ほぼ自業自得だと思う
辺りに響くのは呻き声。 誰の? モチロン私達の。 マジドの葉を口に加えるのは久しぶりだけれども、 確かに死人が起きても可笑しく無いお味だ。
表皮の部分でも相当アレなのに、 噛みしめると痛みをもたらす成分が入った組織部分が潰れる為に、 もっと悲惨な事になる。
今だと舌が痺れて苦味が口の中に広がる位だけど、 噛んじゃうと、 エグミと辛みを通り越した痛みに。 さらに噛みしめた日には、 青臭い香りが広がり、 舌を刺す様な痛みに変わる。
何で知ってるかって? 幼いころ、 祖父ちゃんに噛めと言われて素直に噛んだからだ。 吐きだして悶絶した事は言うまでも無い。
抗議する私に、 「効果は身体で覚えとけ」 とだけ言った爺様―― 案の定、 夜は眠れず口の中は次の日も痺れたまんま。 流石に両親が祖父ちゃんに文句を言ってたっけ。
煙が充満する廊下を抜ける。 廊下には先程から壁に寄りかかるようにしてズリ落ちた侍女さんとか執事さんとかが転がっていた。 戦闘を回避するためとは言え、 少し申し訳無い気持ちになる。
この煙には、 モチロン後遺症とかが残るものでは無いから許して欲しい。
煙の中を駆けながら向かったのは裏口。 エルナマリアさんが監禁されている塔へは裏口からの方が近いからだ。
表の入り口とは違い、 使用人しか出入りしないソコはシンプルで目立たない扉だった。 外の気配を伺いながら、 扉を開けて全員外へ出る。 最後に出たガルヴさんがそっと扉を閉めると、 目配せしあって頷き、 闇夜の中を走り出した。
遠くに見えるのは、 ランタンの灯り。 見周りの人間が居るんだろう…… そちらの方には近寄らないようにする。
幸い行く先に灯りは見えない。 隠している娘の存在を知られたく無くて、 そちらの方には巡回が行かないようにしているのかもしれないけれど、 今は有難かった。
このまま接敵せずに済みそうかもと淡い期待を持ったのだけれど、 世の中はそんなに甘く無かったみたいだ。
近付いてくる草を掻き分けて走る足音と、 息遣い…… 目の前に現れたのは三匹の犬。
「ヴォン! ウォンッ! 」
犬の吠え声に遠くのランタンが揺れた。 何処で吠え声が聞こえたのか確認しようとしているみたいだ。
見周りをしている人間が来る前にこの犬を何とかしないといけない―― 出来れば殺したくはないけれど、 と皆に緊張が奔った時だった。
アスさんが、 皆を制するように手をヒラヒラさせると、 おもむろに前に出た。 威嚇する犬に怯みもせずに、 腰につけてたボディバックから香水瓶を取り出すと犬達の顔に何にやら吹きかける。
「ヒャンッ!! 」
「キュウン! 」
「キャン! 」
キュイン、 キュンキャンと鳴いて逃げるワンコ達。 皆の目が、 自然とアスさんの手元の香水瓶に集まった。 何て事が無い香水瓶にしか見えないし、 現状で何の匂いも感じない。
「鼻の利く動物―― 苦手な匂い。 暫く鼻利かないから、 追跡不能」
動物が苦手な匂いか…… どんな匂いなんだろう。 私には分からないから、 本当に鼻が利く動物だけに有効なんだろうなとは思ったけれど。 犬にとっては不幸な出来事だけれども、 怪我をさせたり、 死なせたりするような事にならなくて良かった。
「ナイス」
「これで犬は無力化できたわね」
少しだけ得意気なアスさんの肩をヴァイさんが軽く叩いた。 各々アスさんに声を掛けてから走りだす。 いつまでもこの場に留まって居られないしね。
「お前の薬の知識は凄いな。 頼りになる」
ユーリがそう言ってアスさんの肩を叩いて行った。 その言葉に、 一瞬驚いたような反応を示した後、 アスさんがギュっと香水瓶を握りしめて呟いた。
「はじめて―― 言われた」
仮面の所為で表情は分からないけど、 それでもアスさんが喜んでいるって事だけは分かった。
「嬉しい」
その様子を見て、 私も思わず顔が綻んだ。 子供みたいに全身で嬉しいって言ってるアスさんを見るのは微笑ましい。
前の場所では根暗で不気味―― 特に薬草を育てて収集している事が分かった後のアスさんは、 おとぎ話の中の悪い魔女みたいに言われてたようだったし……。 ユーリに頼りになるって言われた事がそんなアスさんの心にどう響いたかは想像に難くない。
もうすぐ、 頼んでいた薬棚も取りに行けるし、 そっちも喜んでくれるかな? 他にもアスさんにはこの件が終わったら頼みたい事があったりして…… 多分気に入って貰える話だと思うんだけど。
「アスさんの調合は凄く奇麗ですよ」
以前、 頼み込んで見せて貰った時の調合は奇麗だとしか言いようが無かった。 量りも使わず、 目測と―― 薬匙を持った手の感触だけで淀みなく粛々と調合をしていく様は何処か聖人めいて見えた。
「奇麗」 と表現するのに相応しいと思ったのだけれど、 アスさんにはキョトンとした顔をされてしまった。 まぁ、 調合が奇麗だって言われても、 調合している本人には分からないよね……。
私は「分からなくても良いです。 私が勝手に思ってるだけですし」 と言った後―― アスさんを促して駆けだした。
森の中を走り続ける―― この仮面が無ければこんなに走りやすい場所では無かっただろうその場所は、 木の根や石で意外とゴツゴツした場所だった。 石は、 本来は塔へと続く道として整備されていたものだろうと思われた。
けれど、 長い年月その道は放置されていたために、 周囲と同化し木の根に蹂躙されて今は道の役目を果たしては居ない。 道がこんな状態ならば、 塔は大丈夫なのだろうかと一抹の不安を覚えた時だった。
一気に視界が開けた。 森の真ん中―― そんな感じの場所にその塔は忽然と姿を現わした。
塔と言っても低いものだ。 三階程度の高さだろう。 周りの木々が手入れされていない為に伸び放題になっているから塔の上部は木々に翳っているけれど、 おそらくこの塔は星見をする為に作られたんじゃないかな。
何故なら、 塔の入り口の黒鉄製の門扉の上には、 星を象ったレリーフがあるからだ。 星見の塔に多く見られる意匠なんだよね。
星を観測する為の場所だから、 屋敷から離れた灯りの届かない森の中に作ったのだと思う。
「ここに…… 」
ルドさんがそう呟いて上を見上げた。
最上階の硬く閉ざされた鎧戸の隙間から零れ出る明かり。 今そこにはエルナマリアさんとナイアさんが居るはずだ。
誰もが無言だった。 そんな中、 ルドさんが扉に手を掛ける。 重そうなその扉は、 まるで幽霊の声みたいな音を上げて開いた。
石畳の道に比べればマシだけれど、 古い上に手入れもおざなりだったのだろう石壁はくすんでいて所々欠けているのさえある。 触れた感じ今すぐ倒壊するような事も無さそうだけれども、 普通は自分の娘を置いておきたいとも思わないだろう。
それは、 レラン伯にとってエルナマリアさんは自分の娘―― というよりも、 使えそうな道具でしか無いのだと言う事を言外に知らせているようなものだった。
そのあからさまな意思表示に腹が立つ。 非嫡出子だとしても自分の娘だろうに……。 流石は、 自分の娘を妊娠したエルナマリアさんのお母さんを捨てただけの事はあるなと思ってしまった。
「一人で行くか? 」
そのユーリの問いかけに、 ルドさんが苦笑したような気配を出した。
「そう言えれば良いんでしょうけどね…… そこまでの勇気はまだ出せないわね」
顔を見たら、 自分がどんな反応をするのか正直分からないのだとルドさんは言う。 愛情しか感じないのか、 怒りが出るのか―― 恨み事を言ってしまうのか、 と―― 実際にこの場に来た事で不安に思っているようだった。
「なら、 リゼ―― 一緒に行ってやってくれ。 この大人数で押しかければ、 驚かせてしまうかもしれないしな…… 俺達はその辺に隠れてるから」
ルドさんと一緒に行くのは同性である私の方が威圧感が無いだろうからと言われて私は頷いた。 意を決したように深呼吸してから進むルドさんの後に続いて階段を上る。 二階を過ぎ、 三階の扉の前に着いた時だった。 その扉を開けようとして伸ばしたルドさんの手が止まる――。
『せっかく、 貴女の婚約者が来て下さるって言ってたのに具合が悪いだなんて、 なんて失礼なのかしら』
聞こえてきたのは女性の声だ。 その声に、 『お嬢様、 エルナマリア様はまだ婚約者では―― 』
と言うナイアさんの声が聞こえた。
どうやら、 ガート男爵が来る事になっていたようだ。 おそらくエルナマリアさんは、 その訪問を仮病を使って断ったのだろうと思う。
『黙りなさいっ! 侍女の分際で!! 不遜だわ。 婚姻する事実は変わらないのだから良いのよ! 』
その言葉の後にバシッと何かを叩く音―― 『ナイアっ! 』 と叫ぶ女性の声―― それから、『大丈夫です―― エルナマリア様――…… 申し訳ありませんお嬢様―― 差し出がましい事を申し上げました…… お許しください―― 』 と話すナイアさんの声が続く。
ナイアさんを案じるように上がった悲鳴のような声がエルナマリアさん―― なら、 この性格の悪そうなとしか言いようの無い声がファーリンテ嬢なのだろう。
『分かれば良いのよ。 使用人風情が主に口出しするのなんて本当に躾がなってなくて困るわ。 やっぱり混じりモノと接していると、 主が誰だか分からなくなるのかしら? 』
『―― そんな…… 言い方―― 』
『お黙りなさいな。 貴女みたいな冴えない女と血が繋がってると思うと、 気持ちが悪くてしょうがないわ―― 本当に、 何で産まれてきたりしたのかしら。 このレラン伯爵家にとって汚点でしかないのよ?? それを、 温情でここに置いてあげている上に、 優しいこの私が―― 貴女みたいな汚れた女にも嫁ぎ先を用意してあげたというのに…… 貴女は有難うございますと泣いて這いつくばって、 私にお礼を言うべきなの。 それをどの口で私に文句を言おうなんて思うのかしら? それとも、 この侍女を罰すれば自分の立場が分かるのかしらね?? 貴女には自分が罰せられるよりも、 その方が効果的そうだし…… 』
やめて―― 部屋の中からエルナマリアさんの悲鳴が零れる。 二度三度、 何かを叩くような音が聞こえた。 おそらくはファーリンテ嬢がナイアさんを叩いた音だろう。 けれど、 ナイアさんの悲鳴はカケラも聞こえなかった……。 ナイアさんはきっと、 エルナマリアさんに余計な心配を掛けないように声を出さなかったのだと思う。
私は、 今にも飛び込んでファーリンテ嬢を殴りそうなルドさんを必死に止めた。
声はしなくとも、 ファーリンテ嬢が一人でこの塔に来るとは思えないし。 現に部屋の中には三人以外にも気配はあった。
ルドさんは青褪めた顔で、 扉を―― その奥に居るであろうファーリンテ嬢を睨みつけているようだった。 握り拳が力が入っている為に白くなっている……。
『いい顔―― 心が晴れるわぁ。 貴女の苦しむ顔って好きよ。 まったく、 早く貴女には嫁いで貰いたいものだわ。 そうすれば、 私の心も穏やかになると思うの。 それにね、 ルカルド様も目が覚めるだろうし。 だって、 貴女がお金目当てにガート男爵みたいな俗物に嫁いだって教えて差し上げれば、 ね? ついでに事故で貴女が儚くなってくれれば本当に言う事ないわ』
クスクスと楽しそうな笑い声が聞こえた。
事故―― 仮にも血が繋がった義姉に、 ファーリンテ嬢はガート男爵の前妻達のように死ねば良いと言ったのだ。
あぁ――
ファーリンテ嬢はエルナマリアさんを憎んでいる。
それは自分の父親が若い時に犯した過ちの結果がエルナマリアさんであるからであり、 自分の好きな人とそんな義姉が恋人であったからかもしれない。
そして何より、 その恋人達を引き裂いたのにルドさんが手に入らず、 自分が傷モノとして縁談が無くなった事も影響しているのであろう。
私からすれば、 ほぼ自業自得だと思うんだけど……。 多分、 ファーリンテ嬢の中では、 悪い事は全部人の所為なんだろうなと思った。 この場合はエルナマリアさん。 エルナマリアさんさえ居なくなれば、 自分は幸せになれるって思ってるんじゃないかな?
それにしても、 この期に及んでルドさんを諦めて無いのか……。 ある意味凄い執念だな。
ルドさんが、 エルナマリアさんに対する誤解を解いて無かったとしても、 ファーリンテ嬢にルドさんが惹かれる事は絶対に無いのにね。
だって、 卑怯な手段でルドさんを悪者に仕立て上げた相手を、 どうしてルドさんが好きになると言うのか。 そこに気が付かないで思い込みで動くファーリンテ嬢はどこか滑稽で憐れでもあった。
まぁでも被害状況が、 可愛いものじゃ無いから滑稽だとか言ってられないんだけどね。 自分の事だけが大切で、 他はどうでも良いんだろうな……。 多分、 父親でさえも。
何故かって? だって、 父親の事―― ひいては家の事を考えるのなら、 ルドさんにチョッカイを出さずに大人しく婚約者と結婚すべきだ。 婚約者が嫌になったんだとしても、 穏便に婚約を解消する方法なんて幾らでもあったはずだし。
それなのにあんな問題を起して、 家名を傷付けた。 父親や家の事を考えたなら、 とても出来ない行動だ。 だから、 ファーリンテ嬢は自分しか愛せない人間なんだと思う。
ルドさんの事も、 振られたから執着してるようにも見えるんだよね。 「私を受け入れないなんてオカシイ」 みたいな感じ……。 まぁ、 私が感じてるだけで実際は分からないけれど。
『まぁ良いわ…… お前、 さっさとこの女の病気を治しなさいな。 次にガート男爵が来る時に会えないとか言うようなら、 犬をけしかけてやるわよ? 良いわね?? 明日までに治しておきなさい』
『お嬢様の仰せのままに―― 』
出て来る気配に、 隠れられそうな場所を探した。 階段の横に小部屋でもあれば助かったんだけれど、 そんなものはありはしない。
ルドさんに肩を叩かれ横を見れば、 天井を指さされていたので視線を向ける。
助かった! 石造りの塔ではあるけれど、 木製の立派な梁がある。 私はルドさんに頷くと、 その肩を借りて素早く梁の上へ。 それからルドさんに手を貸す。
丁度梁の上に登り切った所で扉が開いた。 上がった際に埃を落としてしまったから、 内心ドキドキしたんだけど、 どうやら気が付かれなかったようだ。
最初に出てきたのは女。 侍女の格好をしているけれどナイアさんじゃない。 それからドレスを着た奇麗な顔の娘―― これがファーリンテ嬢だろう。 美人さんなんだけどなぁ。 性格がコレじゃ残念でしか無い。
最後に、 軽装ではあるけれど武装した騎士。 コイツはちょっと気が緩み過ぎだ。 いかにもダルイと言う感じで扉を閉めてるし。
幾ら、 気配を隠してるとは言え、 扉の外でルドさんが殺気を膨らませた時とか、 私達が慌てて梁の上にあがった気配とか気が付いても良さそうなポイントは何度かあった。 それに気が付かないとか護衛として職務怠慢だと思う。 けれど、 そのお陰でバレずに済んだんだから、 逆に感謝すべきなのかもしれない。
護衛の騎士が扉を閉めると、 侍女さんが扉に鍵を掛けた。 そうしてランタンを掲げるとファーリンテ嬢の手を取り先導しながら降りて行く……。 その後に面倒くさそうな顔をした騎士が続いた。
気配と足音が遠くなった頃、 私は一つ安堵の息を吐いてルドさんと下に降りた。
あの様子じゃあ屋敷に辿りつくのには時間がかかるだろう……。
『ごめんなさい―― ナイア…… 私の所為で…… 』
『エルナマリアさま、 そんな顔しないで下さい。 こんなの痛くもありません。 本当ですよ? 死んだ私の父のゲンコツの方がなんぼか痛いですもの。 ふふ。 目から火花が出るんです』
心配するエルナマリアさんの声と、 敢えて明るく話すナイアさんの声が聞こえた。
ルドさんは怒ったような顔をして荒々しくノブを掴むと、 ナイアさんから預かった鍵で作った合鍵で扉を開けた。
「エルナマリア」
緊張した厳しい声が部屋の中に響く。 私にはルドさんの背中しか見えないから、 今どんな顔をしているのかは分からない。
このタイミングで私達が来るとは思って無かったのだろう。 簡素な部屋の中には、 茫然とした様子のエルナマリアさんとナイアさんの姿が見えた。
悩みましたが、 白雪視点の幕間はエルナマリアさんの件が解決してから入れる事にしました。
これからの更新は文章が短めになるかもしれません……。 宜しくお願い致します。




