幕間 『ありあ』
ドクン ドクン
まず聞こえたのは自分の心臓の音―― 見た事も無い花畑だ―― 必死で何か大切な者を探していた気がする―― 焦燥感と、 不安―― 絶望に近い哀しみ―― そんな中で出会った人――。
『誰だ』
『―― っ …… 』
精悍な顔つきの男性だ。 灰色が混ざった黒髪に赤い紅玉のような瞳―― 少しだけ尖った耳が、 彼が魔族であると言う事を教えてくれる。
訳も分からず私の心臓がきゅうっとなる。 『ナニコレ』 と混乱する私を置いておいて、 私の手が早鐘を打つ胸を抑えた。
『あ、 私―― は、 アリア―― アリア・イシュカ・クラレス…… あの、 貴方は―― 』
『…… ゼフィル・エル・ノア・ヴァレンティア』
私の意思とは別に唇から紡がれた声に驚いた。 私の声じゃない――? 突風が吹き、 二人の間を花びらが散る。 慌てて抑えた長い髪は金色で――
「夢? 」
目が覚めてみれば見慣れた天井で、 私は安堵の息を吐いた。
月明かりに透かして見る私の髪の色はいつもの黒っぽいこげ茶だ―― 何とも言えない気分になる。 『アリア』 そう名乗ったその人―― あの心臓を締めつけるような気持ちは、 自分が感じたものか…… 彼女が感じたものか……。 そう思う位、 私は彼女と一つになっていた。
「ありあ」
最近どこかで聞いた名だ。
「ユーリが言ってた? 」
そう呟いて、 やけに室内が静かな事に気が付く。 そう言えば、 リィオにはお使いを頼んだんだっけか…… 情報収集をマルチナさんにお願いするのと、 この所実家に手紙も出せてなかったから―― 届けて貰う事をお願いした。 ルカはあの後、 気が付いたら居なかったし、 クロはルドさんの所でシェスカも同様だ。
落ち込み具合が酷かったシェスカは、 『静かにしてるから、 クロの傍にいたい』 と言ってルドさんの部屋に行ったんだよね。 クロから精神をノックされて繋げば、 『シェスカが大人しいというか―― 変だ。 リゼ』 と慌てた様子で言ってきたのを思い出す。 『落ち込んでるから、 傍に居てあげて』 とだけ言っておいた。 クロは最後まで心配そうだったけどね。
そんな事を思い出していたら、 部屋に人の気配を感じでぎょっとする―― 慌てて、 身を起こせばベットから少しだけ離れた場所にユーリが立っていた。
「ゆ、 ユーリ? 何で私の部屋に…… 」
「…… 」
夜寝れないはずのユーリが、 寝ぼけてる? どうやって入って来たのだろう―― 亡羊とした顔からは感情が伺えない。 まるで『ありあ』 と呟いたあの時みたいだ……。
ベットから起き上がってユーリの傍へと近付く。
「ユーリ? ねぇ大丈夫ですか…… もしかして、 立ったまま寝てます? 起きて下さい―― ユーリってば! 」
声を掛けても起きないユーリに手を伸ばした時だった。 その手を掴まれて押し倒される。
そのまま、 有無を言わせぬ力で抑えつけられて口づけられた。
「ふ?! んん――っ! 」
舌を突っ込まれて蹂躙される。 何が何だか分からないままに混乱している私を余所に、 一通り堪能したらしいユーリが唇を離した。
薄い緑色の瞳のはずのユーリの目が―― 赤い。 まるで紅玉のようなその色に夢の中の男を思い出す。
「ありあ―― 」
あり得ない程の色気を滲ませて、 囁くユーリに泣きたくなった。 私にキスしたくせに! 呼ぶのが別の女の名前って何? 訳も分からず泣きたくなって―― ううん。 正直に言えば少し泣いていたと思う。
「―― ありあ。 可愛い」
「私は、 アリアじゃな―― 」
その言葉は結局最後まで言えなかった。 さっきよりも深くキスされて、 呼吸もままならない。
圧し掛かる身体は重たくて、 「アリア」 ありあと囁かれるのは、 私にとってただの拷問でしかない。
蹴りあげようとする足はユーリの足に絡め取られて動かせずに、 蹂躙されるしかない心では涙を流す事しか出来ない。 惨めで、 ―― 悔しい。
「何故泣く―― ありあ」
「っ―― 私はリゼッタです! アリアじゃ―― ないっ! 」
「いいや。 お前はありあだ。 俺だけの、 女だ」
私の涙を指で拭いながら、 蕩けるようにそう囁いて―― ふ、 とユーリの目が翳る。 赤かった目がいつも通りの薄緑に変化して…… そのまま私の上に崩れ落ちた。
ユーリの重たい身体を、 必死になって私の上から転がせて落す。 どける時に腕でも捻ったのか、 痛そうな呻き声が聞こえたけれど知った事じゃない。
「アリアって誰さ」
ポロポロと零れる涙を手で拭いながら、 幸せそうな顔をして眠るユーリを見つめる。
そこで思い出したのはアリア・イシュカ・クラレスと言う名と、 ゼフィル・エル・ノア・ヴァレンティアと言う名だ。 夢の中で出て来た二人―― そのクラレスは私が連なるもう一つの名だ。 そしてヴァレンティア―― セト様の名であるそれは、 現魔王の血族を現わす。
セト様の目は私と同じ深緑だけれど、 確か魔王は赤い目をしていると聞いたことがあった。 セト様に聞いたらゼフィルと名乗った人の事が分かるかもしれない……。
けれど、 何となく―― 二人は昔の人では無いかと思う。 あの、 突風が吹いた時、 抑える髪の間から見えた彼女のボロボロになった服が、 随分昔の意匠に見えたから。
「ねぇ、 ユーリ…… どうして私をアリアって呼んだの」
答える声はもちろん無い。 それにあのユーリは、 リィオが言ったようにユーリじゃ無かった。 そう例えば、 ゼフィルと名乗ったあの男のような……。 私は浮かんだ考えを、 そんなはずは無いと頭を振って否定する。
アリアと呼ばれてキスされただけなのに、 私は自分でも驚く位に傷ついていた。 だってアレは恋人とかそういう人にするキスだった。
ユーリじゃないと思っても、 その身体はユーリのもので…… その顔とその声で別の女の名前を呼ばれてキスされる―― 惨めでしかない。
「私の名前―― リゼッタだよ…… ねぇ、 ユーリ」
その名で呼んでよ―― そう無意識に呟いて、 愕然とした。 震える手で、 唇に触れてユーリを見る。 呼ばれたかったの? 私はユーリにリゼって。 私の名を呼んでキスされたのなら―― こんなに傷つかなかった? ねぇ―― それは……。
「馬鹿だ―― 私」
何度も何度も気付かない方が良いと、 自分に言い聞かせてたはずなのに。 結局こんな所で自覚してしまった……。 結局のところ―― 私はユーリが好きなのだ。 友達とかじゃない異性として。
けど私に証がある限り、 それは許されることの無い感情だ。
ケイオスかクレフィス…… 将来夫になるだろうはずの二人を思い浮かべる。 二人のうちのどちらかと結婚する事が、 当代のゲーティアと結んだ契約。 両親と弟達をそっとしておいて貰う条件で―― だから、 この恋が成就するなんて事ありはしないのだ。
「本当に馬鹿」
サラサラのユーリの髪を撫でる。 夜は悪夢を見るから寝ないと言っていたはずのユーリが、 穏やかな顔をしているのをただ見ていた。
「…… ふふ」
何か楽しい夢を見ているのだろうか…… 笑みを零したユーリの口元を見て。 この唇が、 私に触れたのだと哀しくなった。 医療行為と言い聞かせた―― あの時の口付けとはまったく違う行為に腹も立つ。
さっきのキスがなければ、 私はまだ気が付かない振りをしていられた。 無知な振りをして、 ユーリの為の約束を守るんだって言っていられた。 けど、 なんの事はない。
私は好きな人を助けたかっただけだ。 ユーリの為に、 約束の為にと言いながら、 ユーリの傍に――
「ただ、 居たかっただけ…… 」
初恋の王子様―― リアが言った言葉を思い出す。 それから、 『自分の気持ちに鈍感』 と言われた事も。 私はいつからユーリが好きだったんだろう。
初めて会った時? それとも木の上で友達だと言った時――? リアにはそれが分かってたんだ……。 私が気が付かなかったこの気持ちを。
気絶するように意識を失ったから…… きっと、 ユーリは覚えていないだろう。 私にあんな口付けをした事を。 覚えていない方が良い。 私はこの気持ちを殺すから……
ユーリの傍で、 副団長をするのならこの気持ちは要らないものだ。 だってそうしなければ、 苦しくなる。 傍に居たいのなら、 ユーリに愛する人が出来た時―― 笑顔でいられるように、 祝福できるようにならなければならない。
まるで恋人みたいなキス。 ―― 例え私に対するキスじゃなかったのだとしても…… 私だけは覚えておこう。 胸の奥にそっとしまって死ぬまできっと忘れない。
リゼ、 恋心自覚―― 予定外の所からこんな感じになりましたが。
表面上は今までどおりになるように、 行動するんだろうなぁと思います。 難儀な子……。
次の幕間はユーリとセト様回。 セリフだけが、 先行して出て来ているので書きとめている最中です。 投稿するのはもう少し先になるかと。 中々本編を進められず申し訳ありません。
本編に影響がある話でも無いですが、 今回出てきたゼフィルが少し出て来る話、 『魔王様と侍女 ー魔王になった日ー』 を先日UPしました。 男(ヤロ―)しか出てきませんが(汗)、 恋愛要素も皆無レベルですが、 実はブラコンなゼフィルが見れます(?) 要らない方はそのままスルーで、 興味を持っていただけたら『魔王様と侍女』 ページからシリーズに飛んで頂くか、 そのものズバリのタイトル検索をかけて頂ければ出てきますので、 宜しくお願いします。




