閉門
「和尚様、お一人で『おつとめ』に行かれるのですか?」
「高乾院」の門をはく寺の小僧はその手を止めると慧明にそう尋ねた。
「おつとめ」とは、今日の「池中屋」の法要のことだ。慧明は「真宗(浄土真宗)」の経も読むことができた。当時、封建社会の身分に特定の宗教が結びつき、為政者等から保護を受ける。そうした宗教が長くこの国に続くなか、身分にかかわらず極楽に行けると説く「真宗」は一心に「阿弥陀仏」に向けて「念仏」を唱えれば良いのだ。その「親鸞」の教えは「一向宗」とも呼ばれ瞬くうちに国中に広がっていった。「池中屋」もその「門徒」だった。慧明は「阿弥陀経」をそんな「人々のため」に覚えたに過ぎない。彼もまた「禅僧」の枠から少しはみ出ていた。
「梅雪(いつしか慧明は慧雪のことを山野僧らしく、そう呼んでいた)も行に励んでおると聞く。明日の法事に呼ぶには及ばん、それに阿弥陀経まではあやつには教えてはおらぬしな」
その粗末な山寺の和尚は笑ってそう言った。一人残った小僧も京へやる事になっている。慧明は新蔵(梅雪)のために「高乾院」をこの地に開いていたと言ってもよい。慧明はたびたび山野で新蔵が人々のために筆をとり、何やら書いているのを見た。慧明は妻子を亡くし、新蔵を息子の様に思っていたのだ。そっと梅雪の様子を見ていたのは、新八郎に新蔵を託されたからだけではなかった。
「わしは、何をしているのじゃ。わしの罪はわしのこの手で、この足で償うべきものであるはずだ」
そう慧明は思い、再び修行のため行脚しようと思ったのである。
「梅雪め、いつしかこのわしの師匠になりおった、はっはっはっ」
梅雪の周りに集まる、村人の笑顔の中に、慧明は仏の姿を見たのだった。
「素山道立和尚、梅雪は正に山野坊じゃな。あやつは気付いておらんが、そこがまたよい」
その夜、慧明は新八郎の元を久し振りに尋ねた。慧明と新蔵の父「新八郎」はともに中津の藩士として、播磨への国替えが決まったあともしばらく中津に残っていた。藩士達の暮らし向きがやっと落ち着いた後。ようやく明石に戻った。しかし国替えの話は、また後日にしよう。かまどうまはそれを詳しく知らない。
「高乾院は既に役目を終えた、新八郎よ。畢竟、現世の人々のために仏はあるのだ……」
形などにこだわってはいけない、そう新蔵(梅雪)にそう伝える事ができた。慧明は素山の周りに集まる多くの村人の姿を見て強くそう思った。その日の夜、慧明は親交のある禅僧に長い文を書き、「高乾院」の小僧たちを別の寺へ預ける事にした。そして、最後に残った小僧も明日には京に立つ事になったのである。
「人を救えるのは、誰よりも人でなければならないのかも知れない」
素山もまたそう思っていた。
寺の屋根瓦には素山とよく出会う、烏がとまっていた。その門を素山はもう二度とくぐる事はなかった。