可愛い人
「あ……―― 」
囁くように吐きだされた声はエルナマリアさんのもの―― 横でナイアさんの息を飲む音が聞こえる……。 その頬は赤い。 先程ファーリンテ嬢に叩かれた後だろう。 その赤くなった頬の様子から、 ファーリンテ嬢が手では無く、 おそらくは手にしていた扇でナイアさんを叩いたのだろうと考えられた。
そのナイアさんに寄り添うように座っていたエルナマリアさんが震えながら立ち上がる。
「ルカ―― ルドさま…… 」
声で分かったのだろうか―― ううん違う。 私にはルドさんが扉を開けてエルナマリアさんの名を呼ぶ前に気が付いたように感じられた。
仮面を被った不審者としか思えない人物を見て、 エルナマリアさんはそれがルドさんだと気が付いた訳だ。
―― 脈は残ってそうだね、 ルドさん。
誰とも分からない格好を見て―― それがルドさんだと気が付いたのなら、 そこにルドさんへの愛情があるんじゃないかって思うのは私の勘違いだろうか。 ルドさんの気持ちを知ってる身としては、 勘違いなんかじゃ無いと思いたい。
「申し訳―― ありません。 私の所為です―― お詫びのしようも――…… 」
エルナマリアさんは今にも泣き出しそうな顔をして、 震える手を握りながら深々と頭を下げた。
ファーリンテ嬢が金髪碧眼の典型的な派手な美人であるのに対し、 エルナマリアさんは明るい灰色の髪に穏やかな新緑を思わせる瞳の色をした大人しそうな女性だった。 分厚い眼鏡を掛けているから気が付きにくいけれど、 十分に奇麗な女性だ。
笑えば、 春の日差しを思い起こさせそうな柔らかな雰囲気がある―― けれど、 罪悪感で震える今は凍りついたような顔になってしまってる訳だけど。
「全てが、 お前のせいだと? 」
「はい。 愚かな私が招いた事です」
ファーリンテ嬢が悪い事の全てを周囲の所為にするのであれば、 エルナマリアさんは反対に全てを自分の所為だと思うようだった。 まるで、 鏡写しのように正反対の性格だ。
だからだろうか。 エルナマリアさんは、 言い訳めいた事は一つも言ったりしなかった。 父の事も、 義妹の事も何も言わなかった。
「本当にそう思うのか? ―― いや、 良い……。 思ってるんだろうさ…… お前は本心からそう言える女だ―― クソ…… 本当は、 お前に会ったら言ってやりたい事が山ほどあったんだ」
いつもより荒々しい口調でそう言うと、 ルドさんは仮面を取って私に預けた。
エルナマリアさんを愛していると言う気持ちはある―― けれど、 今まで自分が置かれて来た状況を考えるのなら飲み込むには苦々しい感情もある―― 多分そう言った事なんだろうと思う。
例えば、 エルナマリアさんが身を引くと言う結論を出す前に、 どうしてルドさんに相談しなかったのか―― とかね。
エルナマリアさんがルドさんを諦めなければ違った未来があったろう。 ルドさんの事を考えて身を引くと言うのは愛がある故の美談のようにも見えるけれど、 ルドさんからすれば望んでもいない未来を押しつけられたようなものだ。
それが分かっているからこそ、 エルナマリアさんは過去の自分を「愚か」 であったと話すのだろうけど。
「俺を見ろ、 エルナ」
絞り出すようなルドさんの声に、 エルナマリアさんがバッと顔を上げた。 断罪を待つ罪人のように、 祈るように手を握り締めて。 泣きだしそうなのを堪えているのは、 加害者である自分が泣く権利等無いと思っているからか。
「エルナ、 君が悪いのか? エルナだけが?? 違うだろう。 俺にだって罪はある。 レラン伯の言葉を信じた事だ。 俺はエルナがどんな人間か知っていたのに…… 済まない―― エルナ…… 」
そう言って、 ルドさんはエルナマリアさんの前へと歩みを進めた。 気を利かせたナイアさんがそっと立ち上がって私の傍へとやって来る。
「辛かったな―― 」 ルドさんがそう言った途端、 エルナマリアさんは崩れるようにしゃがみ込んだ。 そのまま震える肩を見れば、 声も無く彼女が泣いているのが分かる。
ルドさんは、 そんなエルナマリアさんに寄り添ってそっと肩を抱きしめた。
「あ……―― あぁ! ルカルドさま、 ルカルドさま! ごめんなさい…… 私―― 私もそうです。 自分の出自を聞いて私絶望しました―― あなたの迷惑にだけはなりたく無くて―― 混乱したままに、 相談もせずに私―― ルカルドさまが出自で差別をしないと知っていたのに――…… 私は、 私は間違った事をしてしまった―― その後のルカルドさまの受難を思えば、 今貴方の目の前に立つ資格もないのに―― 私は…… 」
「し――っ 」
幼い子供をあやす様に、 ルドさんがエルナマリアさんの背を揺する。
顔を見るまで自分がどんな反応をするか分からないと言っていたルドさんだけど、 エルナマリアさんへの愛情が一番まさったのだろうと思う。
だって私から見えるルドさんの目に、 憎しみも怒りもありはしなかった。 咽び泣くエルナマリアさんを労わって、 守ろうとする意志しか感じられない。 愛おしいのだと全身で言っているようにしか見えないので、 邪魔者でしかない私は身の置き所に困ったほどだ。
そんな私の横で、 ナイアさんがポロポロと涙を零していた。
エルナマリアさんの傍で、 唯一彼女を案じ続けた女性。 だからこそ、 彼女の想いは計り知れないんじゃなかろうか。 まるで妹を心配する姉のようだ。
だから、 今ルドさんがエルナマリアさんとこうしてお互いを労わりあっている光景に涙が溢れたのだと思う。 だって、 ルドさんがエルナマリアさんを誤解してた時の反応だって見て知っていたんだしね。
「少しは落ち着いて来たか? 」
「えぇ、 済みませんルカルドさま―― お恥ずかしい所をお見せしました…… 」
我に返ったらしいエルナマリアさんが、 自分が抱きしめられるような体勢になっていた事に気が付いたらしい。 恥ずかしそうにルドさんから身を離した。
しきりに眼鏡の位置をなおしたり髪を弄っている様子から照れていると言うのが丸分かりで可愛らしい。
ここで照れるんだから、 やっぱり脈はあるよね! そう思って小さくガッツポーズをした時だった…… 視界の端に、 私の動く手が入ったんだろう…… エルナマリアさんがビクッと身を強張らせた。
ギギギ―― と音がしそうな様子でコチラを見て、 私とナイアさんに気が付く。
「――……っ! 」
その瞬間にこちらが驚く位に真っ赤になった。 どうやらルドさんしか目に入っていなかったらしいよ? けど今ので、 私の存在に気付いて―― ナイアさんの存在を思い出したらしい。
「おぁ―― お、 お、 おおお見苦しい所をお見せしましたぁ…… 」
エルナマリアさんはルドさんの袖を掴んで背後に隠れてしまった。 余程恥ずかしかったらしい。 エルナマリアさんのその様子にルドさんの顔が苦笑している。 けど、 目を見れば愛おしさがダダもれなので、 私としては御馳走サマとでも言うべきか。
ナイアさんと目線を合わせて思わず笑いあってしまった。 何と言っても、 エルナマリアさんの行動が可愛らしくて微笑ましい。
優しくて大人しそうな美人さんかと思ったけれど、 どちらかと言うと可愛い人のようだ。
私はルドさんに仮面を投げて渡すと、 しゃがみこんでいるエルナマリアさんの傍に片膝をついて仮面を少しだけずらした。
「初めまして、 リゼッタ・エンフィールドです」
「あ、 初めまして、 エルナマリアと申します―― 名乗るべき家名はありませんので、 母の名を使っております―― ですので、 エルナマリア・エルナリィアと」
「素敵なお名前ですね」
私の言葉にエルナマリアさんが、 ふにゃりと嬉しそうに微笑んだ。 家名が無いと言うのは身元が分からない「孤児」であると言う事。
エルナマリアさんの場合は身元が分からない訳では無いけれど、 亡くなったお母さんが実家から勘当されていたから、 その家名を名乗る事を憚ったのだと察せられた。
「有難うございます。 そしてご迷惑をお掛けしました。 見も知らずの女を助けて下さるなんて…… 感謝してもしきれはしません」
冷静さを取り戻したらしいエルナマリアさんは私の手を取ると、 額に押し抱いた。 今では使う人の方が少ない最上級の感謝の証――。 これを教えたのは多分お母さんだろう。 と言う事は、 エルナマリアさんの亡くなったお母さんの生家は、 古い血筋の家だったんだと思う。
それを見たルドさんが困ったような顔をしてから口を開く。
「リゼ相手ならそれは良いけど―― 外の連中にはする必要はないよ? 」
「外……? あぁ、 この塔だと狭いですものね……。 他の方は外に…… でも、 どうしてですか?? 」
「今は使われる事の少なくなった感謝の方法ですからね。 驚かせてしまうかも」
ルドさんの言葉に不思議そうな顔をしたエルナマリアさん。 そんな彼女に私はそういう風に話をした。
それだと「リゼ相手なら―― 」 って話したルドさんの言葉の説明にはならないんだけど、 どうやら納得してくれたみたい。
「つい癖でしてしまいましたけど、 確かに―― 今の時代だといきなり手を握るのは無作法ですよね」
「特に、 異性相手だと驚かれるかもしれませんね」
そう言ってルドさんを見ながら私はクスクスと笑った。 何の事は無い―― ルドさんが困った顔をしたのは、 エルナマリアさんが下に降りた時に感謝の気持ちを現わして、 自分以外の男の人の手を取る事が嫌だったからに過ぎない。 ようは独占欲だよね。
私がクスクスと笑ったのを見て、 珍しくルドさんが頬を赤くして目線を逸らせた。
「さて、 話は逃げた後でにしましょうか。 下の連中にも挨拶は不要です。 もし気になるようでしたら、 後日改めて」
「―― そうですね。 はい」
荷物はと聞いたら、 エルナマリアさんがゆったりとした夜着と首のストールを脱ぎ捨てた。 現れたのは教師が着ていそうな首まで覆ったカッチリとした服。
それと引き出しから髪止を取り出すとハッキリと口にした。
「私の物はこれだけです」
「私も、 必要な物はポケットに」
本当にコレだけ? と聞いたら、 借りものは必要ないとの事だった。 後、 驚いたのはナイアさん。
着ている侍女服、 どうやら布から自分で作ったらしい。 それこそ昔の習慣だ。 主は必要な分の布を渡して、 それで自分の服をあつらえる―― そう言った感じで仕事着から普段着まで昔の人は自分で作ってた。
男性や、 女性でも裁縫が苦手な人は、 仲間にお金を払って作って貰ったみたいだけれど。
それこそ今は既製品を買って与える家の方が多い。 けれど、 布から自分の物を作って貰う方が安上がりではあるから、 あまりお金に余裕の無い家や吝嗇家とかが今でも同じ方法を取っていると聞く。
ナイアさん曰く、 布代もお給金から引かれたらしいからレラン伯はケチの方かも。
あまりお金を持ってない訳でも無さそうなのに、 エルナマリアさんを嫁がせてお金を得ようとしていたり、 ファーリンテ嬢の服にはお金が掛かってそうなのに侍女服がこれじゃあね。
多分、 自分達にお金を使うのは良いけれど、 使用人にお金を掛けたく無い人なのかな。
自分にも厳しくて、 使用人にもって言うのならまだしも、 自分達は贅沢して使用人には―― て言うのはあまり褒められた事じゃない。 どうやら良い主では無さそうだ。 それは、 先程の護衛騎士のやる気のなさにも関係があるような気がした。
まぁ、 そんな話も今は関係が無いので置いておくとして。
「走れますか? 」
「大丈夫です」
ナイアさんとエルナマリアさんに仮面を渡しながらそう聞くと、 見せてくれた足元は走るのに最適なペタンコ靴。 逃げる準備は万端のようだ。
二人は用意をお願いしておいた黒いフード付きの外套を被ると、 仮面をつけて頷いた。
エルナマリアさんのフォローにはルドさんが、 ナイアさんのフォローには私が入る事になっている。 ペタンコ靴だとしても、 森の中は走り難いからね。
私とルドさんは頷きあうと、 仮面を被ってエルナマリアさんを閉じ込めていた塔を後にした。
取り敢えず、 救出(ほぼ)完了しました。 エルナマリアさんのルドさんへの反応も悪くはなさそう…… ですかね?
最終的には舞踏会を経て、 完全に救出が完了する予定です。
次回で舞踏会を行えたらとは思いますが、 時と場合によってはもう一話挟むかもしれません……。




