目を瞠る。 まさか、 年老いて見えるであろう俺の事を魔族だと気が付かれているとは思わなかった。 だからだろうか? こんな爺ぃがアリアの夫だと言っても幽霊が不審がらなかったのは。 

 その幽霊に渋い顔をされたが、 夫の座は誰にも譲る気は無い。 ただまぁ―― 告白位なら―― 許すかも――…… 多分な。


 『言うだけなら―― な』


 『全然納得してはいないですよね』


 心が狭いな―― と呟かれたが、 大分譲歩した方だと思うんだがな。


 『おはなし、 おわった? 』


 とたとたとティアラが駆けて来る。 足取りは相変わらず心許ないが、 手助けはしない。 転ぶのもまた人生だ。 

 後、 俺がどれ位傍にいられるか分からない以上、 不必要に甘やかす事はしないようにと思ってる。 出来れば―― 後を託せる人間に出会うのを見届けたいが、 それまで生きて居られるかは誰にも分からない……。

 ティアラが来るに任せたのは、 幽霊の男の姿が生きていたであろう頃の綺麗なものに変わっていた事もあった。 無念さを滲ませる大量の傷跡と血はもう見えない。

 ティアラの足元で小さな熊と小さな蛇が、 首を傾げて男の頭上を見た。 精霊である彼等には俺よりももっと多くの事が見えているのかもしれない。 例えば、 輪廻の円環とか。


 『はじめまちて、 んと、 てぃーはね、 てぃーってゆーの』


 『初めまして小さなレディ。 私はステファン―― ステフと呼んで下さい。 今日は貴女に会えて良かった。 本当に―― 本当に良かった』


 守れなかったと―― きっと不幸な人生になっていると考えていたアリアの―― 彼女が幸福であったであろう証―― それがティアラだ。 少なくともこのステファンと言う男にとってはそうだろう。


 『すてふは、 もう いたいのない? 』


 心配するようにステファンを見上げるティアラに、 俺も彼も言葉を失った。 まさか遠目でもステファンの惨状に気が付いていたのだろうかと肝が冷える。


 『どうして―― そう思ったのかな』


 『だって、 てぃーのかぁしゃまよんでたの。 こえがね? すごくいたかったよ? 』


 ステファンの問いに答えたその言葉に、 俺は胸を撫で下ろす。 どうやら血だらけの状態に気が付いていた訳では無さそうだ。 

 対してステファンは泣き笑いの顔になった。 つくづく涙腺が弱いらしい。

 俺はティアラを抱き上げると、 ステファンが良く見えるように抱え直した。


 『まだいたい? 』


 泣きそうな顔になったティアラが、 小さな手をステファンに伸ばす。 


 『いいえ、 いいえ―― もう痛くは無いですよ。 有難う小さなレディ―― もう傷はありません。 凍えそうだった心も今は暖かです―― 』


 小さな手を包むようにしてステファンがそう言って空を見上げた。 そこにあるのは天井だった筈なのに、 それに重なるようにして青空が浮かぶ。 その青空の中心に、 眩しい程に光る太陽―― いや、 太陽のように輝く円環があった。 幻視―― そうとしか言いようのない不思議な光景。


 『いっちゃうの? 』


 『はい。 そうしないと、 永遠に会いたい人に会え無さそうですしね』


 ありがとう―― そう呟いてステファンは消えた。 太陽に溶かされる雪のように緩々と薄くなり、 黄金色の光が円環へと向かって昇ってゆく。 それは希望に満ちた旅立ちであるように見えた――。


 あぁ、 だからか。


 記憶の中から帰ってきて、 俺は目の前で涙を零すヴァイノスを見た。 思った以上に過去の記憶に没入していたらしい。 ヴァイノスの中で涙を零すステファンが見えた気がした。


 ―― 随分と性格が変わったものだな。


 あの涙もろく貴公子然としたステファンと、 粗野な雰囲気のヴァイノスが同一の魂を持っているのだとはとても思えたものじゃあ無いが―― 


 ―― が。 当人だろうなぁ。


 ヴァイノス自身がリゼへの恋心を自覚するよりも先に、 おそらくはステファンが彼女に告白をしたのだろう。 あの日、 夢見たそのままに想いを伝えたのだ。

 切っ掛けはおそらく――


 ―― 俺の気配の変化か。


 過去を知り、 リゼへの想いを自覚して俺は確かに変化した。 表面的な性格とかでは無く―― 魂的な所にある何かだ。 その所為で、 俺は人でありながら魔族の気配を発するものになった。 

 その上、 特に最初の頃はそれを制御できない状態であったのだから、 周囲に要らぬ刺激を与えたと思う。

 魂は、 輪廻し過去を忘れる―― 膨大な人生の記憶を持ったままでは、 多分生き難いからだろう。

 そして生まれて、 育った環境でステファンは今のヴァイノスになったのだ。 けれど、 その魂の奥底にはステファンだった部分が残っていて、 その刺激をもろに受けてあの無自覚というか――…… 混乱した告白になったのだろうと思われた。 俺が言うのもなんだが、 不憫な奴。


 「折角望みが叶ったんだ―― 泣く必要なんて無いと思うぞ? ステファン」


 呟きは、 ヴァイノスの耳には届かなかったようだった。 届いたとしても意味が通じるとも思わなかったけどな。 

 今度は、 拙くとも想いを告げられた事を知って喜ぶステファンの涙に、 俺は思っていたより暖かな気持ちになれた気がした。

 同じ、 一人の女を愛した同志―― 少なくとも、 俺のゼフィルであった部分はそう感じているらしい。 


 『それでも夫は俺だがな』


 そうだ。 そこを譲る気はまったく無い。 魔族は強欲に出来ている――。

 ヴァイノスの涙が止まるまで、 暫く時間がかかった。 だから、 俺がリゼが前世を思い出す事があるかもしれないと言う可能性と―― そうなった時にリゼが悩んだりするかもしれなかったり、 そのフォローをして欲しいと伝えるまでにはかなりの時間を要した。

 その後は、 泣いた事への恥ずかしさと、 訳のわからない喪失感や充足感―― そんな感じに混乱するヴァイノスを慰める会の様相を呈して来たので、 リゼを抱きかかえて店を後にする。 店には、 好きなだけ飲ませてやって欲しいと言っておいた。 会計は済ませて置くとルカルドに伝えておいたから、 後はアイツがどうにかする筈だ。

 リゼが歩けるのなら前の飲み会の時のように宿舎に戻っても良かったが、 この状態では無理だと判断して俺は近くの宿屋に部屋をとる事にした。

 疚しい気持ちは無い―― とまでは言わないが、 俺がソファででも寝れば良いと考えていたんだよな。 見事に無理だったが。

 ―― 結局リゼに手を掴まれて離れられないまま添い寝する破目になった。 本当にコイツは学ぶ気があるのかと言いたくなったが、 今回は俺が仕組んだ結果である。 しかも当人は熟睡中だしな…… この生殺しの状況は自業自得だ。 

 自制心と戦うのにも疲れた頃、 気が付けばリゼの温もりを感じて眠っていた。


 悪夢は見なかった。

 

 リゼの傍で寝たからか? それとも、 ゼフィルとの同化が進んで俺が変化したからだろうか。 

 悪夢より寧ろ何か懐かしい、 幸福だった頃の夢を見た気がした。 無意識にリゼの柔らかな身体を抱きしめて眠っていたらしく、 殴られるまで目が覚め無かった位だ。 

 目が覚めた時の充足感たるや、 一週間ぶっ続けで眠ったような気がしたし。 そして何より俺の腕の中で真っ赤になっているリゼは可愛らしく、 怒っているのを宥めるのも楽しいものだった。 

 ―― 俺の飲み物と間違えて渡した事を謝って、 連れて帰れない様子だったから宿をとった事を説明し―― 俺の手を握って離さなかったから一緒にベットに居るしか無く、 気が付いたら寝ていたと。 

 もちろん抱きしめていたのは不可抗力と言うヤツで、 寝惚けている事を装って、 しばし抱き心地を堪能したのは秘密だ。 

 手を握って離さなかったという所を強調して言えば、 リゼが何とも言えない困った顔をして、 それがまた可愛らしかったな。 抱きしめてキスでもしたい所だが、 それをしては不可抗力という主張が通らなくなりそうだったので断念する。 とても残念だ。

 その後―― 暫く、 俺を意識するリゼを見るのはとても楽しいものだった。 もっともっと俺の事を意識して、 俺の事を好きになれば良いと思う。 

 いつの世でも、 想い想われる幸福を噛みしめて俺はふと空を見上げた。 今日はあの日見た幻視の空のように澄んだ青空だ。 アイツにとってアリアがあれだけ大切な相手だったのなら、 アリアにとっても近しい友人だったのだろう。 なら―― 

 

 ―― いつかリゼがアリアだった頃の記憶を取り戻したのなら、 話せるだろうか―― お前を守ろうとして死んだ男が笑顔で円環に還った事を――。

 ユーリがリゼを眠らせて団員達に話した事をメインにしようと思ったら、 ヴァイさんが何でリゼにとっちらかった感じの告白をしたかの話になりました。

 最初はヴァイさんにも幽霊だった頃の自覚がある描写で書いていたのですが、 どうもしっくり来なかったのでこう言う形に。

 本当は、 別の幕間でセトとティアラが城に初めて来た時にヴァイさん(幽霊)を成仏させようと思っていたのですが。。。

 恋をちゃんと自覚する前に強制終了させられたヴァイさんですが、 そのうち良い事があると良いなぁと思ってます。

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