連星
陸の二足歩行どもが帆をひるがえし、わがもの顔で荒波を乗りこえる。
歌でまどわせ渦に引き込もうと、嵐へといざなおうと、しょうこりもなく。
やつらはいつの間に、荒れ狂う海すら耐えぬく船など造れるようになったのだろう。
やつらはいつの間に、嵐の中に凪を見いだすほどに目ざとくなったのだろう。
喉を枯らし歌っても、のべつまくなし。
やつらは海の向こうの大地からやってくる。
土の上に生を受けた者は、そこでおとなしく暮らしていればいいのに。
そこで生きて死ぬのなら、みだりに海の藻屑にも、両の手で抱きしめ食らいもしないのに。
「――娘たち、私のかわいい娘たちや」
深い深い海の底には、旧き時代に生を受けた、女王と呼ばれる海の魔物がおりました。
ある日、女王は二人の若い人魚を呼びました。
凪の夜に二人一緒に生を受けた、女王の娘です。
そっくりな金の髪、そっくりな青い目、そっくりな白い肌、そっくりな赤い唇、そっくりなほのかに赤い顔、そっくりな銀の尾鰭。
彼女たちは双子、ふたりでひとり。
「おまえたち、人間に興味があるそうだね。
人間の事をよく勉強していると聞いているよ。
この母に教えておくれ、おまえたちはやつらの事をどれだけ知っている?」
「母さま、私、人間の言葉の話し方は大体おぼえたわ」
「母さま、私、人間の道具の使い方は大体わかった」
双子の人魚は口々に答えて胸を張ります。
「おや、困ったね。おまえたちのどちらかが、どちらもできればよかったのに」
「母さま、それはなぜ?」
「おまえたちに人間の事を調べてきてほしいのさ。
あいつらがどうやって、あの怪物みたいな船を動かしているのか知りたくはないかい?
どうやって、あの悪魔みたいな嵐をかいくぐっているのか知りたくはないかい?」
「知りたいわ!」
「私も知りたい!」
双子の人魚は目をかがやかせます。
「けれど、おそろしい人間どものところにおまえたちを行かせるのは心配だよ。
おまえは姉さんと違い、やつらの言葉の意味がさっぱりわからないんだろう?
おまえは妹と違い、やつらの道具の使い道がとんとわからないんだろう?
ああ、心配だよ。おまえたちが人魚とわかったら、やつらに何をされるだろうか」
「ならこうすればいいのよ、母さま」
人間の言葉がわかる姉の人魚が、母である女王にほほえみ
「人間たちから何かを聞き出したい時は、私が行くわ。
人間たちの道具の使い方を知りたい時は、妹が行くわ。
人間たちは私たちが双子だなんて知らないもの。
ふたりでひとりをやればいいの。
心配ないわ、私たちはいつも一緒だもの。
私、この子の事なら何でもわかるわ」
妹を抱きしめながら言いました。
妹の人魚は、すこし困った顔をしましたが
「姉さまがそう言うのなら」
姉の言葉にゆっくりとうなずきました。
女王は、むずかしそうな顔でしばらく悩んでいましたが
「かわいい娘たち、私はふたりを信じるよ。
だから無理はしないと約束しておくれ。
けっして危ないまねはしないと誓っておくれ」
「約束するわ、母さま」
「誓うよ、母さま」
ついに女王は根負けして、双子の人魚を人間の世界に行かせる事にしました。
ふたりは手と手をたたいて喜び合います。
「私の力でおまえたちに人間の足を与えよう。
けれどいいかい、人間になれるのは、一度にひとりだけさ。
姉さんが人間になっている時は、おまえは人魚のままだよ。
妹が二本の足で歩いている時は、おまえは銀の尾鰭で海をたゆとうのさ」
「はい、母さま」
ふたりの元気な返事を聞いて、意を決した女王は旧き言葉をとなえます。
それは、地上では失われた魔法の呪文。
人魚の姉妹はぐんぐん海面へとのぼっていき、姉の人魚が先に海面に顔を上げました。
するとどうでしょう。姉の人魚の尾鰭が、白くしなやかな二本の足に代わっているのです。
妹の人魚は銀の尾鰭のままです。
「姉さま、これを着ていって」
妹の人魚は岩場に隠し持っていた人間の服を、二本足の姉に差し出します。
いつだったか、歌で惑わし沈めた船から奪った服で、潮水と海風にさらされてぼろぼろです。
「気をつけて。母さまに言われた事を忘れずに、けっして無理はしないで」
不安そうに妹の人魚は言います。
「わかっているわ。心配性ね」
姉は赤い唇をほころばせ、白い歯をのぞかせ笑います。
はじめて訪れる人間の世界を、姉の人魚はうれしそうに駆け出しました。
宵闇がせまり、空には一番星がかがやいていました。
「きみ! そんなずぶぬれでどうしたんだい?」
姉の人魚が陸の上ではじめて出会った人間は、船乗りの男でした。
妹がくれた服は、波うち際に隠してあったのでびしょびしょです。
「なんでもないわ、浜辺で転んでしまったの」
人間の言葉が話せる姉は、すずしい顔で言いました。
「かわいそうに。服もなんだかぼろぼろだ。
きみみたいな美人にそんなみすぼらしい服は似合ってないよ。
きみさえよければ、ぼくが新しい服を買ってあげるよ」
「うれしいわ! わたし、男の人に物をもらうのなんてはじめてよ!」
姉は船乗りと夜の町へ行き、たちまちに仲良くなりました。
船乗りは海の向こうのはるか遠くの陸から、大きな船でやってきた男でした。
姉は目を輝かせます。
「ねえ、船ってどうやって動かすの?」
「教えてあげてもいいけれど、きみにわかるかな」
船乗りはあれこれと教えてくれましたが、姉にはさっぱりわかりません。
そこで、姉はある事を思いつきました。
「ねえ、こんど私をあなたの船に乗せてくれない?
私、船が大好きなの。
大好きで大好きで、夢中になると黙りこんでしまうくらいよ。
無口な女を船に乗せるのなんて嫌かしら? だったら無理にとは言わないわ」
「とんでもない! きてくれるだけでうれしいよ! ぜひおいで!」
船乗りはすぐさま答えます。
「ありがとう、あなたってとてもいい人ね。
私、あなたの事が好きになってしまいそう」
姉は船乗りと別れたあと、買ってもらった服を脱いで、意気揚々と海の中へと帰ります。
金の髪の先まですっかり潜ってしまえば、二本の足は銀の鱗と尾鰭にもどっていました。
「ねえ、ある人が私を船に乗せてくれるそうなの。
でも私が行ったって何にもわかりやしないから、あなたが代わりに行ってきなさいよ。
海の底に沈んでいない船の中が見てみたいと、いつも言っていたじゃない」
「そんなの無理! 私は姉さまと違って人間の言葉がわからないのに!」
妹は悲鳴をあげるように反対します。
「大丈夫よ、口なんて聞かなくても。きてくれるだけでうれしいと言っていたわ。
彼はいい人よ、真新しくてきれいな服も買ってくれたの。
入り江の木にかけておいたわ。あなたにも貸してあげるから」
「新しい服だって? 私があげた服はどうしたのさ」
妹は唇をとがらせますが、姉に押し切られ、しぶしぶ陸の上へと向かっていきました。
海面に顔を出せば、今度は妹が人間の女の姿にかわります。
「人間の道具は好きでしょう? がんばるのよ」
姉は銀の鱗と尾鰭のまま、波間に顔をのぞかせ妹を力強く送りだします。
姉はとても満足そうに、赤い唇に笑みをたたえていました。
「やあ! 待っていたよ! おまえたち、この美人に失礼のないようにな!」
やってきたのは、はじめて会う妹のほうだというのに、船乗りはまるで気がつきません。
船乗りが自分勝手に女を船にまねいても、誰も文句を言いませんでした。
彼が船で一番えらい船長だからです。
「見てくれ、あれが帆だ。あれで風を受けて進むのさ。あれが舵だ。あれで進む方向を変えるのさ」
妹は一言も口を聞かず、熱心に船に見入っているだけでしたが、船乗りは気にしません。
むしろ、自分の船をよっぽど気に入ってくれたのだろうと上機嫌です。
船べりから身を乗り出して金の髪をなびかせる妹を見つめていると、船乗りの胸にたまらない感情がこみ上げます。
船乗りは思わず、妹を後ろから抱きしめてしまいました。
妹は、ぎゃあ、と叫んで、振り返りざまに船乗りの横っ面をひっぱたきました。
そして転げるように船を降り、今しがたひっぱたいた男なんてかえりみもせず、逃げるように走っていきました。
「待ってくれ! そんなに怒るなんて思わなかったんだ! ゆるしてくれ! ぼくを嫌いにならないでくれ!」
遠ざかっていく妹の背中に、船乗りは声を張りあげ叫びます。
妹は船乗りが姉に買った服を脱ぎすて、泣きながら海へと帰ってしまいました。
泣き声ばかりは赤い唇から聞こえてきますが、涙は一滴もつたいません。
人魚はなぜだか、悲しくても辛くても、人間のようには涙を流せないのです。
金の髪の先まで海に浸かれば、妹は元どおり、人魚の姿にもどれます。
「姉さま! あの男はいい人なんかじゃない!
いきなり背中から抱きついてきたりして!
だから私、あの男の頬を思いっきりひっぱたいてやったんだ!」
「あなた、なんて事を! それに抱きしめられただなんて!」
姉はほのかに赤い顔をさらに真っ赤にして妹をなじります。
わめく妹を置き去りに、姉は急いで海面にのぼっていきました。
姉の銀の鱗と尾鰭が、二本の足に変わります。
妹が脱ぎ捨てた服を着て、姉は船乗りのもとへと急ぎます。
「ごめんなさい! さっきは驚いてしまっただけなの!
ああ、ひどい顔。手のあとが真っ赤に残ってしまって。
こんなひどい女になんて、あなたはもう会うのも嫌かしら」
姉が人間の乙女だったなら、白い頬を宝石のような涙がつたっていた事でしょう。
今にも青い目から雫がこぼれんばかりの顔で駆けつけた姉を、船乗りは両手を広げて出むかえました。
「いいや、きみは何にも悪くない。
ぼくの方こそ知り合って間もないのに、あんな事をして悪かった。
今度からはきみがいいって言わないかぎり、ああいった無体はしないよ」
「なら、今していいわ。抱きしめて」
姉は船乗りにねだるように言います。
船乗りは姉の言葉に満面の笑みを浮かべて、彼女を強く抱きしめました。
妹の人魚は、波間に顔を出して姉の帰りを待っていました。
喧嘩をしたのは今日がはじめてではありません。
けれど、いつもなら。ほんの少しだけ離れても、もう一度顔を合わせるころには仲直りできるはずなのです。
いつだって、ふたりでひとりだったのですから。
けれど姉は、帰ってきませんでした。
妹は、きらめく星空を見上げながら、いつまでも、いつまでも、姉の帰りを待ちました。




