今できる事をしておこうか。
侍女さんに来てもらう事になったのは、 浮島から帰った二日後で――。
目立たない方が良いだろうと彼女の休日を調べてルカに迎えに行って貰った。 もし、 今日が無理なら―― 大丈夫な日を言づけてもらって来て欲しいとルカに頼み込んで。
それにムクレたのがリィオで…… だって見知らぬ屋敷の庭に居るなら、 猫の方が目立たないから―― という私の言葉に余計に不貞腐れてベットの下に潜り込んでいる。
このところ、 仕事中も休日も構ってあげられて無かったからね…… 最終的には『僕と飛竜どっちが大事なの! 』 と訳の分からない事を言われる始末。
そういう比較をするのなら、 様々な条件が一緒でないと答えられない。
良く、 世の奥様方が「仕事と私―― どっちが大事なの! 」 って言う話を聞くけれど―― どっちも大事だよ? どちらも必要でしょ?? って昔言ったら、 リアに怒られた。 リア曰く、 私は女心を理解してないらしい。 ―― だから、 まだ『女』 じゃないとか言われるのかな。 まあしょうがないよね。 そうとしか思えないんだもん。
だけどね―― 失敗したとは思ってる。
何を失敗したかと言うと…… リィオに「え? どっちも大切だけど」 って思わず言った訳ですよ。 結果、 シェスカにも怒られた…… 『リゼ…… 言いたくはないけど、 今の答えは悪手だわ。 理屈じゃないのよ―― リィオが言いたかった事は』 冷やかな笑顔でそう言われて、 理屈じゃ無い所が良く分からなかったんだけど、 反省しなきゃいけない事がある事だけは理解できた。 『え? 俺的にはリゼの方が正しいと思うぞ? 』 私ですら空気を読んだのに、 シェスカの後にそう言ったクロは無言で威圧されて黙りこむ。 その後、 滾々と諭されました。
『良く聞いて? 理屈じゃないの。 感情なのよ。 どちらも大切だなんて言う、 当たり前の状況を言って欲しい訳じゃないの…… より、 自分の方が大切だって言って欲しいのよ。 寂しいの。 自分に関心が無くなってしまったのじゃないかって不安なの。 そ れ を 『どっちも大切だけど――? 分かり切った事を聞かないでよ』 って態度が腹立つのだわ』
クロが加勢してくれたおかげでシェスカさんがヒートアップした気がするのは私の勘違いじゃないと思う。 クロ―― シェスカに何したの? と目で聞けば、 プルプルと首を振るクロさん―― あぁ、 駄目だ…… 何かやらかしてる事自体に気付いて無いっぽい……。 その様子をシェスカが見逃すはずもなく―― 確実にお説教の時間が増えたと思う……。 ルカが出ててくれて助かった―― いたらお腹を抱えて笑ってる事だろう……。
後日、 目撃者のルカから聞いて分かった事だけど、 好物の肉の塊にテンションマックスのクロにシェスカが、 『クロは肉と私どっちが好き? 』 ってヤツを珍しくモジモジしながら言ってたそうで―― 脳内が肉一色になってたクロが即答で『肉だな! 』 と言った事が原因だそうです。
しかも、 食べるのに夢中でその会話を覚えてなかったらしい―― クロ…… 流石に私もどうかと思う。 確かにシェスカも肉と自分を比較するのはどうなの? って個人的には思うけど、 百歩譲って何話したか位は覚えておいてあげて欲しい。 シェスカにしては頑張って聞いたと思うんだよソレ。
まぁ、 そんな感じのやり取りがあった訳ですが。 感情って難しいという教訓を得ました……。
それで今いる場所は宿舎にある会議室。 ルドさん以外の団員はユーリ主導の元―― 外回りと言う名の、 飛竜の寝床に必要な藁やその他諸々を買い出しに行って貰っている。 鞍もなけりゃ―― 手綱すらなかったんだよねぇ。 皆が来た頃にはもう無かったらしいからもっと前にいた誰かが酒代にでも変えたんだろう。
そして私とルドさんは、 団長の部屋の資料の整理という名目で残ってる訳です。 団長の部屋の片付けなのにユーリが居ないのは変だって? 大丈夫。 ユーリは自分の部屋の片付けが下手だから。 いられると邪魔だって追い出した事になっている。
執務室とかは奇麗にしてるのに何でだろう。 というか、 大切な資料を自室に持ち込まないで欲しいんだけど。 ユーリの部屋は後日…… 私が一緒に片付ける事になっていた。
ユーリが宿舎に居られるようになったのは嬉しいけれど、 眠れぬ夜のおともに資料をベットで読んでるらしい。 おかげで必要な資料がすぐに行方不明になって困るんだよね。 団長がコレじゃ団員に示しもつかないし、 これを機会に片付けられるようになって貰おうと思ってますよ。
流石に、 団長の部屋に侍女さんを入れる訳にはいかないのでここは会議室―― 人の気配を感じて暫くした後そのドアがノックされた。
「どうぞ―― 」
「―― あの…… まずはお話を聞いて頂けるそうで、 有難うございます…… 本当に―― ほんとに――っ 」
ルカに裏口から案内されてこの部屋にやって来た彼女は、 部屋に入るなりルドさんを見てそう言うと感きわまったように泣き崩れた。 正直、 挨拶より先にいきなり泣かれると思わなかったので、 慌ててしまう。
「もう―― し訳っ ありませんっ! お見苦しい所をお見せしてしまって…… 」
ルドさんは、 泣き落とし作戦と警戒したのか不機嫌そうになるし…… 私としては放っておけないので侍女さんの傍に寄るとハンカチを差し出した。 済みません、 スミマセンと何度も何度も謝る彼女は泣き落としをしようとしているようには見えなかったのだけれども、 流石に何度もスミマセンと言われると、 こちらが何か悪い事をしているような気分になって来てしまう。
「謝りに来ただけなのなら、 あたし帰りたいんだけど。 それとも、 泣き落としにでもしに来た訳? 」
ルドさんが、 イライラとした様子でそう言えば、 侍女さんは慌てて首を振ると青褪めた顔をして唇を引き結んだ。 口元がブルブルと震えている…… 謝罪の言葉を出さないように口を引き結んでいるらしい。 後は、 泣き声を出さない為か。 目元の涙が零れないように頑張っているけれど―― 顔色が……
「ヒュッ……―― 」
耐えきれなくなったとばかりに息を吸いこんでゼエハァする侍女さん―― どうやら彼女必死になりすぎて息をするのを忘れてたらしい。 その様子に流石のルドさんも毒気を抜かれたようだ。 呆れたような顔をして私を見て来るルドさんに、 苦笑を返す事しかできない。
そんな彼女は、 真っ赤になりながらプルプル震えると恥ずかしそうに名前を名乗った。 彼女の名前はナイア。 レラン伯爵家―― 「次女―― エルナマリア様に仕えています」 そう言って彼女は顔を上げた。
「次女――? 」
私が思わずそう呟いたのは、 レラン伯爵家は子供が一人しかいなかったはずだからだ……。 つまりはルドさんにとっての諸悪の根源である所の伯爵令嬢―― ファーリンテ嬢だ。
「エルナマリア様は公式には、 いないものとして扱われております。 旦那様の結婚前のお子様なのです」
その言葉に私は納得した。 ルドさんが驚かなかった所を見ると、 この事は知っていたと思われる。
結婚していない男女の間に産まれた子供は、 特に貴族社会では汚点とされる事が多い。 その子供の父親からすれば目の上のタンコブ―― 母親からすると致命的で恥さらしと家族から絶縁されることもしばしばだ。 普通はそう言う事がないように注意するのだけれど、 若いころのレラン伯爵はだらしがなかったんだろう。
ナイアさんによると、 案の定レラン伯爵は若いころ女遊びが激しかったようで…… 自邸に行儀見習いに来ていた男爵家の令嬢に手を出したらしい。 所がいざ子供ができるとレラン伯は彼女を自邸から追い出した。 何故なら、 侯爵令嬢との縁談が決まったからだ。
甘い言葉に騙されて、 キズモノにされた娘は男爵家から勘当されて路地裏で倒れている所をマリア孤児院の院長に拾われたそうだ。 これも何かの縁だと、 院長は子供たちの面倒を見る職員としてエルナマリアさんの母親を雇ってくれたそう。 そして産まれたのがエルナマリアさん。 彼女の名前は、 お母さんのエルナリィアという名前と孤児院の名前からとって付けられたらしい。
残念ながら彼女の母親は出産の折に身体が弱くなり、 若くして亡くなってしまったようなのだけれどね。 エルナマリアさんはそのまま孤児としてマリア孤児院に引き取られた……。
「それで? 彼女が孤児だった事は知ってるわ。 可哀想だから同情しろっていいたいワケ? 」
「違います! そういう事ではありません。 セティル様―― エルナマリア様は最初は知らなかったんです。 自分が旦那様の子供だって…… ファーリンテ様は―― 悪魔のような方ですわ…… セティル様がどうあっても手に入らないと悟ると、 その腹いせをエルナマリア様に―― 旦那さまを唆して、 よりにもよってガート男爵の元に嫁がせる気です」
涙を浮かべながらナイアさんが告げた名は、 悪名高い男爵のものだ。 唸るほどの金を持つ成金男爵。 資質的にも男爵以上にはなれない男だが、 商才だけはあったらしく侯爵顔負けの財を持つ。
自分より上の貴族に屈折した感情を持ち、 貴族の娘を妻に迎えては虐待の限りを尽くして自殺に追い込むという噂の持ち主だ。
「あの蟇蛙! エルナマリア様を嫌らしい目で見て……!! 旦那様も酷すぎます―― いくら結婚前にできたお子様とは言え、 自分の娘ですよ? それをお金で売るなんて―― 」
感極って、 涙を零すナイアさんの言葉に流石に私もエルナマリアさんが可哀想になって来た。 過去にルドさんを裏切って傷つけた人とは言え、 義妹に唆された父親が、 お金に目がくらんで酷い噂のある男の元に、 彼女を嫁に出そうとしていると聞けば不愉快位の気持ちにはなる。
「だとしても―― だとしても、 あたしには関係ない事よね」
冷たい声でそう告げるルドさんにナイアさんが必死に言葉を続けた。
「エルナマリア様もそうおっしゃいました。 助けを求めるべきですという私に―― 泣きながら―― 『私はルカルド様に縋る資格はないの』 と」
「それなら余計に、 あたしが出る幕はないでしょ」
ルドさんの言葉が傷ついたように歪む。 助ける気は無いと自分で言ったくせに、 エルナマリアさんが『縋る資格』 がないと―― ルドさんに助けを求めなかった事に傷ついたみたいに。
「家と家の話だからね。 普通なら―― 私達が口を出せるような話じゃない。 私はガート男爵を直接知らないし。 けど、 彼の妻になった人達は自殺する人が多いみたいだね」
そう言ってルドさんを見れば、 彼の顔は青褪めてその中に逡巡が見えた。 どうやらガート男爵のそっちの噂は知らなかったみたいだね。 というか、 ナイアさんが「そんな」 と呟いた所をみると彼女も知らなかったらしい。 私は溜息を吐くと、 その噂について二人に話してやった。
「―― っ 最初に裏切ったのはエルナだ―― 」
自業自得だ、 そう言うルドさんの言葉は意固地になった者のソレだ。
「裏切ったって言いますけど、 何があったんです? それは彼女がそんな目にあっても良いような事なんですか? 」
「――…… それは―― 」
私の問いかけに言い淀むルドさん―― そんな中、 ナイアさんが真摯な様子でルドさんに頭を下げる。
「お願いします。 エルナマリア様がセティル様の助けを頑なに拒む訳も分かるかもしれません」
「―― エルナマリアと俺は付き合ってた。 もちろん周囲には内緒でだ。 三男だとは言え伯爵家の子息が孤児の娘を妻にするにはそれなりに努力しなければならないし、 準備しなければいけない事もある」
ナイアさんの願いに、 覚悟を決めたのかルドさんが重い口を開いた。 いつもの口調じゃないのは過去に思いを馳せているからかもしれない。
古い血筋の貴族であればこそ、 結婚相手の血筋には煩いものだ。 三男とは言えセティル伯爵家の家格は重くルドさんに圧し掛かったのだろう。
図書館で司書をしていたエルナマリアさんと出会ったルドさんは、 彼女の素朴な優しさに惹かれていったのだそう。 互いに同じように母親を亡くしている境遇だとか、 本の趣味も合ったから話しが弾むようになり、 彼女と生涯を共にしたいと思うように段々なっていったみたいだね。 そして思いきって告白したとルドさんはそう言った。
最初は孤児である事から断ったエルナマリアさん。 それを二年かけて口説き落したと言うルドさんは、 本当にエルナマリアさんの事が好きでとても大切だったんだと思う。
周囲にそれを認めさせるにはルドさんがちゃんとした地位を手に入れるのが手っとり早い。 だからルドさんは寝食を惜しんで鍛錬し、 勉強して誰からも認められる騎士になろうとしていた。
そんな中―― 起こったのがあの事件だ。
「紫鷹騎士団で副団長補佐を任せたいと内示が出た日―― 俺はエルナとその事を祝おうと食事に行く予定だった」
副団長補佐―― それはかなりルドさんが優秀だってって事だ。 それだけ頑張ったって事だと思う。
エルナマリアさんとの事も、 もう公にしてもかまわない―― そう思って…… いつもは隠れるように会っていた場所ではなく、 小奇麗なレストランで食事をしようとしていたらしい。
そして、 うっかり忘れ物をしたルドさんがエルナマリアさんと二人で宿舎の部屋に行った時だ――
『おかえりなさいませ、 ルカルド様―― こんなに待たせるなんて酷い方ね』
部屋に入ると半裸でしなだれかかって来たのはファーリンテ嬢。 エルナマリアさんは混乱して悲鳴を上げると泣きながら走り去ってしまったんだそうだ…… 多分誤解したんだろう。 本当の恋人は自分じゃないんだって。
そして、 その悲鳴で駆けつけた同僚達にその現場を見られたのだ。
「もちろん大問題だ。 ましてや、 あの女は俺の友達だった男の婚約者―― だったしな」
聴取が終わり、 処分は保留の状況で何とかエルナマリアさんの誤解を解きに行けたのは、 次の日の夜だった。
騎士団の団長から証人がいるのなら証言してもらうようにと言われたからだ。 逃亡しないようにと規則に基づいた監視を同行させる事を条件に、 ルドさんはエルナマリアさんの住んでる下宿先へと辿りつく。
泣きはらしたのだろう、 目を真っ赤にさせた彼女に事情を説明すると…… 彼女はようやく安堵の息をついたようだ。
『ファーリンテ嬢に付き合う事も結婚も出来ないと告げたら、 俺に乱暴された―― と言いだしてね。 エルナ…… 君を聴取の場に連れて行くのは気が引けるんだけれど、 団長命令で君に証言をお願いしたいんだ』
『ルカルド様! 何を言うんですか―― そんな嘘をつくなんて酷すぎます。 私、 いくらでも証言しますから―― 』
走って今にも証言をしに行こうとするエルナマリアさんを慌てて抱きとめて、 ルドさんは今日はもう遅いから明日で大丈夫―― 迎えに来るから―― とそう言ったそうだ。 『この件が落ち着いたら、 話したい事がある』 とそう告げて。
ルドさんはこの件にケリが着いたら―― 前日にするつもりだった求婚を、 エルナマリアさんにするつもりだったらしい。 部屋に置いてある指輪を渡して……。
けれど、 次の日ルドさんがエルナマリアさんを迎えに行くと―― 彼女はは下宿先を引き払った後だった。 愛し合っていると思っていた女性がそうして消えてしまった事で、 誰もルドさんが真実を言っていると証明が出来なくなった訳だ。
「俺が、 頑張っていた事で知らない間に随分とやっかみを買っていたらしくてね。 味方をしてくれるヤツもいたけれど、 俺はいつの間にか女を取っ替え引っ替えしている遊び人って事にされてたのさ」
それでもルドさんはエルナマリアさんを探し求めた。 純粋で優しい彼女がルドさんとの約束を破って居なくなるなんて考えられない―― 何か事件に巻き込まれたのでは? と思ったからだ。
事件当日に何故か騎士団宿舎を訪問していたレラン伯爵からは、 責任を取れの一点張り。 結婚すれば今回の事は目を瞑るとそう何度も言われたらしい―― 紫鷹騎士団の団長からは今回の件で副団長補佐の内示は取り消し―― しかしファーリンテ嬢と結婚するのなら、 事を大きくはしないと告げられた。
しかし、 何度そう言われてもルドさんは頷かなかった。 自分が愛して結婚するのはただ一人だと決めていたからだ。
それに業を煮やしたレラン伯がコッソリと告げたそうだ。
『エルナマリアなら、 今は私の所です…… あれは私の娘なのでね。 証言をする気は無いようでしたよ? 遊びで付き合った相手に本気になられて困っていたと…… 別れるのに丁度良いから匿って欲しいと言われましてね』
それでも信じようとしないルドさんに、 レラン伯爵はさらに囁いた。 あの子の夢は自分の図書館をつくる事―― そのための資金が欲しいと言うのでね―― 『まったく娘と言うのは我儘で困りますな』 そう言われて、 ルドさんはその言葉を信じた。 その夢は確かにエルナマリアさんが語っていたものだからだ。
「――そです。 それは嘘です! 」
ルドさんの話が終わった瞬間、 マイアさんがそう叫んでルドさんに縋りついた。 眦を釣り上げたルドさんがマイアさんの手を振り払う。 力が強かったのだろう、 よろけたマイアさんを支えてあげるとルドさんの冷たい声が降って来た。
「俺が嘘を言ってるって? 」
そう言ってルドさんは完全に頭に血が上ったのか、 テーブルに拳を叩きつけるとその音の強さに硬直したマイアさんを置いて部屋を出ようとする。
「違います! 旦那様です。 エルナマリア様は、 無理やり監禁されたんです」
部屋を出ようとするルドさんに我に返ったマイアさんが、 慌てて首を振りそう言い募った。 言われた言葉は無視出来ないもので…… 私の中で『後悔したくなければ話を聞いた方が宜しいかと』 というマルチナさんの言葉が響く。
「―― どういう事? 」
聞いておいた方がいい。 ちゃんと確認した方がいいと感じて、 私はルドさんの腕を掴んだ。 文句を言いそうな顔で睨むルドさんを視線で黙らせて、 マイアさんの言葉に耳を傾ける。
「私、 エルナマリア様が下宿先を引き払う時にもそのお手伝いをしていましたから知っています。 旦那様はエルナマリア様に血の繋がった妹を傷モノにしたいのか? と仰いました」
ナイアさんから告げられたのは新たな『真実』 だ。
あの日、 ルドさんの部屋から逃げ出したエルナマリアさんはレラン伯爵と団員宿舎の入り口でぶつかった。 その時に落ちたのが髪止―― 母親の形見である。 レラン伯爵はかつて遊んで捨てた娘にやったそれを見てエルナマリアさんが自分の娘だと気がついた。 そして名前を聞くと、 動揺している事を理由に執事に彼女を下宿先まで送らせたのだという。
その後、 自分の娘が傷モノに―― と言う話を聞きつけルドさんに詰め寄ったのはルドさんも知る所――。
そして、 自分のもう一人の娘がルドさんの恋人だと知ると―― おそらくはルドさんが帰った後エルナマリアさんの下宿に押しかけ、 自分が父親である事を明かし…… そして血の繋がった妹を苦しめるのかと責め立てたのだと言う。 このままでは、 お前の妹は誰にも嫁ぐ事ができなくなると。
『貴方が仰りたい事はわかりました……。 貴方が―― 私の父である事も―― ですが、 このままではルカルド様が周囲から誤解されてしまいます』
『いいや、 そうはならない…… 簡単な事だ―― 君が彼を諦めればいい。 分かるだろう? 私の血を引いていたとしても、 君は孤児である上に貴族社会からは忌まれる出自だ。 由緒正しい貴族からは忌避される存在なのだよ―― そんな君が彼に相応しいと思うかい? 彼を不幸にしたいとでも? その点、 ファーリンテなら完璧だ。 少々強引だったのは否めないが、 彼に相応しい身分だしな。 もし、 お前が彼を諦めて身を潜めるなら―― 彼に関する誤解が解けるように私が尽力しよう。 そうだな…… 婚約者がいるのに互いに恋に落ちてしまった―― 思いつめてこんな事をしたが、 こんなに騒ぎになるとは思わなかったと言うところか』
実の父親にそこまで言われて、 エルナマリアさんは青褪めていたと言う。 私はエルナマリアさんの出自に対して不快感を覚えたりはしないけれど、 頭が固い人間というのは何処にでもいるものだ。 まだまだ『不品行』 であると言う事に煩い人は多い。 私から言わせて貰えば、 産まれて来た子供には何の関係もない事だと思うんだけどね。
エルナマリアさんは父親のその言葉で、 自分の存在がいかに危うくルドさんの足を引っ張る存在であるのかを理解したようだった。
『私が―― ルカルド様を諦めたら―― 本当に誤解を解いて下さいますか? 』
『もちろんだとも! 褒められた事ではないが君は私の娘だ。 着の身着のまま放りだすような真似もしたくないからね―― 当面の隠れ先は安心したまえ。 私に全て任せなさい』
そう言ってレラン伯は下宿を引き払い彼女を連れて自邸の森の奥に連れて行った。 言葉巧みに暫くの辛抱だからと言って。 けれど、 結局―― ルドさんへの誤解が解かれる事は無かったし、 彼女が森の奥の小さな塔から解放される事はなかった。
誤解を解かなかったのは、 ファーリンテ嬢をルドさんが最後まで拒んだからだろう。
エルナマリアさんは今、 森の奥にある小さな塔の中に鍵を掛けられて閉じ込められているそうだ。 出入り出来るのは、 レラン伯とファーリンテ嬢、 二人の護衛―― そしてエルナマリアさんの世話係の侍女であるマイアさんだけ――
「そんな事―― 信じられるか…… 」
「私は信じますよ。 ずっと気になってたんですよね。 最初のルドさんと彼女の出会いとかの話と―― 例の件があった後の彼女の印象が合わないなって」
ルドさんの母親も、 ルドさんを産んだ時に亡くなってたそうで―― その話を聞いたエルナマリアさんがルドさんがびっくりする位に大泣きしたんだって。 自分の痛みと、 ルドさんの痛みを重ねたんだと思う。 そんな人が、 前日にルドさんのために証言するって言っていたのに、 お金と義妹のためにルドさんを傷つけたままにできる? 私は出来ないと思う。
「それはそれとして、 何で、 エルナマリアさんは監禁されたままに? 」
「旦那様は―― どこからエルナマリア様が、 自分の結婚前の娘だと言う事が露見するか分からないからと…… そうおっしゃっているのを聞いたことがあります。 後は、 利用できるからかと。 今回の結婚話のように、 娘が嫁げば利益が出る取引と言う事はどうしても存在しますし…… 」
ナイアさんの答えを聞いて、 私のレラン伯に対する底辺だった印象はより深い所に落ちていった。 どうやら、 まだまだ先があったらしい。
しかも、 ルドさんと結婚できなかったファーリンテ嬢が、 事あるごとにエルナマリアさんをイビリにやってくる。 それは肉体的なものから精神的なものまで、 見ているマイアさんが目を逸らしたくなるような事も度々あったようだ。
ナイアさんは、 レラン伯とファーリンテ嬢のあまりの仕打ちに心を痛め、 誠心誠意エルナマリアさんに仕えた。 そのかいあってか、 エルナマリアさんもナイアさんに心を開くようになってくれたと言う。
そんな中、 今回の結婚話が持ち上がり―― ファーリンテ嬢が嬉しそうにそれを伝えに来たという。 『あんたなんかがルカルド様と付き合ってたせいで私が不幸になったのよ。 そうじゃなければ、 ルカルド様は私を受け入れてくれたはずだわ。 ふふふ。 あんたに相応しいお話を持って来たのよ? あんたのせいで酷い目にあったのに私ってとても優しいわよね』
楽しそうにエルナマリアさんに話すファーリンテ嬢の笑顔は醜く歪んでいたらしい。
「私は旦那様の命令とは言え、 エルナマリア様が不幸になる事に手を貸しました。 けど、 これ以上は耐えきれません。 私一人ではどうにもできませんし―― エルナマリア様はただ、 諦めています。 ずっと―― セティル様に何も言わずに去った事を悔やんでらっしゃるのかと思っていましたが―― おそらくは…… ファーリンテ様から、 旦那さまから聞いたセティル様とのやりとりでも聞かされたのでしょう」
そして、 自分が去ったせいでルドさんがどんな状況に置かれたのかを知ったのかもしれない。 それならば、 助けて貰う資格が無いとまで言った事が理解できる気がした。
ショックが大きかったのか、 ルドさんが力なく扉の横の壁に寄りかかる。 その顔は血の気がひいていて真っ白だ。
「分からない―― 俺は誰を信じればいい? 」
途方に暮れたようにそう呟いて、 ルドさんが壁からズルズルとしゃがみ込む。 ナイアさんはどうしていいか分からないようにオロオロしていた。
「―― エルナマリアさんの結婚話はどこまで進んでるか、 ナイアさんは分かりますか? 」
「結婚話が出たのはごく最近の事です。 言いにくいお話ですが、 セティル様がファーリンテ様を再び拒まれた事が原因かと―― その腹いせだと思います。 エルナマリア様のお立場から一旦、 旦那様の『養女』 という形をとられるようです。 今はその手続きの最中だったはずですが―― 」
ナイアさんがルドさんを気にしながらそう話す。 申し訳なさそうにしながらも、 語られた話に何故急にそんな事になったのかが理解できた。 腹いせ―― ファーリンテ嬢を『悪魔のような方』 だと評したナイアさんの言葉がよみがえる。
「貴族の『義娘』として―― という体裁をとるのなら、 式は華々しくするんでしょうか? それなら半年から一年位は猶予があると思うんですが」
貴族同士の結婚は、 式服もオートクチュールで作られるものだし、 高級にすればするだけ特にドレスの刺繍に時間がかかる。 婚約してから結婚するまでそれ位の時間がかかるのが普通だ。
「いいえ、 ガート男爵にとってエルナマリア様は七人目の奥様だそうで―― 今回は質素に…… 内々に済ますおつもりのようです。 それでもドレスを作る予定ではいるようですから、 早くて三カ月―― 長くて半年かからずに結婚するおつもりではないでしょうか」
ナイアさんが表情硬くそう話すのを聞きながら、 私は考えを巡らせる。 取り合えず、 今すぐ許可証を取って結婚しようとしてないだけマシだ。 最悪の事態は免れたと言える。
「成程。 分かりました。 ナイアさん―― おそらく気が気ではないと思うのですが、 今日の所はこれくらいで終わらせて下さい。 セティルも今すぐ結論は出せないと思いますし…… 彼に心の整理をさせて上げて欲しいんです。 それから、 エルナマリア様にも今日の事は内密に。 どうなるか分からない状態で話をするのは、 厳しいようですが要らぬ希望を与える事になってしまうかもしれませんから」
私としては正直に言うと助けてあげたい所だけれど、 この情報の裏どりもしたいし…… ルドさんが出す結論が、 ナイアさんやエルナマリアさんにとって絶望的なものにならないとは言い切れないし。
ルドさんの今後を考えても、 助けたいと思ってくれた方が傷つかないと思うのだけれど、 それは他人が決めて良い事じゃない。 自分で考えて、 選んで決める―― そうでないときっともっと後悔するだろうと思う。
「分かり―― ました。 今日は話を聞いて頂き―― ありがとう、 ございました」
ナイアさんが、 硬い表情で頭を下げる。
私から見ても、 ルドさんに『助けて下さい! 』 と縋りたい気持ちを飲み込んだと言う事が分かった。 そして、 私の言葉が告げた事実もちゃんと理解してくれている。
ナイアさんは扉を開けてもう一度私達に頭をさげると、 ルカの後について去っていった。 パタリと音を立てて扉が閉まる……。
「ルドさん―― 今日はもういいから、 自分の部屋で休んで下さい」
「―― まだ、 仕事中だわ…… へーきよ」
ノロノロと顔をあげたルドさんはいつもの口調に戻っていた―― ケド、 言葉に力もなければ、 紙のように白い顔は病人みたいだし…… 何より目に生気がない。
「駄目です。 命令ですから休んで下さい。 その顔の説明―― 皆に出来るんですか? 取り合えず体調を崩した事にしておきますから」
こんな顔でウロチョロされたら、 皆気になって仕事どころじゃなくなるだろう。 本当は、 完全に一人にするのは不安なので付いていたい所なんだけど―― それ位、 今のルドさんは不安定そうに見える―― それでも敢えて今はそっとしておく方が良いような気がした。
私の言葉にうめき声のような声で答えたルドさんは、 身体を重そうに立ちあげると片手を少し上げて了解―― の意を示す。 ほつれた長い髪が顔を隠していてその表情はもう見えない。 そのまま、 ルドさんは扉を開けて出て行った。
少しだけ開いたままになってる扉を閉めて、 私は大きく息を吐いた。 中々に面倒な事態だ。
エルナマリアさんは認知されていないとは言え、 結婚するまでは親のモノと見做されがちな貴族の子女だ。 良識と思いやりがある親なら良かったんだけれどね……。 ルドさんが助けたいと思ったとしてどういう方法が良いものか……。
取りあえずは、 今できる事をしておこうか。 ナイアさんがもたらした情報の真偽の確認―― それから―― レラン伯が進めている養女の手続きの妨害―― かな?
ルドさんの元恋人の事情が明らかに。
もふもふ要素が思ったようには出せず残念―― です。
次の話は、 短めになるかもしれません。 もうちょっとモフモフしたいです……。
※変更※
2018/07/11
エルナマリアさんのお母さんが出産の折に亡くなったと言う部分を→出産の折に身体が弱くなり若くして亡くなった―― と修正致しました。 宜しくお願い致します。




